誰が母を殺したのか 第四回

 出来ることなら結婚式には出たくないと思っていた。「隆と春菜は出席する。しかし、私は出席しない」。幸恵にはそう言い続けてきた。前日、最後の説得のために電話をかけてきた幸恵に対しても同様の回答をし、幸恵を泣かせてしまった。
 朝になって気が変わったのは、幸恵の夢を見たこともあったが、それ以上に幸恵の花嫁姿が見たいという願望が強くなったからだ。茂は一目その姿を見ることが出来たら、すぐにでも退散しよう、そう思っていた。ところが、ホテルに着くと、玄関口にウェディングドレスに身を包んだ幸恵が待っていた。幸恵は、茂がきっと来てくれると信じて早くから待っていたようだ。
 「お父さん、ありがとうございます」
 北沢が腰を深々と折って茂に挨拶をした。
 北沢はずっと幸恵の側に立っていたのだ。それすらも気が付かないほど茂の目は花嫁衣装の幸恵に釘付けになっていた。
 すぐにでも退散しようと思っていたのにそうすることが出来なくなった茂は、二人の手を交互に握り締めると、式場へと足を運んだ。式が開始するまでにはまだ十分時間があった。
 式場の近くまで来た時、突然、背後から「松っちゃん」と声をかけられた。驚いて振り返ると、薄汚れたトレンチコートに身を包んだ、体格のいいひげ面の男が立っていた。
「長さん!」
 茂は大声を張り上げると子供のようにその男に飛びついた。男は茂の肩をしっかりと抱きながら「おめでとう。よかったな」と茂の耳元で囁いた。
「長さん、なんでここへ?」
 茂が訊ねると、長部は、
「連絡をもらったんだよ。幸恵ちゃんから」
と笑みを浮かべて応えた。
 茂の友人の中でも、幸恵は子供の頃から取り分け長部のことが好きだった。長部が家に遊びに来るたびに幸恵は長部につきまとい、「私が結婚するときは、必ず結婚式に来てね」と口癖のように言っていた。幸恵は大人になってもそのことを忘れていなかったようだ。
「幸恵ちゃんのウェディングドレスをみることができて、おれは大満足だよ。いつ死んだっていい」
 と長部が冗談まじりに言うと、茂はあわてふためいて、
「おいおい、それは大袈裟だよ」
 と言って二人は笑い合った。来場者はそんな二人を訝しげに見て通り過ぎて行く。
 茂より一年年上の長部は五十九歳、来年春には警察を退職する。茂が長部と顔を合わせるのは十年ぶりのことだった。長部は警察学校の一年先輩に当たる。なぜか気が合って、大阪府警の一員となった茂を訪ねて長部はよくやって来た。そんな時、妻と三人で心ゆくまで飲み明かした。妻も長部が好きだった。最後に長部がやって来たのは十年前の秋だった。それからしばらくして妻のガンが発覚し、二年間の闘病生活を経て妻は亡くなった。
 長部に妻の死を知らせると、電話の向こう側で男泣きに泣いていた。茂はそんな長部の気持ちが嬉しかった。今でも茂はその時のことを思い出すとせつなくなる。
 妻の死は茂の生活に変化を与えた。酒をピッタリとやめ、まっすぐ家に帰るようになった。その分、子供たちは迷惑だったようだ。茂の監視が厳しくなったからだ。公恵が家におればこそ茂は安心して飲んで帰ることができた。その公恵がいなくなってしまえば、飲んでいてもつまらない。妻がいない分、子供たちのことが気になった。子供たちへの監視が厳しくなったのもその頃からだ。
「長さんも来年の春には退職やねえ。長い間、ご苦労様」
 茂の言葉に、長部は苦笑いをして顔をしかめた。
「どないしたんや…」
 茂が不審に思って訊ねると、長部は、
「一つ、おれの中で心残りがあってなあ」
と言う。
「そりゃあ、長い間刑事をやっているんや。一つや二つ、そんな事件があって当然やろう」
 慰めるように茂が言うと、長部は、唇をキュッと噛みしめながら、
「退職までに何とか解決したいと思っていたんだが――」
と悔しそうな表情を浮かべた。
「どんな事件なんや。その事件は?」
「おれの田舎で起きた事件だよ。漁村の若い奥さんが刺殺された……」
「ああ、あの事件か。よく覚えているよ、おれの地元やもんな。大阪にいてその話を聞いた時は驚いたよ。あんな平和な田舎でそんな事件が起きるやなんて夢にも思っていなかった」
「変な事件だった。殺人事件はよくあるが、殺され方がなあ」
「殺され方って、刃物で一突きだろ。そんなのよくある話やないか」
「いや、違うんだ。何かが違っていた。刺し方があまりにも美しすぎた。何も盗まれていなかったし物盗りの犯行にも思えなかった」
「なんでそんなことがわかるんや」 
「抵抗の跡がまるでなかったんだ。暴行でもない。着衣の乱れもなかったし、もちろん性交の跡もなかった」
「美人だったんやろ、その奥さん」
「ああ、若くてきれいで色白の、本当にいい女だった」
「じゃあ、なぜ、その奥さんは殺されたんや?」
「それがわかれば少しでも解決の糸口が見つけられたのだが、奥さんの周辺を洗っても何も出てこなかった。それに殺されることがわかっていたかのように、愛息を毛布にくるんで台所の隅に隠したのも不思議だった。せめて息子の線からでもと思ったが気付いた時は、その息子ももういなかった」
「いない?」
「いや、消えたわけじゃない。一人になった息子を発見者の奥さんが自分の息子として戸籍に入れたんだが、旦那との確執がはじまって、結局、その奥さんは三歳になる息子を抱えて家を出てしまった」
「その発見者の奥さんはなぜその息子を引き取ったんだ?」
「かわいそうに思ったんじゃないか、と最初はそう思った。ところがおかしなことに実家へ帰ったはずの奥さんの行方がわからなくなった。実家へ帰らず、どこへ行ったのか、突然消えてしまった」
「おかしな話だな」
「ああ、単なる殺人事件だと思ったのに何となく不審に思えるところがあった。その奥さんの行方を追っているがいまだに見付かっていない。息子の存在もだ。生きていれば二十代半ばといったところだろう」
 その時、二人の会話を割くようにして春菜の声が響いた。
「お父さん、早くしないと結婚式が始まるよ」
 春菜は茂の傍らにいるのが長部と知ると、
「おじさん、来てくれたの!」
と声を上げた。
「やあ、春菜ちゃん。久しぶりだね。それにしてもずいぶん大きくなったもんだ」
 春菜は長部の腕に自分の腕をからませながら、
「今日はうちに泊まっていってね」
と甘えるように言った。
「そうそう、早く行かないと結婚式が!」
 春菜は思い出したように声を上げると二人の手を引っ張った。
式場へ着くとウェディングドレスの幸恵とタキシード姿の北沢が入り口で待っていた。
<つづく>
 


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