見出し画像

#100 全ては経験になる

皆さんこんばんは!!
今日はnoteの記事100回目記念の記事になります。
何を書こうか色々迷いました。

次世代のイケおじ(※ジセおじ活動)をnoteで始めたのが9月5日~なので、なんだかんだで5カ月がもう少しで経とうとしています。

ここまでnoteを続けてきて得たことはかなり多いと思っています。

文章を書き続けること自体が、生活の中に今までなかったから、noteを凡そ五ヶ月続けられてきたことって本当に力になっています!

友達とかと飲むときに良くこういう話をするのですが、、、

『あの時、こうしていたら、、、』
『あの時、少し耐えていれば、、、』

とか、でもそれって自分だけの考えなんですよね。

全部、主語が1人称になっていて、相手のことを全く考慮していないんですよね。

自分の気持ちに集中することはとても大切ですが、自分の気持ちに集中するあまりに、一緒にその場にいる人達の気持ちにまで配慮できずに、変な選択肢をとってしまった過去って誰にでもあると思います。

これを『失敗』ととるか、『経験』ととるか、、、

実際に次に同じような場面が来た時に同じようなことをしてしまう人達は『失敗』と言っても良いと思います。

逆に次に同じような場面が来た時に、以前の自分が経験した失敗を生かして違う選択肢をとれた人は、『経験』として以前の出来事が残っていたと言えるでしょう。

良く本とかで『失敗』は成功の元とか成功の母とか言われていますが、ただの『失敗』は『失敗』としてしかならず、成功の元や成功の母となるものは、『失敗』したと言う『経験』なのだと思います。

僕は『失敗』することがとても多い人間だと思います。
性格上なものもあるけれど、『失敗』に学ばず、また同じように『失敗』することがかなりあります。

心境としてはあの時は『失敗』したけど、根拠のない自信で今回は『大丈夫』と思い行動してしまうことです。。。

だからまた『失敗』する。

考え方を変えてそれを『経験』にするため、実はインプットしてアウトプットすることが一番大切なのかなぁ、、、と最近感じています。

自分がインプットしたことを誰かに伝えていく。そのことは自分が『失敗』したことを客観的に見て誰かに伝えていく。ということと同義であり、

『失敗』という経験のインプットを、誰かに伝える時、その『失敗』の経験を細かく細分化して何がいけなかったのか?ということを説明できるようになれば、『失敗』という言葉はなくなると思います。

全てを『経験』にして繋げるために

noteを書くという習慣は自分にとってとても意味のあるものだと凡そ5カ月続けて感じています。

自分自身がより良い明日を迎えるために、、、
ひいては誰もがより良い明日を迎えるために、、、

『アウトプットを続けていきたい!』

noteの記事100回目はこの言葉で締めたいと思います。


この記事が参加している募集

最近の学び

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?