やっさんのたった二つの自慢話

高瀬 甚太

 木枯らしの吹く季節になると、思い出すんだなあ、梅さんを――。立ち飲み屋「えびす亭」の常連、安元さん、通称、やっさんは、そうつぶやいて懐かしげな顔で酒を呷る。
 立ち呑みの店は長居をする人が少ないのが特徴だけれど、やっさんは足が丈夫なせいか、立ちっぱなしでいても一向に平気で、立ちっぱなしのまま、たいてい三時間ぐらいは呑んでいる。その間に、隣りに立つ人はどんどん変わっていく。そんな中の一人に梅沢弘毅、通称、梅さんと呼ばれていた、やっさんと同年代の人がいた。
 梅さんは中肉中是、年齢が五十を超えたばかりの、すべてにおいてごく平均的でどちらかといえば印象の薄い人だった。話題に乏しく、人の話を聞くのが趣味のような人だったから、話好きのやっさんにとっては有難い人だった。
 やっさんの自慢は、中学生時代にマラソンで大阪府下五位になったことと、息子が京大に受かったこと。この二つを話したくて、それが自慢でえびす亭に来ているようなところがあったから、隣りに人が立つと、だれかれ構わず話しかけ、おもむろにマラソンの話をし、息子の話に持っていく。中にはやっさんに何度となく聞かされている人もいて、「タンマ! やっさん、その話、五回目や。勘弁して」と手を振り、逃げて行く人もいた。
 でも、梅さんは違った。梅さんの印象があまりにも薄いものだから、やっさんは、気が付かなくて、何度も同じ話を繰り返し、話してしまう。それでも梅さんは嫌な顔一つ見せず、いつも熱心にやっさんの話を聞く。
 「こう見えても中学時代は足が早くてね。短距離は今一つだったけど、長距離は得意だったね。陸上部に入ったばかりの頃は、背が低くて目立たなかったから、なかなか選手に選んでもらえない。大阪府下の中学生陸上競技大会が二年生の時にあって、マラソンに出場する選手が腹を壊して出場できなくなったんだ。学校のエース的存在の選手だったから監督は大慌てで、補欠の中から人選することになったがめぼしい者がいない。三人候補が上がったけれど、三人とも理由を付けて辞退した。とてもエースの代わりは務まらない。そう思ったからだろう。誰か、出場したい者はいるか、監督が言ったので俺は思わず手を挙げた。監督は俺を見て、『何だ、安元か』とガッカリしたような顔をして言うんだ。『他に誰かおらんのか?』、監督が言ったけれど、誰も手を挙げない。仕方なく監督は俺を指名して、『安元、せめて二〇位に入ってくれ。エースの山田が走っていたら十二位は間違いない。頼む』と俺に手を合わせるんだ。大会の日、マラソンは午後二時のスタートだった。スタート地点に立ったけど、誰も応援に来ていなくて、監督さえも短距離の方へ行っていて姿を見せない。誰も期待してくれていないんだな、と思ったよ。
 スタートすると足が軽かった。俺、練習だけはよくしていたからな、総勢八〇人ほどの中学生ランナーが走るんだ。強豪がそろっていたから、監督が期待していなくて当然だった。四二・一九五キロ、長い距離だ。俺は、優勝候補の選手をマークして、その選手の後ろについた。十五キロぐらいでトップ集団は二〇人ほどになった。もちろん俺はその集団の中に入っていたよ。二〇キロで一〇人ほどになって、三〇キロを過ぎると、トップ集団は六人になった。優勝候補をマークしていた俺はもちろんその中に入っていた。
 期待していなかった俺が三〇キロを過ぎて、まだトップ集団にいることを知った監督は、慌てて駆け付けて、走っている俺に、あれこれ指図するんだ。その時の言葉、今でも覚えているよ。『走れ! とにかく走れ』、だものな。ゴールには信じられないぐらいたくさんの人が待っていた。ゴール前五〇〇メートルまで三位だった俺は、ゴール直前、足に痙攣を起こして二人に抜かれ、五位になった。
 俺は一躍ヒーローになったよ。監督の態度は変わるし、部員たちの俺を見る目も変わった。女の子にだってもてるようになったものな――。
 陸上競技は中学三年になった時、やめたよ。足を疲労骨折したことが原因だったけれど、目指していた高校が進学校だったので、マラソンの練習をしている時間がなかった。でも、目指していた高校に落ちてしまった。俺は結局、二番手の高校に進学し、大学も私立の中途半端な大学で終わったけれど、息子が立派に仇を討ってくれた。
 息子は、俺の入れなかった進学高校に入学し、ストレートで京都大学の経済学部に入った。さすがは、俺の息子だと、その時、思ったよ」
 何度聞いたか知れないその話を梅さんは、相槌を打ちながら、「ほぉー、すごいですね」とか、「それは腹が立つ」、「いやいや、よくわかります」と言った感じで丁寧に対応した。やっさんは梅さんと一緒に呑んでいる時だけは、最高に幸せだった。

