鬼たちが棲む魔界の絵画

高瀬甚太

 井森公平の知人に金子正信という金属会社の社長がいる。年齢は井森より少し上の五八歳で、父親の跡を継いで今年で三十年目になる。
 父親が急死したために、二八歳の年に若くして二代目となった。それまで親の庇護のもとで気楽な生活をしていた彼が、ある日突然、従業員五〇名を抱える社長となったのだ。その苦労は並大抵のものではなかっただろう。
その金子から井森の元に出版の相談があった。
 「母方の祖母の本を作ってやりたいのだが……」
 事務所にやって来た金子はそう言って井森の前に数枚の写真を差し出した。
 「これは――?」
 「祖母の描いた絵だよ」
 写真に写っているそれは、原色で描かれた、何とも奇妙な絵画だった。
 「祖母に言わせると魔界の絵ということになる」
 「魔界の絵?」
 「そうだよ。祖母はこれまで幾度も不思議な体験をしていてね。その体験を軸にして描いた絵がそれなんだ」
 「それにしても奇妙な絵ですね」
 佛教画のような色彩でもなく、想像画のようにファンタジーな趣もない。井森がかつて目にしたことのない絵がそこにあった。
 「祖母に言わせると、何者かの強い力で描かされたということになる。祖母が病気をして生死の境をさ迷った時、そこで見た風景がその絵だそうだ。祖母はそれを魔界だというが、どうだろうね。魔界なんてものが存在するかどうかわからないわけだし、祖母が実際に見たかどうかもわからない。ただ、そんな絵を祖母は五〇枚程度描いている。祖母のためにもその絵をまとめて形にして残してあげたい。そう思ってね」
 井森はその絵を観ているうちに、興味を抱き、
「わかりました。作りましょう」
 と金子に即答した。
 「作るにあたって、金子さんの祖母のお宅をご訪問したいと思っています。そこでまず、実物を観てみたいですね」
 金子は承諾して祖母の住所をメモして井森に渡した。
 
 瀬戸内海には無数の島が点在する。広島県に位置する瀬戸内海の島々の一つに鬼連島という島があり、その島に金子の祖母が住んでいた。新幹線で尾道駅で下車し、そこから小型船に乗って島に渡るのだが、船の便が極端に少なく、一日に三本しか運航していなかった。尾道で1時間ほど船を待った後、ようやく午後3時発の便に乗船することができた。
 乗員十人が限度の小さな船に乗り合わせたのは五人で、そのほとんどが老人だった。スピードを上げることなく小型船はのんびりと瀬戸内を走り、1時間半ほどで島に到着した。
 鬼連島と名付けられた所以は、桃太郎伝説の鬼が島に由来しているのだと乗り合わせた人に教えられたが、どうだろうか。瀬戸内海にはそういった伝説を持つ島は他にもたくさん存在する。
 島の人口は三〇〇人だと聞いていたが、船を降りて出会うのは老人ばかりで、若い人はむろん中年、熟年者にもほとんど出会うことはなかった。
 島には村が三村あり、そのうちの一つ、鬼恋村という村に金子の祖母が住んでいた。鬼恋村は島の中央に位置し、金子の祖母の家は田園地帯の中にあると金子から聞かされていた。港から、タクシーを利用して祖母の家に向かった。
 瀬戸内特有の温暖な気候が心地良く、潮風もまた爽快な気分を味わせてくれた。
 金子の祖母の家はすぐにわかった。田園を囲むようにして三十戸ほどの旧い農家が立ち並ぶ中で他を圧倒するようなひときわ大きな門を構える家があった。そこが金子の祖母が棲む家だった。
 檜をあしらった門は、鎌倉時代の建物を彷彿させるようで、丈夫でしっかりした造りになっている。
 タクシーを降り、門の前に立った井森は思わず思案した。訪問を知らせるインターフォンのようなものがどこにも見当たらなかったからだ。
 しかし、その様子をどこかで観察していたかのように、門がスーッと開き、井森は中へ招き入れられた。そして井森が家の中に入った途端、門は閉まった。
 「いらっしゃいませ」
 「大阪からやってきた井森と申します」
 と挨拶をすると、老婆は、
 「正信から聞いております。どうぞ中へお入りください」
 と井森を家の中へ案内した。
