愛される、愛されない、その花占いの末の「愛すべき」一片

どうしようもないことを
人のせいにしては
受け入れてるフリをしていたんだ
ずっと

宇多田ヒカル「初恋」


愛される人間は、決して満たしてくれはしない。その人を愛する分だけ返ってきていない、そんな気がするのは、愛される人間というのが皆を愛しているがゆえに、愛されない人間に愛されるわけであって、「皆を愛しているということは、誰も愛していないのとおんなじことだ」、満たされない思いばかりが、拙いしっぺのように戻ってくるばかり。

ただ、愛されない人間の、満たそうと尽くし、満たされたいと願う、そんな姿こそ美しく思える、そんな関係性を美しく描いているのが、源氏物語じゃないかと最近思える。光源氏はあらゆる女性の思いを踏みにじりながらも、満たされないその思いを晴らそうと、さらに女性を傷つけては、罪の意識を背負いながら舞い、その刹那を詠う。愛されない女性たちは、物語に身をやつし、あるいは死に、あるいは狂い、あるいは云々。

愛される人間がいて、愛されない人間がいて、はじめて「愛すべき人間」が現れるという、これもまた、もののあはれを知るということじゃないのかな、

なんて考えながら、日をまたいでしまう、愛すべき我かな、という、今日も傷だらけの仕事上がり、おあとがよろしいようで。

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