 「梅さん、やっさんの話、毎回、よく付き合いまんなあ。わしら、一回、聞くのだけでも辛抱でけへんのに」
 えびす亭の面々は、梅さんに同情するが、梅さんは笑って、
「やっさんのたった一つの自慢話のようですから、丁寧に聞いてあげないと」
と言う。
 そんなこともあって、梅さんは、優しい男だ、というのがえびす亭では定説になった。
 大人しくて、寡黙で、これといった特徴に乏しい梅さんだったが、ある時、一度だけだが、えびす亭で怒りをあらわにしたことがある。
 いつものようにほろ酔い加減のやっさんが、隣に立った客に、自慢話を語ろうとした。すると、その男、やっさんに向かって怒鳴った。
 「お前の自慢話なんぞ、聞きとうないわ! わしは気持ちよう、酒を呑んでるんじゃ。話をしたかったらどこぞ、よそへ行け!」
 六十を少し超えたぐらいの客だった。虫の居所が悪かったのだろうな、と誰もが思ったが、それにしても、もっとやっさんを傷つけない言い方はないものか――。店の客の誰もがそう思っていた時だった。
 「お客さん、その言い方はないんじゃないですか。ここは呑み屋ですよ。酒を呑んで憂さを晴らすところじゃありませんか。やっさんの自慢話は、やっさんが日頃、抱えているたくさんの鬱憤、会社でのこと、息子との確執――。さまざまなことを自慢話に置き換えて、喋っているんです。断るなら断るで、もう少し、思いやりのある断り方をしてくださいませんか」
六十歳を少し超えたぐらいの客は、梅さんに言われて、初めこそ口をひん曲げていたが、しばらくすると、やっさんに向かって、深く一礼し、
 「やっさん。ごめん。きつい言い方をして悪かった」
 と謝り、「そやけど、話はもう勘弁して」と言って舌を出した。
 それを見て、客のみんなが笑った。梅さんも笑った。

 やっさんはその夜、感動していた。梅さんが自分をかばってくれた言葉、あれはまさしく、やっさんの気持ちのすべてを代弁してくれていると思ったからだ。
 二流大学を卒業して就職した中小企業の金属会社で、やっさんは一生懸命働いた。でも、おべんちゃらの一つも言えないやっさんでは、営業が務まらず、かといって、会社でただ一人の大卒社員を工員にはできない。そこで、温情な社長の計らいでやっさんは総務の担当になった。可もなく不可もなく勤め上げて今年で三〇年、課長にこそなったものの、従業員五〇人足らずの会社だ。大したことはない。それに定年まであとわずかだ。定年後のことも考えなければならない。
 結婚五年目に得た息子は、やっさんの期待通り、いや、期待以上に成長し、やっさんが行きたかった名門高校への進学をすんなり決め、やっさんが憧れた京都大学への進学も決まった。やっさんは、お祝いに息子と一緒に乾杯しようと思っていた。祝杯を上げて息子の将来を祝いたかった。でも、高校を卒業する頃から息子とはほとんど口を利いていなかった。やっさんは話をしたかったのだが、息子がやっさんを敬遠した。大学へ入るとそれはさらにひどくなった。女房とは楽しく話すのだが、やっさんの顔を見ると逃げるようにその場を去って行く。
 大学を卒業したやっさんの息子は、一流企業に就職し、東京に転勤した。海外勤務を経て、ようやく大阪へ帰って来たのがつい最近のことだ。結婚をすることになって、家へ未来の嫁を連れてきたけれど、それはやっさんの留守の時だった。それを知ったやっさんは、
 「なんであいつはおれの留守の間に嫁を連れて来るんだ」
 と、女房に文句を言った。
 「忙しいらしくて、その時間しか取れなかったらしいよ」
 と女房は弁解したが、やっさんの怒りは収まらず、それよりも何よりもやっさんは寂しかったのだ。
 結婚式は来月初めに決まっていた。やっさんは息子の幸せを人一倍望んでいたけれど、息子はやっさんのことをあまり考えていないように思えた。結婚するまでに息子と話がしたい。いや、一緒に呑むだけでもいい。やっさんのそんな気持ちが、やっさんにマラソンの話と息子の話を語らせていたのだ。やっさんの自慢話は、その二つだけしかなかった。