 金子の祖母は一人暮らしのようだった。それにしては立派な邸宅だなと感心していると、そこかしこから猫が数匹顔を出した。
 「この島は老人がほとんどでね。一人暮らしを紛らすために猫を飼っている家が多いのです。うちにも十数匹の猫がいますよ」
 案内された居間に座って待っていると、種類も大きさも、年齢もまちまちの猫が井森の訪問を珍しがってか、顔を覗かせ、井森の周りをウロウロと歩き回った、やがて、害がないとわかると、井森にそーっと近づいてきて、それぞれの猫が代わる代わる井森に体を擦り付け始めた。
 「これっ、あっちへ行ってなさい!」
 しばらくしてお茶を持って現れた祖母が一喝すると、猫たちはあっという間に部屋から消え去った。
 祖母はお茶を井森の前に置きながら、
 「私の描いた絵を本にしてくれると、孫の正信が言っていましたが、本当にいいんでしょうかね。私のような絵で……」
 そんな祖母の不安を打ち消すようにして、
 「よければ、作品の方、先に見せていただけませんか?」
 と井森が言うと、祖母は、「わかりました」と言って立ち上がり、奥の部屋へ向かった。
 祖母がいなくなると、再び猫がぞろぞろと顔を覗かせ、井森の周りに集まってきて、交互に体を擦り付け始めた。猫独特の匂いが鼻を射て、井森が思わず顔をしかめると、猫は井森が喜んでいるとでも思ったのか、ますます井森のそばから離れなくなった。十数匹の猫に取り囲まれるというのはあまり気持ちのいいものではなかった。
 「すみません、こちらへ来ていただけませんか」
 祖母の声が遠くでして、井森は奥へ向かって歩いた。すると、今まで井森を取り囲んでいた猫たちはどういうわけか、そのままの態勢で井森を見送り、1匹として井森の後をついてくる猫はいなかった。
 呼ばれて奥に向かうと、廊下を挟んでいくつかの部屋があった。そのうちの一番奥の部屋に祖母が待っていた。とてつもなく広い部屋だった。井森は思わず息を飲んだ。その広い部屋の壁全面に祖母の描いた絵が飾られていた。
 「すごい――!」
 形容する言葉のどれもが陳腐に思えるほどの絵の出来栄えに、井森は目を見開いた。
 「どうですか?」
 祖母が聞いた。井森は「すごいですね」と感嘆の言葉しか口にすることができなかった。
 「この作品を描いたのは三年前です。ひどい熱に冒されましてね、生死の境をさ迷ったことがあります。一週間目にようやく回復した私は、それまでほとんど絵を描いたことがなかったのに、突然、自分でもわけのわからない衝動に駆られて、描くというよりも描かされるといった状態で絵を描き始めました。全部で五〇点、これだけの作品を一カ月で描きました。それが本当に不思議で、今でも信じられないでいます」
 「その後、絵は描かれていないのですか?」
 「はい。その後はまるで描いていません。というよりも描くことができません。描こうと思う気持ちすら湧いてきません」
 壁に飾られた五〇点、すべてが見たことのない異様な景観、異質な空気感、極彩色の色彩に満ちあふれていた。見る者を異世界に誘い込むような激しさが感じられ、祖母の言う「魔界」という表現がぴったりの絵画のように思われた。
 祖母は描かされているといった感覚に従って絵を描いたといったが、それにしても不思議だった。それで祖母に確認した。
 「どうしてそんなことが起こったのでしょうか? 何か思い当たることはありませんか」
 「このような絵を私が描いたことが信じられなくてあれこれ考えました。でも、わかりませんでした。考えられることといえば三年前の病気で私は死の世界を覗き見たということだけです。そこで私は、夢を見たような記憶がかすかにあります」
 「夢……?」
 「そうです。今はもうほとんど記憶に残っていませんが、意識を取り戻した時、私は、その死の淵に立って、その時、見た夢を描きたかったのではないか、そう思いました」
 「夢の世界が魔界ということですか――」
 魔界とは、悪魔の世界をいうと辞書に記されてある。一休宗純和尚は、その書の中で、「仏界易入・魔界難入」つまり、仏界入り易く、魔界入り難しという言葉を残している。怨霊や妖怪などにまつわる伝説が残されている土地を魔界と表現すると、記した辞書もあった。
