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横浜で生まれ育った私が、大阪に住んで思うこと

note毎日更新 Day8

私は生まれも育ちも神奈川県の横浜。半年前から大阪に住み始めた。最近関西弁で話せるようになってきた自分が嬉しい。自分でも無意識のうちに話せているときが、ホンマに嬉しい。

なんでかわからないけど、小さい頃から関西弁が大好きだった。親戚が神戸に住んでいて、夏休みや年末年始にときどき帰っていたから馴染みがあった。おしゃべりで明るい雰囲気で話される関西弁が、子供ながらにすっかり気に入ってしまったようだ。関西弁の響きも好きだけど、みんなが楽しそうにおしゃべりしている姿そのものが好きなのかもしれない。

これから書く話は、本当に私のステレオタイプだ。私が見ている大阪はほんの一部だし、性格だって人それぞれ。「大阪の人」ってくくりでは失礼にあたるのかもしれない。でも私は確実に、大阪での暮らしにカルチャーショックを感じていて、そのとき思った印象を正直に書いてみたかった。私が大阪という魅惑の街に、完全に染まらんうちに。

前の職場は心斎橋という大阪ど真ん中にあった。当たり前だけど関西弁を話してくれる人しかいなかったから、心の中で小躍りしながらみんなのおしゃべりをこっそり、しっかり聞いていた。

毎日笑いを堪えるのが大変だった。みんな何かしら個性があって、その個性を自分でわかってトークの武器にしているような気がした。毎回イスから転げ落ちそうなほど大爆笑するおばちゃんや、落ち着いたトーンで静かにツッコミをする20代女子。「いやいや、みんながみんなそんなわけないでしょ」って思うかもしれんけど、これ、ホンマやから。

主張が激しい大阪。よく言われるのが「大阪の人は声が大きい」という話。私は声が大きいと言うより、外国人と話す感覚と似ていて、身体全体を使って「伝えよう」としているのではないかと思う。コミュニケーションや人を大事にしている証なのかな。なぜかウズベキスタンの人を思い出して、懐かしい気持ちになる。

感情の起伏も激しいような気がする。笑う時は笑い、怒る時は怒る。前の職場では笑いが絶えなかったが、社員さん同士で口喧嘩が始まったり、私の上司は怒り出すと大きい声を出してくるので怖かった。そういえば私のお父さんも関西で育ったけど、怒り出すと止まらないことを思い出した。

少し気になってたのは男性の立場が弱そうなこと。口でまくしたてる女性たちに圧倒されているのか、女性たちの絆がめちゃくちゃ強いからなのか。大阪の女性たちは本当にすぐ仲良くなれるみたいだけど、男性同士の仲は良さそうだなと側から見て思ったことがあまりない。人口がそもそも少ないのかもしれないけど。

「人情の大阪」という言葉もある。大阪に住んでからこの言葉を1日に1回は思い出すほど、大阪の人は人情味に溢れていると思う。

4ヶ月しかいなかった元職場。私は派遣という立場だったのもあって、社員の人同士の会話に参加することは少なかった。それでも東京で正社員で働いていた時より、圧倒的に寂しさを感じることがなかった。最後の出勤日も、部のみんな総出で見送りをしてくれたし、部長が何度も「歓迎会も送別会もできなくてごめんね。交流の場がないまま終わってしまったね」と言ってくれた。全部コロナのせいなのに。

まだ住んで半年のシェアハウスでも、私が書くnoteを読んでくれる友達がいる。noteの中で紹介した本を早々に読んでくれた友達もいる。私の周りが恵まれているなのかな。みんな人との距離が近くて、私が話したことや、していることに関心を持ってくれる。困っていることを話すとめちゃくちゃ一緒に考えてくれるし。失業手当のようなめんどくさいことまで、とことん教えてくれて感謝。

休みの日の朝のキッチンでは、「今日は何するん?」と聞くのがお決まりのフレーズ。距離をとりがちな私はオドオドしているけど、内心すっごく嬉しい。

きっと大阪に住んでいれば、私はもっと人が好きになれる。そんな気がしている。コロナという状況でも、心の距離がとっても近い、大阪のシェアハウスライフ。これからが楽しみだ。






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