ヒッチハイク
2015.7.3.
今から、40年前
ヒッチハイクした
イスタンブールから
アテネまで
野宿しながら
言葉も全く通じず
何台乗り継いだか
覚えていない
綿を積んだ大きなトラックが
乗せてくれた。
ブルガリアの車だった。
言葉が通じないのに
なぜブルガリアと
わかったのか
覚えていない。
とにかく、
まちかってブルガリアに
連れて行かれない事を
祈っていたのを
おぼえている。
標識でブルガリア方面
アテネ方面が別れるのがわかった。
降ろしてもらい
次の車を探した。
運よく、イランで10年働いていたと言う
二人のアメリカ人の車に乗せてもらえた。
その当時はイランとアメリカ
まだ仲良かったんです。
ホメイニーが出てくる前で
豪快なアメリカ人と
同じホテルに泊まりながら
ようやく、
アテネに着いた。
よく、なんとかなった、もんだ
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