 「しかし、それにしてもなぜ……」
 その時、井森はその絵画の一つひとつに魔の世界の意図のようなものを感じ、思わず震撼した。何かが起こる前兆ではないか、そう予感したのだ。
しかし、すでに三年が経過している。何かが起こるならすでに起きていてもおかしくないはずだ。思い過ごしかもしれない。そう思い直して、眠りに就く祖母を見送って、画集のページ構成を考えることに没頭した。
 画集を制作する場合、単に絵を並べるだけでいいというわけではもちろんない。ストーリーというほどではなくても、読者の感性を刺激する流れを作らなければ本として成り立たない。
 祖母の描いた絵は全部で五〇点、サイズは統一されていて、すべて同型の額に収まる大きさだった。流れを作るためにはいくつか方法が考えられた。年代順にまとめていくか、テーマ別に構成するか、色彩を考慮して配列するか――。しかし、祖母の絵の場合、同時期に一気に描かれていたため年代別は成り立たず、テーマも統一されていた。しかも色彩も色調に大きな変化がなかったため、流れを作るのは至難の業のように思えた。
 
 「何にもありませんが食事になさいませんか」
 祖母が料理を用意してくれた。食事をするために部屋に向かうと、またぞろ猫たちが現れ、井森の後についてきた。食卓の前に座ると、不思議なことに猫たちは食卓には近づかず、井森の背後に横一列に並び、食事する井森をじっと見ていた。
 「よくしつけられていますね。驚きました」
 猫を眺めながら祖母に言うと、祖母は笑って言った。
 「この島の猫たちはみな聞き分けがいいのが特徴なのです」
 食事を終えて席を立つと、猫たちも一緒に動いた。井森の後を追いかけてくるのかと思ったがそうではなかった。祖母から食事をもらうために、井森の座っていた食卓に一列に並んでいたのだ。猫たちは井森が食べ終えるのをじっと待っていたのだ。そう考えると、そんな猫たちの行動が不思議に思えてきた。犬ならともかく、こんなにも従順な猫がいるだろうか、よくしつけられた猫たちを見ていると、猫のようには見えず、まるで人間であるかのように思えてきて、井森は不思議な気分に陥った。
 その日、井森は夜を徹して、画集の構想に取り掛かった。作品の配列をどうしようか頭を悩ませていたのだが、それはほどなく解決した。
 一つひとつの作品をじっくり眺めていると、一枚一枚に大きなストーリーが流れていることに気付いたのだ。それはおそらく自分だけの感覚であったかもしれなかったが――。
 画集の一つひとつにノンブルを打ち、本のサイズ、本の体裁などを考えているうちに井森は少しウトウトとした。30分ほど座ったままの姿勢で眠り、気が付くと、いつの間にか井森の周りに猫たちが集まっていた。それも部屋を埋めるほどの無数の猫たちが――。
 百数十匹はいただろうか。島中の猫が集合したのではないかと思えるほどの大群に井森は戦慄し、座したままじっとしているしか術がなかった。
 その時、井森は、猫たちすべての目が祖母の描いた魔界の絵に注がれているのに気が付いた。そのことに気付いたのは時計の針が午前3時を経過した後のことだ。部屋は異様な雰囲気に包まれていた。猫の大群の中にいて身じろぎもできず、井森は無言でいた。何かが起こりそうな予感がして、身をこわばらせていたのだ。
 その瞬間、突然、部屋の電気が消えた。井森は予感が的中したと思い、思わず身を固くした。電気が消えた瞬間、猫たちが一斉に動いたように思った。慌てて猫たちを見ると、その目が暗闇の中で爛々と光っている。その光が魔界の絵にさらに集中しているようにも見えた。
 魔界の絵それぞれが驚嘆の表情を垣間見せたのは、まさに猫たちの放つ目の光が魔界の絵に集中したその時だった。絵の中の何かが動いたのだ。それは決して錯覚などではなかった。動いた絵がそれぞれ五十個の渦を引き起こし、井森はそれを見ているうちに意識が遠のいた。