 梅さんの体調が思わしくないと、やっさんが訊いたのはほんの数日前のことだ。そういえば、梅さんはここのところ、えびす亭に顔を見せていない。やっさんは梅さんがいないとえびす亭にいてもいつもしょんぼりしている。三時間ぐらい立っていても平気なやっさんだったが、梅さんがいないと一時間でへばってしまう。何より、やっさんの唯一無二の自慢話を聞いてくれる人がいなかった。
 梅さんが梅田の総合病院に入院していると聞いたのは、えびす亭の常連の一人、看護師の蒲田という女性からだった。蒲田は、梅さんの入院している病院で働いていて、病院の廊下で偶然、梅さんに会って驚いたと、やっさんに話した。
 やっさんが、「梅さんはどんな感じでしたか?」と聞くと、蒲田は顔をしかめて、
 「あんまりええことないですね。梅さんの担当の医師を少し知っているんですが、厳しいと言っていましたし……」
 と言う。
 それを聞いたやっさんは、梅さんの見舞いに行きたいと思い、蒲田に病院のことを詳しく聞いた。
 やっさんの家は大阪府の守口市にある。京阪電車で京橋から十数分の距離にあり、駅からもそう遠くはなかった。就職して三年目に見合いをして結婚して、結婚した翌年、やっさんは家を買った。建売の中古の住宅だったが、思いのほか安く買え、定年を待たずしてローンを払い終えることができた。
 娘は五年前に結婚し家を出て、今は名古屋に住んでいる。どういうわけか、月に一度は帰って来て、女房にあふれるほどの愚痴を語って帰る。
 「ストレス解消もいいけどさあ、私がたまらんわ」
 娘が帰った後、決まって女房がやっさんに愚痴るが、やっさんの女房はそれを嫌がっているふうではない。むしろ娘が帰って来ることを喜んでいる節があった。
 一杯呑んで帰ると、やっさんはいつも上機嫌で、女房に今日一日のいろんな話をする。その日、やっさんは、女房に梅さんの話をしようと思った。ところが、やっさんが話そうと思ったその瞬間、やっさんは、自分が梅さんのことを何も知っていないことに気が付いた。えびす亭で一緒に酒を呑む、気のいい、大人しい寡黙な、自分と同年代の人――。それだけしか知っていなかった。やっさんは梅さんに失礼なことをしていたのだと思い、病院へ見舞いに行った時、少しでもそのことを尋ねてみようと心に決めた。

 梅さんを見舞う予定にしていた土曜日はすぐにやって来た。やっさんはその日、朝早く起き、近くの公園までジョギングをして、家に戻った。家に戻ると女房が朝食の用意をして待っていた。トーストとインスタントコーヒー、トマトを食べて着替えをした。やっさんの女房はとても世話好きで、鷹揚な性格に特徴がある。やっさんは、女房のそんなところが気に入っている。梅さんの見舞いに病院へ行くと、二、三日前から女房に言っていた。やっさんが家を出ようとしたら、「これ、忘れないでね」と言って、お見舞い用の花束をやっさんに渡してくれた。
 好天気だった。十一月末とは思えないほどの上天気に、花束を持つやっさんの気持ちは晴れ晴れとしていた。木枯らしが吹いて、襟を立てなければならいほどの寒さだったけれど、その風が頬に心地良よかったことにやっさんは気をよくしていた。
 病院に入り、蒲田に教わった階の号室にエレベータで向かった。梅ちゃん、驚くだろうなあ、やっさんはそんなことを思いながら病室の扉を開けた。
 四人部屋の一番奥のベッドと聞いていた。足早に歩いて梅ちゃんのベッドの前に立つと、梅ちゃんはいなかった。それどころか布団もない。やっさんは隣のベッドの患者に聞いた。
 「こちらの梅沢さんですが、どちらへ引っ越しされたかご存じありませんか?」
 隣の患者は、驚いたような顔をしてやっさんを見ると、
 「そちらの方は一昨日お亡くなりになりました」
 と途切れ途切れにやっさんに告げた。
 やっさんは手にした花束を下に落とし、空のベッドを呆然と見つめた。

