三味線お米


 
 えり子に連絡を入れようとした矢先、唐突に大阪本社からお米さんの死を知らされた。通夜と葬儀の日程がその日のうちにファックスで送られてきた。以前、えり子に話を聞いて、お米さんの死がそう遠いものではないことは知っていた。それなのに、私はひどく動揺していた。
 すぐにえり子の携帯に電話をかけた。だが、ツーツーと音が鳴るばかりで一向に通じない。通夜と葬儀でてんてこ舞いしているに違いない。そう思い、すぐにも駆けつけたかったが、突然のことで劇場を離れることができない。
 大学を出て間もない副支配人がいたが、その者に任せるにはあまりにも頼りなかった。古株の事務担当がいたが、劇場のことはあまり知っていなかった。結局、私がいるしか仕方がなかった。
 劇場が終わるのを待って大阪へ飛び、通夜会場である市営の葬儀場に駆け付けた時、すでに通夜の儀式は終了していた。
 お米さんの親戚が数人いる以外、参列者は引き払っていていない。ひっそりとした会場に、えり子が一人、棺桶のそばにぼんやりと立っていた。
 「えりちゃん」
 近付いて声をかけると、えり子が力ない目で私を見た。
 「支配人さん――」
 えり子は私の名前を呼びながら、私の胸の中に飛び込んできた。
 「大丈夫か? 遅くなってごめんな」
 えり子は頭を振って、「来てくれておおきに」と小さな声でつぶやくように言った。
 「お母ちゃ――、いえ、お姉ちゃん、支配人さんに会いたがっていたわ。記念公演のお礼を言いたかったんやと思う」
 「お礼やなんて、あの時、お米さんに散々お礼を言ってもろたから、もうええねん。それよりお米さん、苦しまんと逝ったか?」
 「スッと消えるように逝きよりました。三味線お米は大往生したよ、支配人さん」
 えり子はそう言って私の胸の中から離れた。
 「大往生か、それはよかった。わし、もういっぺん、お米さんに会いたかったなあ」
 「お母――、お姉ちゃんかて、きっとそない思うていたと思うわ」
 「えりちゃん、無理してお姉ちゃんと呼ばんでええねんで。わし、えりちゃんとお米さんが親子やて知っているし」
 「そやかて、お母ちゃん、自分のことお姉ちゃんと呼べってうるさかったんやもん。でも、うち、お母ちゃんに感謝してるねん。ほんまの子供やないのに、ほんまの子供以上に可愛がってくれて、大切に育ててくれたんやから――」
 「えっ、ほんまの子供やないって、えりちゃん、それ、どういう意味や?」
 親戚も帰ってしまって、とうとう二人きりになってしまった。ひっそりとした会場に私の声が響き渡る。
 「うちとお母ちゃん、ちっとも似てないやろ。ほんまのお母ちゃんは、うちが三歳の時、病気で亡くなってしまった。仲良しやったお母ちゃんが施設に入れられかけていたうちを引き取って育ててくれたんや」
 「じゃあ、えりちゃんはお米さんと血がつながってないんか。ほならほんまのお父さんはどないしたんや?」
 「父親は、うちが生まれてすぐにどっかへ行ってそれっきりや。お母ちゃん、苦労してうちを一人で育ててくれた。でも、その苦労がたたって早死にしてしもうた。それよりもかわいそうなのはうちを育ててくれたお米さんや。一回も結婚せんと、うちのためにこれまで生きてくれた。それやのにうち、お米さんに何の親孝行もしてない――」
 えりは膝から崩れ落ちるようにして泣き崩れた。
 「そうやったんか。わし、何も知らんかった」
 「支配人さんだけやない。誰もそのことは知ってへん。それに血はつながってなくても、うちはお米さんの正真正銘の娘や」
 そうだ、と私も思った。お米さんは何よりもえり子を愛していた。全身全霊、愛情を込めてえり子を育てた。血のつながりよりもそのことの方がずっと大事に決まっている。
 「だからうちは決めたんや。お米の名跡を継ごうって。三味線お米の名跡を継ぐのはうちしかおらへん」
 頬を涙で濡らしながらえり子が言った。その強い意志に押されて、私は、これまで溜めていた言葉を吐きだすことが出来なくなった。
 ――えりちゃん、お米さんが亡くなっても心配ないぞ。わしと一緒になるんや。わしの嫁はんになれ。えりちゃんをわしが幸せにしたる。それがお米さんへの供養や。
 京都から大阪へ向かう電車の中で何度も反復練習をした言葉だ。その言葉を伝える機会を逸してしまった私の思いは、えり子が奏でる三味線の音に呆気なくかき消されてしまった。


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