死に逝く者たちへ

高瀬 甚太
 
 毎朝、決まった時間の電車に乗ることで私の一日が穏やかにスタートする。だが、この日、私は一台遅れの電車に乗ってしまった。わずか15分の差なのだが、ただそれだけのことで、ホームも車内もずいぶん雰囲気が異なることに気が付いた。
 午前6時44分発の急行に乗ると大阪梅田には7時15分に到着する。ホームの混雑も車内の混み具合もさほどではない。もし座席に座ることが出来なかったとしても、途中の駅からなら悠々と座ることができる。どちらにしても梅田まで30分程度なので立ちっぱなしであってもどうということはなかった。
 ところがこの日は家を出る前に思いがけないトラブルが生じた。玄関に置いていた靴の片方が消えていたのだ。昨夜、帰って来た時、玄関に両方揃えて脱いだことをしっかりと記憶している。だが、今朝、家を出ようと思った時、片方しか靴がなかった。家の者に尋ねると、誰も知らないと首を振る。そりゃあそうだろう。悪戯でなければ、片方の靴をどうこうしようなんて誰も考えない。
 散々探したが見つからなかったので、旧い靴を履いて出かけることにした。そんなドタバタがあったことで、いつもの電車に乗り遅れてしまった。
6時44分の次は7時、駅に到着するとやたらと人が多いことに驚かされた。わずかな差でこれだけ違うものなのかと驚きながら電車の到着を待った。
電車が到着し、ドアが開くと車内に一斉に人がなだれ込む。まったく身動きが取れないほどのぎゅうぎゅう詰めだ。いつもなら電車の行き返りに本を読むのだが、読書はおろか携帯電話も手に出来ない。それほどに超満員だった。
 次の駅でドッと人が降りた。ホッとしたのもつかの間、今度は倍以上の人が乗り込んできて、私はさらに車内の奥へと押し込まれた。
 この時点で私は、何かがおかしいということに気付くべきだった。だが、この時の私にはとてもそんな余裕はなかった。次の停車駅に到着して1分か2分ほどしてからのことだった。
 人ごみの中に押し込まれた私の体が不意に浮き上り、わずかだが、両足が電車の床から離れたような気がした。足を下ろそうとするのだが、周囲の人込みに押されて思うように体が動かせない。仕方なくそのままの姿勢でいると、今度は周囲にいた人間たちが私の体を支えるようにして上へ上へと上げようとするではないか。とうとう私の頭が電車の天井に着いてしまった。
 混み合う車内を見下ろすようにして叫んだ。
 「すみません。下ろしてもらえませんか」
 だが、周囲の人間は私の言葉にまったく耳を貸そうとせず、さらに上へ上へと押し上げようとするではないか。しかもその様子が何となくおかしい。普通ではなかったのだ。周囲の人間全員が無表情でまったく精気が感じられなかった。その上、誰も言葉を発しない。
 電車は、当然、停まるべきはずの次の駅には停車せず、そのまま猛スピードで走り続けた。とうとう私は体ごと天井にへばりつくところまで押し上げられてしまった。
 終点が近付いても電車は一向にスピードを落とさず、さらに猛スピードで走り続ける。天井にへばりついていた私は恐怖のために「わぁっ!」と叫んだ。
 その途端、ガクンとスピードが落ち、私は天井から床に叩きつけられるようにして落下した。
 気が付くと、周囲にいた人間たちすべてが消えていた。車内アナウンスが終点の駅を告げている。そのアナウンスを聞きながら電車を降りた。
 ホームで車掌を見つけると、すぐさま今、電車の中で起ったた出来事を詳細に話して聞かせた。だが、車掌はまともに取り合おうとしなかった。車内で居眠りをして夢でもみたのだろうと思ったようだ。
 夢などでは決してない。そのことを懸命に説明するのだが、車掌は笑うばかりで一向に取り合おうとしない。これ以上、話しても仕方がない。そう思った私は憤懣やるかたない表情で駅を出た。
