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【人体改造カラダコラム vol.28】

人体改造カブ式会社とは、札幌駅前通地区全体の健康=エリアヘルスマネジメントに取り組むプロジェクトです。28回目のコラム執筆者は、シャチョーの照井レナさんです。

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 “○○-1(ほにゃ‐ワン)グランプリ”なるものが、世の中にはあまたあります。ほにゃ‐ワングランプリブームの始まりは、ご存知の通り、2001年からの漫才頂上決戦“M-1グランプリ”ですよね。

 今年11月21日、後志(北海道)の蘭越町で、 “第10回米-1グランプリinらんこし決勝大会”が開催されました。昨年はコロナ禍により催さず、11年目の今回が第10回のメモリアルイヤーとなりました。ひょんなきっかけで、私照井は、増員した枠で特別審査員を仰せつかったのであります。

 同じく特別審査員には、審査に使用する炊飯器メーカーPanasonicのライスレディという炊飯器を研究している方もいらしていました。日本のお米の銘柄は800種以上もあるそうですが、そのうち63銘柄に限っては、「銘柄炊き分けコンシェルジュ」という機能のついた今どきの炊飯器が上手に炊いてくれるのだそうです。少し値の張る炊飯器ですが、毎日使いますし、美味しいご飯が食べられると思えば惜しくはないかしら。


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 「稲」「米」「飯」は、例えば英語圏では全て[rice]という同一の単語で扱われますが、日本語では、植物としての全体と実、収穫前と収穫後さらに調理前と後など、使い分けが多様な語彙があるのが特徴です。それだけ人々の暮らしに広く深く入り込んでいる証でしょう。

 米は、食料として重要であるだけでなく、米食文化においては経済的に特殊な意味を持っていました。長らく租税(租や年貢)として、それから、マツケンさんなどの時代劇にもよく出てくる石高制に代表されるように、ある地域の領主や、家の勢力を示す指標としても使われてきました。

 私は秋田の出身ですが、画家のレオナール藤田(1886-1968)のパトロンの一人が地元の米問屋だったことを知り、この当時のお米の価値は高く、米問屋がいかに豊かだったかを知ったものでした。「秋田」という名の通り、明治の初め、藩政時代、雑穀食を強要された地域とは事情が違い、「県民は山間僻地でも白米を食していた」のです。もちろん、雑穀の生産が少ないこと、為政者の締めつけが然程ではなかったこともあったからですけれど…。

 そういえば、今年10月、為政者A氏の「平均気温が2度あがったおかげで、北海道のお米はおいしくなった」という発言がありました。そうじゃないですよ。これまで北海道の生産者が努力し技術を磨いてきた成果ですよね。



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 さて、“米-1グランプリ”は、本州の米と比べ、北海道米がどれぐらいの位置にいるのか確かめたいという思いから始まったのだそうです。予選審査は、全国の調理専門学校等の生徒や教師等による官能審査で、上位30品に絞られます。ですから、決勝審査に並ぶお米はどれも美味しく、加えて、トーナメント戦1回につき5~6品を9回審査するので、本当に優劣つけがたいのです。ついには、消費者の一人としての自分の官能(好み)にかけるしかありませんでした。

 今回、ある出品者が、「成分分析のみの審査には疑問。官能審査があり、消費者の声をそのままいただくような形式だから米‐1に出品している」と言っておられました。審査の裏方では、炊き方“お釜ガール”、盛り付け方“おへらガール”、運び方“お盆ガール”が取り仕切ってくれていました。今回はコロナ対策の一環として、実行委員長手作りの素晴らしいおかもちも登場し、審査用のご飯が運ばれてきました。米‐1グランプリは、本当に温かいふる里の雰囲気、ほっかほかのご飯を食べている消費者を体現したイベントだなぁとつくづく思いました。

 今年は、295の出品があり、決勝に残った30品は、南は熊本県菊池市から北は北海道士別市が産地でした。その頂上に立ったのは、岐阜県下呂市の曽我康弘さんの「いのちの壱」。とても大粒で見栄えし、つやも香りも抜群、食べて甘く、粘り、噛み応えもありました。曽我さんは、「前回の受賞以来、消費者に安全でおいしいコメをどう届けるか、寝ても覚めても考えてきた。」と仰っておりました。「米」という字は、八十八と書きます。お米を作るまでに88行程の作業があるからだと言われています。米の収穫が終わり、いよいよ農閑期と思いきや、おそらく曽我名人は、この行程について寝ても覚めても考えていることでしょう。

(シャチョー 照井レナ)

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