 翌朝、気が付くと、井森は絵を飾った部屋の中で眠っていた。毛布のようなものが肩にかけられていたのは、祖母が気付いてかけてくれたものだろう。部屋の中にはすでに一匹の猫もいなかった。魔界の絵もそのまま何も変わらず、何も起こっていないように思えた。
 しかし、井森には意識を失う瞬間、魔界の絵が発する大きな渦の大群と共に、何か大切な言葉を耳にしたような記憶があった。あれは一体何だったのだろう。わからないまま、祖母に朝の挨拶をするために部屋を出た。部屋を出るとまたぞろ十数匹の猫が井森の後についてきた。
 「どうですか? 少しは眠れましたか」
 食卓の前に座ると、祖母が味噌汁とご飯、焼き魚を並べ、井森に聞いた。猫たちは昨日と同様に、井森の背後で横一列に並んで座っていた。
 井森は、祖母に昨夜の出来事を話して聞かせた。部屋を埋める猫たちの大群に囲まれたこと、その猫たちの目が魔界の絵に注がれていたこと。突然消灯し、猫たちの目の光が魔界の絵を包んだかと思うと次の瞬間、魔界の絵が動き、大きな渦が発生して――、意識を失う瞬間、何かの声を耳にした。もしかしたら夢であったかもしれないが、と告げた。
 祖母は井森の話を聞くと、しばらく黙し言葉を発しなかった。猫たちは相変わらずじっと井森が食べ終えるのを待っている。
 「井森さん。あなたが見たものは決して夢なんかではありませんよ」
しばしの沈黙を破って祖母が言った。
 「魔界は『悪魔の世界』とこの島の住職に教わったことがあります。悪魔とは、仏教の世界では仏道を邪魔する悪神を意味し、煩悩を表す言葉であるとも聞きました。鬼も悪魔の一種、魔物だとよそから来た住職は言いました。
 でも、私にとっての鬼は違います。この島は鬼連島と言って、昔は鬼伝説が普通に語られていて、鬼に関する逸話がこの島には数多く残されています。他の地域と違うのは、鬼が怖がられる存在ではなく、守り神として存在していたということです。
 記憶が定かではないので、はっきりとは申せませんが、私は病気になって死の淵に立った時、私を死から押し戻してくれたのは鬼ではなかったかと、後になって考えたことがあります。そしてその時、思いました。回復した私にあの絵を描かせたのも鬼ではなかったかと――」
 井森はその時、祖母の表情と目の色が少し変わったことに気付いた。だが、あえてそのことを口にはしなかった。
 「鬼が魔物ではないという感覚が私にはなじみませんが――」
 反論するように井森が言うと、祖母はゆっくりとした動作で立ち上がり、まるで井森に講義でもするかのような独特の口調で語り始めた。井森にはその姿が祖母ではなく何かが化身したもののように見えた。
 「人間のいう正義が、必ずしも正義ではないように、悪もまた然りです。この島の人たちは、世の中が悪と断じ、魔物と恐怖するものに違和感を持って育ってきました。それがこの島における鬼は守り神という思想につながっているのです。住職は私たちの思想を正そうと懸命に講義を繰り返しましたが、この島の住民は誰一人としてその講義に耳を貸そうとはしませんでした」
 祖母の語りは、とても祖母のものとは思えないほど格調の高いものだった。祖母を借りて何者かが言わしめている、そんな感じさえ抱いたほどだ。
 「井森様が昨夜、体験したことは、夢でも何でもなく、必然の出来事だったと、私は井森様のお話を聞いて思いました」
 「必然の出来事ですか?」
 「そうです。井森様は昨夜、魔界と出会われたのです」
 「魔界?」
 「猫たちの大群が部屋に集結して絵に向かって光を放ったと井森様はおっしゃいました」
 「確かに、猫たちの目から絵に向かって光が放たれるのを目撃しました。しかもその後、絵が動いて、大きな渦を巻き起こしたことも――」
 「人間の考える魔界や鬼のイメージは具象的で二次元的なものです。しかし、それは人間が鬼や魔界を貶めるために造り出したものに過ぎず、本来の魔界や鬼はそうした具象的なもので表現されるものではありません。人間の意識をはるかに超越したものとして考えてください。人間よりも猫たちの方が感覚として、魔界を捉えることに聡く、しかも従順です。猫たちは悪戯に魔界や鬼を恐れませんから。だから昨夜、魔界が顔を覗かせた時も、猫たちは魔界を認め、光を放ったのではないかと思われます。井森様が見た大きな渦は、魔界の片鱗です」
