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両極があることが大事なのかもしれない

オフラインとオンライン、それぞれの体験価値について考えさせられることが多い、今日この頃。

私自身はもともとインターネットショッピングの仕組みとデータを売るビジネスからキャリアを始め、東日本大震災をきっかけに一気にリアル・対面の教育や人材開発の世界に飛び込み、生きてきました。教育の世界でも特に体感型のワークショップや、地域でのフィールドワーク、冒険教育とも言われるような自然の中でリーダーシップを磨くプログラムなど、参加する個人にとって認知の振れ幅が大きくなる場づくりをやってきました。

それが今はオンライン上での対話やワークショップの主催・参加を繰り返していますし、仕事も約半年フルリモートで続けていて、これまで想像すらしていなかったオンライン体験から、沢山の気づきや学びを得られている感覚があります。このきっかけがなかったらつながらなかったであろう人たちともオンラインでたくさん出会えました。

越境やカオスという言葉が最近私の周りでよく目に入ってくるのですが、やはり、極端に自分の日常から遠いところにある人やモノに触れることは自分自身の幅を広げてくれる可能性に溢れています。そしてそういった幅のあるものを受け入れつつ、自分は自分としてあり続けるという、一見矛盾するような状態を許容できる幅や余白を自分の中や場として持てることが大事なんだと最近思います。

極に振るということは、深呼吸するようなもの。吸うと吐くという行為自体が対になってひとつの活動です。陰があるから陽がある。身体性も大事だし、言語化することも大事。言葉にならないものも言葉自体も大事にする。ものごとの両面性はそれぞれの良さを活かす、というような話ではなくて、どちらも必要で両方があるからこそ成り立つ、ということなんだと思います。

結論はありませんが、そんなことをもやっと考えました、というお話でした。貨幣経済に対して幸福を求める私たちの感覚や、都市から地方へという話にも自分の中ではつながる気がします。世の中や普段の暮らしの中でも決めつけや排除があるときにはあえて逆張りをしてみる、逆の必要性を思い出しながら、反対側を排除しない。そんな感覚でいたいものです。

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