 事務所に着いて、ようやく落ち着いたものの、あれは一体何だったのだろうかと、車内での体験を降り返った。恐怖心と腰の痛みがその真実を如実に物語っていたが、多分、誰に話しても信じないだろう。そう思った。それほど奇妙な体験だった。
 その日、私は終日、気分が落ち着かなかった。仕事が進まないので早めに切り上げると、気を紛らわせるために駅近くにある居酒屋に向かった。
 常連にしている立ち飲みの店だった。カウンターに立ち、いつものように瓶ビールを注文し、マグロの造りとおでんを注文した。グラスにビールを注ぎ、一気に煽るといくらか気分が落ち着いた。
 店の客は私と同年代の男性が多かった。一人でやって来る客がほとんどで、みんな、もの言うことなく黙々と酒を呑んでいる。そんな時のことだ。私をじっと見つめる熱い視線を感じた。
 半円状になったカウンターの向かいに立つ男性がじっと私をみている。知り合いかなと最初は思ったが、どう見ても心当たりのない顔だ。人を見つめる癖のある人なのだろう、そう思い直し、無視をしてビールを呑んでいると、突然、向かいにいた男性の顔が大きく縦に変化した。ギョッとしてその男を見ると、今度は目が飛び出て口から血が垂れている。しかも、その血が服にかかり、鮮血がポタポタとカウンターに滴り落ちているではないか。
 「ワァッ!」
 恐怖のあまり叫び声を上げ、思わずビールを吐き出した。一斉に周囲の人たちが「大丈夫か?」と私に声をかけた。店のマスターまでもが「どないかしやはりましたか?」と声をかけてくる。引きつった表情の私は、目を開けることが出来ず、向かいの男を指差して、「あそこ、あの人――」と言うのが精いっぱいだった。しかし、その時、すでに男はそこにはいなかった。
私は隣にいた男に、
 「向かいにいた人を見ましたよね?」
 と聞いたが、その男は、首を振り「いいや」とそっけない返事をした。店にいた他の人にも聞いたが、誰もそんな男は見ていないという。見たのは自分だけだったのか、そう思った私は、その時、突然、今朝の出来事を思い出し、嫌な気分に陥った。
 立ち飲みの店を出て、気分が悪かったのでそのまま帰ることにした。梅田に着き、電車に乗ろうとした時、ホームが異様に混雑していることに気が付いた。
 「どうかしたんですか?」
 と駅員に尋ねると、駅員は、
 「人身事故で電車が大幅に遅れています」
 という。
 混雑の原因はわかったが、これではまともに乗ることが出来そうにもない。通勤の帰宅時間と遭遇したせいか、ホームも電車も混雑の極限に達していた。
 時間をずらして乗車するため、もう少し街を散策することにした。
梅田の繁華街をぶらつき、一軒の喫茶店に立ち寄った。コーヒーを注文し、読みかけの本を取りだした時のことだ。
 「この席、空いていますか」
 と声がした。周囲を見るが誰もいない。気のせいか、と思い、再び本を読み始めると、また、「ここ、空いていますか」と声がした。読書に夢中になっていた私は、活字を追いながら「どうぞ」と言った。しかし、その時、私は相手の存在を確かめておらず、誰が座ったかということすら気付かずにいた。
 途中、コーヒーを飲むために活字から目を離した井森私は、そこで初めて自分の目の前に一人の男性が座っていることに気が付いた。
 どこかで見た顔だ、と思ったが思い出すことができなかった。
 再び、本を読み始めた時、
 「あのー……」と声がした。
 顔を上げると、目の前の男の口から血がしたたり落ちた。肩からも胸からもだ。それを見て、私は恐怖のあまり席を立った。
 目の前にいた男は、先ほどの立ち飲み店で向かいにいた男と同一人物だった。
 立ち上がった私が再び、男に視線をやると、いつの間にか、その男は消えていた。恐怖のために体を震わせながら駅に急いだ。先程の混雑は収まっており、駆け抜けるようにして改札口に入り、電車に飛び乗った。
