私の空想は死んでいる
前回のお話からあまり日は経っていません。
少し時間は経ったかもしれませんが、時間間隔の狂った私にとってはつい昨日です。
今回はイマジナリーフレンドがうまく作れず生きてきたという話をしようと思います。
あまり深刻な話ではありませんので、軽い気持ちで聞いてください。
幼少期の私が孤独だったということは先日の遺書にも書いたとおりです。
本だけが友達でした。
幼稚園に入る前、とある本で「空想の中の友達」のことを知りました。
そんな存在がいることをそれまで知りませんでしたし、本で書かれている友達は優しくて親しみやすく、また、主人公もその友達といて楽しそうでした。
私もそんな友達が欲しいと思いましたが、当時はイマジナリーフレンドを「作る」という発想がありませんでした。
イマジナリーフレンドというものは自然に生まれてくるものだと思っていました。
自然に生まれる気配はありませんでしたし、将来的に生まれそうな希望も抱けませんでした。
私は落ち込みました。
それからその本を読むたびに、自分にそのようなイマジナリーフレンドがいないことを思って悲しい気持ちになりました。
小学生になってから、自転車を買ってもらいました。私はその自転車に名前をつけ、大事にしました。
それからしばらく経ってから、家族旅行でスキーに行きました。
スキーをしているときは楽しくはありましたが、寒いし疲れるし喋りながら滑ることはできないしで若干の孤独を感じるときでもありました。
孤独を紛らわせる何かが必要でした。
私はスキー板に自転車と同じ名前をつけ、脳内で私に向けて喋らせてみることにしました。
それがおそらく私のイマジナリーフレンドになります。名前を仮にAとします。
スキーから帰ってきてからも私はAを脳内で喋らせようとしました。
孤独を癒そうと思ったからです。
しかし、なかなかうまくいきません。
日常生活をしているとAのことを忘れてしまうのです。
脳の処理容量が小さく、複数のことを同時に考えられないがゆえのことだと思います。
つらく苦しい日々の中でAは私を助けてはくれませんでした。
ふとAのことを思い出してAを喋らせようと思っても、Aは「私の考えたこと」しか喋ってくれないのです。自然に喋ってくれないのです。まるで台本に沿った人形劇をしているようでした。
茶番にしか感じられないAとの会話でしたが、なんとかそれも心の助けにしようとしました。
でも無理でした。
私は私のことが嫌いだったので、私が操るAの言葉も厳しい言葉になって、結果叱責になってしまったり、もっと頑張れといった無理な激励になったりしてしまったのです。
Aが「いる」と考えることは孤独を癒す助けにはなりましたが、Aは私が動かさないと喋ってくれないので、自我も何もない無のお人形、実体すらない空虚と遊んでいるようなものでした。
そうして長い時が過ぎ、Aを滞留させたまま私は大学生になりました。
そこで、「イマジナリーフレンドを作って現在も持ち続けている大人は若干特殊である」という言説を知りました。
変わった人と言われ続けて排斥されてきた私は、その言説でまるで免罪符を得たような気になりました。
イマジナリーフレンドのいる大人が特殊なら、私が特殊でも別にいいのではないか。
そう思ったからです。
しかし、同時に、私は私のイマジナリーフレンド「A」が「本物」のイマジナリーフレンドではないことを知っていました。
また、普段はAのことを忘れて生きていることも「現在も持ち続けている」に当てはまらないのではないかと思いました。
けれどその二つを認めてしまうと「特殊」ではなくなってしまうと思いました。
私はまるで「本物」のイマジナリーフレンドを持っているかのように振る舞いました。
Aについて得意げに友人に話してみたりもしました。
それがどんなに愚かなことであったか、今思い出しても吐き気がします。
不安定な私は自分が「特殊」であるという言説を探しては縛られ探しては縛られを繰り返していました。
いつの間にかどんどん縛られて、とても窮屈になっていました。
イマジナリーフレンドが「本物」ではないということも、誰にも言えませんでした。
私はAを何度も喋らせてみようとしました。でも駄目でした。どうしても喋ってくれませんでした。台本通りにしか喋ってくれませんでした。
私の空想は死んでいました。命がありませんでした。私の思うようにしか動かず、喋りませんでした。
孤独でした。
少し話は変わりますが、私は創作が趣味でした。
同じ創作者と交流したりTwitterを見ていると、「キャラクターが勝手に喋るので文章を考える必要がない」と主張する創作者がたくさんいます。
私のいた界隈ではそれが普通、一般であり、創作者としての理想の姿である風に扱われていました。
そうでない者は「真の」創作者ではなく、可哀想な奴であるかのように見られていました。
私はもちろん、「そうでない者」でした。
前述の通り、私の空想は死んだ空想です。私がシミュレートしてやらないと動きも喋りもしてくれません。私の創作は頭からつま先まで全て私が私一人の人格として頭で考えたものでした。
私は私の創作のことを不自然な人工物のようだと思っていました。「真の」創作ではない、命の通った創作でもない、死んだ創作。
ここで話は前の話、イマジナリーフレンドの話と繋がります。
キャラクターが勝手に喋る。そのキャラクターはきっと、イマジナリーフレンドのようなものなのだと思います。いや、おそらく同じものでしょう。私はどちらの現象もできたことがないので想像することしかできませんが、「できる」人たちの言動を見ているとかなり似ているのです。同じように見えるのです。
私は創作の世界でも「できない」人間だったのです。
「キャラクターが勝手に動く」「イマジナリーフレンドが○○と言ってくるから困る」そのような感覚が理解できませんでした。
できないことを恨み、できる人に嫉妬しました。私が持っていないものを当然のように持っていて、それを幸せそうに楽しんでいる人々を激しく憎みました。
可哀想な奴だと思われたくなかったので、「できない」ことを隠し、まるでできるかのように振る舞いました。死んだ創作に命があるかのように振る舞いました。そして憎みました。
愚かしい茶番でした。
成長もなく、前進もなく、今でもその状況は変わっておりません。できる人々を憎むことはなくなりましたが、コンプレックスはありますし、「できない」ことを周囲に隠して振る舞っている事実も変わりません。
Aも今も私と共にありますが、相変わらず「死んだ」イマジナリーフレンドですし、私が「喋らせたい」と思ったことしか喋ってくれません。
イマジナリーフレンドに命があるという考え方が好きなのに、命があった方が楽しいと思っているのに、どうしようもなく孤独で。寄り添ってくれる者を求めているのに、Aにもキャラクターにも命など感じられず、信じられない。
どうやっても「できる」ようにはなれず、周囲には「できる」人が溢れていて、対して私は孤独で、死んだ創作をしていて、そんな状態のままこの先も生きていくしかない。
イマジナリーフレンドも創作も私の孤独を救えないのです。
私の空想は死んでいるのです。
今回はそんな話でした。
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