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作り手を目指した私がFA職についた理由

こんにちは、ファッションアドバイザーのkikiです。

今回はなぜ私がFAという職につき、なぜこんな情報発信を始めたのか?
をお話しさせていただきます。

私は幼い頃、洋裁が得意なおばあちゃんと過ごす事が多かったんです。
おばあちゃんの家には大きな風呂敷がいくつもあり
その中にはたくさんの布地がありました。

その部屋には小さ目のキャビネットもおいてあり
引き出しを開けるとボタンがいっぱい。
他の引き出しを開けるとたくさんの糸が並べてありました。
私はこの引き出しを開けるのが楽しかった。

ビンテージのキラキラしたボタンや
ボビンに巻きつけられた糸、無造作に砕かれたチャコ。

そしておばあちゃんはいつも私の服を作ってくれました。
メジャーを使って採寸をされ
風呂敷の中から私に似合いそうな柄の布を取り出す。
私に布を巻きつけて選んでくれるんです。

そして新聞を使って型紙を起こして
布地は裁断されていき、ミシンを使って縫製していきます。

私はその流れを小さい頃から側で見ていたんです。
そしてあっという間にワンピースが出来上がり
私に着せてくれるんです。
私はおばあちゃんは魔法使いだと思っていました。

今思えばお以上たっぷりの世界に一つだけのオーダーメイド。
おばあちゃんは専属のデザイナー兼スタイリストだったのです。

電車に乗って大きな手芸店にも連れて行ってくれました。
おばあちゃんはまるでパン屋でパンを選ぶみたいに
次々に好みの布地を作業台に持って行っては

「これを3メーター」

とお店の人に裁断してもらっていました。
帰りは両手いっぱいの紙袋。
絶対に重かったはずですよね。
おばあちゃんかっこいい!!と私の目はキラキラしていましたね。

そしてそんな日常で成長していく中で
リカちゃん人形の服を一緒に作ったんです。

ハギレを使って全然上手に作れなかったんですが
自分の手で作ったものが形になるのは本当に嬉しかった。
それから私はたくさんのリカちゃんの服を作りました。
パターンなんか引けないので立体裁断ですね。
そのあとにリボンを付けたり、共布で小物を作ったり。
そんな幼少時代でした。

そんな中で小学校で夢を見つけるきっかけになったのが「ご近所物語」という漫画でした。

まさに憧れの世界。

自分たちで制作したものが形になって
人を喜ばせる事ができる、それでキラキラしてて
色んな個性的なファッションがあって服飾に関わる全ての
登場人物が威力的に映りました。

そこで私もデザイナーになりたい!!

と意気込んで専門学校に入学したのでした。

ところが入学してすぐに自分がそこを目指すのは
かなり難しい事に気づかされました。
こんなの五万といるのです。
むしろデザイン画もパターンもどちらかというと
苦手でした。パターンも法則に則って
計算をしながら引いていくんですね。

独学で服作りをしている時は適当でも雰囲気でしょ!と
楽しかったのですが、学校で学ぶ事はもっと本格的でした。

私の学科はテクニカル専攻だったのでクラスのほとんどの子が
パターン検定を取りました。
そんな中クラスで二人だけ検定を受けなかったのですが
そのうちの一人が私です。

自分の行きたい未来にそれが必要でないと思ったら
やる意味を見いだせるまで、やれないタイプです。
ただの全部わがままでしたが、私が目指すのは作り手ではないんだなと。

そこで2年に上がる前に学科をビジネス科に変更しようか悩みました。
当時古着好きだった私は、自分の好きなものを集めたセレクトショップでも
やってみたいなとか、バイヤーも面白そう!
リメイクは好きだったのでそんなの販売してみたいな。
という願望が出てきていました。

しかし先生のアドバイスはこうでした。
どんな職種についたとしても、服の構成や製法を知っていて
損はない、むしろそれがわかっていれば道が広がると。

本当に今もこの先生に感謝しています。
先生の言っていた事は本当でした。
私は2年間、服の縫製をメインに勉強ができてよかった。
ビジネス科の子には申し訳ないけれど
ビジネスの内容は卒業してからも勉強する気があれば学べます。
デザイン科の子にも申し訳ないのですがすごいデザインがかけても
それを形にする事ができますか?
↑もちろんできる人もいますが

産業化を選んだ私は一枚の布から服を作り出す事ができます。
ただ綺麗に売り物になるようには作れません。
ただ作り方を知っているので、今の店頭の現場でも
なぜこういうパターンなのか、なぜこの形はお客様に似合うのかを
お伝えする事ができます。

この商品がお直し可能か、リペア出来るものかとかもわかります。

話が逸れましたが、将来アパレル販売につきたいから
専門学校で学ぶというみなさん、産業科やテクニカル科はとてもおすすめですよ。

そして話を戻すと、その恩師の先生のアドバイスもあって私は
アパレル販売のバイトを始めました。
ここがまた必然の出会いだったと思うのですが
本当に厳しい店長のいるお店でした。

好きな事にストイックな私はどんどんこの世界にのめり込んでいきました。
その店長は最初から「服を売れ」なんて言いませんでした。

お客様とこんな会話をした、とか販売員とはこうあるべきというところを
とにかく叩き込まれました。いくら売っても褒めてくれなかったけど
いい接客ができた時はとても褒めてくれました。
本当にありがたい事に私は初めての店舗で初期段階から
FAとしてのマインドの構築が始まっていたのです。

店頭に立ってわかった事。
いくら物が良くても見せ方がよくなかったり、
お客様に伝える事ができないと物は売れないという事。
お客様が本当に知りたかった事、聞きたかった言葉、
新しい自分の発見、それを提供できるスタッフが少ないという事。

そしてここで学んだ事はその後アパレル2社の転職をする事になった私の
どこに行っても大丈夫という自信になりました。

若い頃はこう考えていました。
私が誰にも負けないFAになって売り上げを作るんだ!!
いきがっていた私はいつも常に個人売り1位を譲りませんでした。
むしろ仲間のことも少し見下していたと思います。
私はあなたたちとは努力が違うのよ、そう思っていました。

「kikiがいてくれたから予算言ったよ」

と褒めてくれても

当たり前だ、そんなこといちいち褒めないでよ
と思っていた可愛くない部下でした。

でも自分が店長になってみてわかったんです。
個人プレーじゃお店の売り上げはまかなえない。
「kikiすごいね」は称賛ではなく拒否。

私はFAという職のやりがいや素晴らしさを知っていたのに
周りを近づけようとしなかった。

それに気づいてからスタッフに寄り添うということを学びました。
歩幅を合わせて、自己満の教育ではなく
響かせて落とし、考動してもらうための伝え方を。

それは自分の大好きなこの業界を残していくため。
そして大切な仲間たちに充実したワークライフを送ってほしい。
私はたまたま恵まれた環境で尊敬できる方々に育ててもらったので
次の世代に伝えていける言葉がある。

軸さえブレなければどんな環境でも物が変わろうと売る事ができます。
その部分はロボットでも今のところマネできない部分です。

人の手から人の手へ渡していける喜びを
私たちは当たり前のように見過ごしている。

でもそれが当たり前じゃなくなってきているこの時代。
機械から人の手へという時代がもうやってきています。

人が生きていくのに必要なもの

「衣・食・住」

この「衣」に携われていることを誇りに思って
今に感謝して店頭に立ちましょう!!

FAとは人に夢を与える事ができる仕事です。




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