 「私が魔界を見たとして、今、この時期に魔界を現出させる意味があるのでしょうか」
 祖母は悲しい目をして井森を眺め見ると、沈鬱な表情を浮かべて言った。
 「この島はやがて沈みます。ここに住む多くの人が命を失うでしょう。猫たちはそれを薄々感じています。住民の一部にもそのことを感じている者もいるようです」
 「島が沈む!?」
 「私の描いた絵がそれを表しています。あの絵を見て、そのことがわかるはずはない。普通はそう思うでしょう。私もそうでした。でも、井森様の昨夜の体験をお聞きして、改めてあの作品を見直してそのことを深く理解しました。五〇枚の絵が現したストーリー、それはこの島の破滅を知らせる絵だったのです。あの絵は、この島の歴史を描いています。島が生まれて繁栄して、消えて行くまでを魔界世界の手法で克明に描いた絵なのです。今日、改めてそのことがよくわかりました。私にははっきりとこの島の未来が見えました」
 「島の歴史を魔界の手法で描いた絵――」
 「そうです。井森様も感じたはずです。理解できないまでも、あの絵には広大なストーリーが流れていることを。猫たちはそれをはっきりと理解しています」
 「猫たちが理解している?」
 「猫は感覚の動物です。魔界が発信するもののその意味を感じ取っているはずです」
 「でも、猫たちはいつもと変わらず平然としていますよね」
 「猫たちは人間のように運命には逆らいません。この島と共に沈む覚悟を決めているのでしょう」
 「――この島の沈む日時は決まっているのですか?」
 「明日、明後日にはこの島は姿を消します。私の描いた魔界の絵がそれを示しています」
 「えっ! それならすぐに逃げないと」
 井森が狼狽して言うと、祖母は笑って言った。
 「井森様は今日の便でこの島を発ってください。午後5時が最終便ですから」
 
 祖母の言葉をあざ笑うように平穏な風が吹いていた。晴れ渡った空もいつもと何も変わりない。海も同様に穏やかだ。デッキに立って島を眺めるが島の様子にも変わりがなかった。祖母の描いた魔界の絵の出版は断念することにした。それが祖母のたっての願いであった。
 祖母の話が真実であるかどうか、考えるまでもなく、井森は祖母の言葉を信じた。魔界の話も鬼の話も猫の話すら井森はすべてを信じることにした。
なぜ、島が消えなければならないのか、最後にそのことを問うと、祖母は言った。
 「すべてのものに寿命が存在します。人にも動物にも、この島にもまた寿命が存在します。ただし、島の寿命を縮めたのは、人間の横暴です。人は作為的に、あるいは人為的にすべての環境を破壊しました。その結果が島の消失だと考えてください」
 祖母は、「島と共に生きたのだから島と運命を共にしたい」。そう言って聞かなかった。島の住民たちにも「この島の寿命が尽きかけている。早く逃げなければ危ない」と、祖母は伝えたようだが、誰一人としてこの島を去る者はいなかった。祖母の言葉を信じなかったのか、祖母と同じように、この島と運命を共にしたいと考えたのか、定かではなかったが、午後5時の便で島を出たのは井森ただ一人だった。
 
 帰阪して、金子にすぐに祖母の話を伝えたが、すでに祖母から連絡が入っていると言い、祖母は金子に、本は作らない、そう言っただけでそれ以外のことは何も語っていなかった。
 翌日の朝のニュースが、忽然と消えた島の話を伝えていた。鬼連島の消失を伝えながら、「この島には鬼が棲んでいると伝えられています。島が消えたのもきっと鬼の仕業ですかね」とコメンテーターが笑って語っていたことに井森は腹立たしさを覚え、チャンネルを切り替えた。
 あの日、見た、金子の祖母のあの笑顔と従順な猫たちの姿を時折、思い起こし、井森はそのたびに涙の粒を一つ二つ頬にこぼすのだった。
〈了〉

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