 人身事故の余波はまだ続いているようだったが、私の乗る路線はすでに正常に戻っていた。それにしても人身事故のニュースを最近、よく耳にする。年間三万人と言われる自殺者の中にどれだけの鉄道自殺者が含まれているのか、その詳細を耳にする機会はほとんどなかった。
 席に座り、ぼんやりと本を眺めていると、
 「これ、見ていただけませんか?」
 と、隣の客に声をかけられた。ずいぶんフレンドリーな客だなと思いながら、男の差し出したものを見た。するとそれは一枚の写真だった。
 「これがどうかしましたか?」
 写真に写っていたのは、声をかけてきた当の本人だった。疲れた表情の男は、私の質問に気をよくしたのか、滔々と語り始めた。
 「私、これでも昨日まで会社の社長をしていたんですよ。従業員五十人の鉄工所でしてね。親の代から二代続く老舗の会社でした。一時は羽振りがよくてね。これ見てくださいよ。これは従業員全員を連れてハワイへ慰安旅行に行った時の写真です。すごいでしょ。ところが、この二、三年、景気が悪くなりましてね。ボーナスどころか給料を払うのも苦しい状況で、とうとうこの間、倒産してしまいました。家族に迷惑をかけられませんからね。昨年、妻や子どもと離縁し、一人になりました。五十人いた社員も倒産する時は十人程度になって……」
 中年男が私に見せた写真には、ハワイで遊ぶ、その男と社員たちの楽しく幸せな様子が写っていた。
 「大変でしたね」
 それだけ言うのが精一杯で、気休めの言葉など口にすることが出来なかった。その男は、
 「ありがとうございました。少し胸の支えが獲れたような気がします」
と言うと、席を立ちドアの方に向かった。その後ろ姿を見て、私はハッとして目を凝らした。男の肩口と背中に鮮血がにじみ出ていた。その時、立ち飲み店や喫茶店で見た男ではなかったかとふと思ったが、まさか、気のせいだろうと思い直し、胸の鼓動を押さえるために読書に集中した。
 自宅に帰り、玄関口で靴を脱ごうとした時のことだ。朝、出かける際に紛失していた片方の靴が両方揃って置かれていることに気が付いた。
 「この靴、どこにあった?」
 家の者に聞くと、「最初からありましたよ」と平然と言う。
 奇妙なことがあるものだと思いながら、衣服を着替え、食事をしながらテレビを観た。ニュースの時間らしく、キャスターが年々増加する自殺者について話し、
 『この日も悲惨な事故がありました。大阪市で鉄工所を営む会社社長が倒産を苦にして電車に飛び込み、その後を追うようにして一〇名の社員が集団自殺をしました』
 そのナレーションと同時に、生前の社長と一〇名の写真が画面に映し出された。
 「ウワァ!」
 その写真を見て、腰を抜かしそうになった私は思わず叫んだ。
 家の者が「どうかしたのですか?」と尋ねるが、すぐには応えられないほど、気が動転し、呆然自失した。
 画面に映し出された社長は、井森が立ち飲み店や喫茶店で見て、電車の中で話し掛けられたあの中年男性に酷似していた。しかも一〇名の社員というのは、よくよく見ると、紛れもなく朝の電車の中で私を天井に突き上げた男たちだった。
 
 翌日、私は、『死に逝く者たちへ』と題するエッセイを書いた。不況の中で、追い詰められ、死を余儀なくされた者たちの悲哀、その思いを代弁するべく、文章をしたためたのだ。
 文章を書き終えた後、ふと思った。
 昨日、私が出会った中年男性は、自らの絶望と苦しみ、その中で培った社員たちとの愛情、そのすべてを私に伝えて欲しかったのではないか。そう思い、少しでも供養になればと新聞社に投稿した。したためた原稿は新聞紙上で紹介され、ひととき話題になった。
 その後、その男たちに出会うことはなかった。しかし、ホームに立って、人身事故のアナウンスを聞くたびに、その男たちのことを思い出し、いつも悲痛な気分に襲われるのだった。
〈了〉


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