 やっさんは、梅さんの葬儀に、蒲田と共に出席した。梅さんの笑顔が眩しい葬儀写真が会場全体をやさしく見つめていた。
 何度も何度も、初めて聞くようなふりをして、やっさんの話を聞いてくれた梅さん――。
 「早すぎるやないかーっ!」
 祭壇の前に立ったやっさんが、遺影に向かって叫んだ。
 葬儀を終えて会場を出ようとすると、やっさんを呼び止める人がいた。
 「安元さんですか?」
 黒の和服を見て、やっさんはそれが梅さんの奥さんだとすぐにわかった。やっさんが「はい」と返事をすると、
 「わざわざお出でくださいましてありがとうございます。生前中、主人がお世話になりまして……」
 梅さんの奥さんの突然の挨拶にやっさんは戸惑った。
 「いえ、お世話になっていたのはこちらの方です。このたびはご愁傷様で……」
 後の言葉が出ず、一筋の涙が頬を伝った。
 「安元さんがもし、来られたらこれを渡してくれ、と主人が……」
 梅さんの奥さんは、手に持っていたノートをやっさんに手渡した。
 「入院中に書きつづったもののようです。主人は詩を書くのが大好きでしたから」
 やっさんは有難く受け取って、その場を後にした。これ以上、ここにいると、もっとみっともない姿を梅さんの奥さんに見せてしまいそうだと思い、足早に会場から姿を消した。
 その夜、やっさんはえびす亭に行かなかった。えびす亭に行かず、家で梅さんの冥福を祈ることにした。
 傷心のやっさんを気遣って、やっさんの女房がやっさんのグラスに酒を注いだ。その酒を一息に呷って、やっさんは梅さんの奥さんに手渡されたノートを開いた。
 梅さんの性格そのものの丁寧な書体で、文字が書かれていた。やっさんの女房が、
 「私に読んで聞かせて」
 と言ったので、やっさんは、声に出して、その詩を朗読した。

  いつかまた、会えるだろうか――。
  いつかまた、一緒に呑めるだろうか。
  あなたの自慢話は、私の自慢話。あなたの話を繰り返し聞きながら、
  私は知らず知らずのうちに回想していた。
  高校時代、私の詩が学生文芸コンクールで入賞したこと、中学時代からずっと愛し続けてきた妻に、ありったけの気持ちを訴えて、返事を得た二十五の夏――。
 それほど多くはないけれど、自分の中にもあった、かすかな自慢。
 何もかもが物足りないぐらいに平凡極まりない私の人生。でも、確かに私は生きた。その記録が自慢話の中にある――。
 あなたの話を聞きながら、思った。今がどれだけ辛くても、今がどれだけ悲しくても、私には自慢できる過去がある。
 詩と妻――。この二つが私の人生の金字塔だ。
 あなたにありがとうと言いたい。何もないと思っていた私に、素晴らしいものがあったことを気付かせてくれた。
 あなたの自慢は、私の自慢だ。
 いつまでも自慢話を続けてほしい。

 やっさんの朗読がやっさんの妻を泣かせた。朗読しているやっさんも泣いた。その夜、やっさんは女房に梅さんの話をした。自分の自慢話をいつも笑顔で聞いてくれた梅さんのことを――。

 しばらくの間、やっさんはえびす亭にいても何となく寂しそうで、酒を呑んでいてもつまらなさそうに見えた。
 木枯らしが吹き荒れた夜、えびす亭はいつになく人が少なかった。梅さんが亡くなって、四十五日が過ぎようとしていた。
 「梅さん、あなたの冥福を祈るぞ」
 やっさんは言葉に出すことなく、静かにジョッキを掲げ、それを呑み干した。空になったジョッキに、誰かがビールを注いだ。やっさんは驚いて、ビールを注いだ相手を見た。
 「父さん、もっと呑めよ。そしておれに自慢話を聞かせてくれ」
 息子の高志がそばにいた。
 「おまえ、どうして――」
 「母さんに聞いたんだ。この店で父さんが俺の自慢話をしているって」
 女房に、梅さんとの一部始終を話したことを思い出した。それで息子がここへ来たのか。
 「母さんが言ってたぜ。自分の自慢と息子の自慢話、私の自慢はしてくれないのかって」
 やっさんは、息子の顔をじっと見た。息子に会うのは久しぶりだったけれど、息子は何一つ変わっていないように見えた。子供の頃のままだ。おれに甘えて、おんぶをしてくれだの、肩車をしてくれだの――。その時のままだ。こいつはいくつになってもおれの息子だ。自慢の息子だ。
 「みなさん、これが私の自慢の息子です」
 立ち呑みの客たちが一斉に息子を見た。
 「この子が、この立派なお方が、やっさんの息子かいな」
 「へえ、トンビが鷹を生んだちゅうたらこのことや」
 「息子さん、あんたの自慢話、お父さんから耳にタコが出るほど聞かされてまっせ」
 息子に向かって客たちが言った。そのたびに息子は、
 「お父さんをよろしくお願いします」
 と頭を下げてまわった。それを見て、やっさんは、心の中で思った。
 「梅さん、あんたにうちの息子を見て欲しかったよ」
<了>


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