パラノイア同窓会

高瀬 甚太

 秋の初めのことだ。編集に追われて忙しくしていた週末の午後、佐藤正という大学時代の友人が訪ねてきた。佐藤は大手の生保会社に勤務していて、営業部長の要職にいる。彼に会うのは三年ぶりで、多忙であるはずの彼がわざわざ訪ねてきたことに、驚きを隠せなかった。
 しばらくの間、世間話をして、旧交を温めた後、佐藤は今回の来訪の用件を切り出した。
 「実は、井森にお願いしたいことがあってな――」
 大企業の要職にある者らしく、いつもは貫録のある立ち居振る舞いで話す佐藤だが、この時は、声を落とした小さな声で私に話しかけてきた。
 「十一月の同窓会のことだが、お前に手伝ってもらえないかと思って――、というのも、三週間ほど社長の付き添いで急にヨーロッパへ出かけることになった。今回、俺が幹事の番だから準備と用意をしなければならないのだが、そんな事情でできなくなった。この埋め合わせは必ずするから、俺の代わりに幹事を務めてくれないか」
 四年に一度、同窓会を開くことが高校を卒業してからの定例になっている。毎回、二十人程度の同級生が顔を揃え、かわるがわる幹事を務め、切り盛りするのだが、今回の幹事を務める佐藤が日本にいないとなれば、誰かが佐藤に代わって幹事を引き受けなければならない。佐藤は、その役目を前回、幹事をやったばかりの私に投げかけてきた。
 「そういう事情であれば仕方がない。わかった。引き受けるよ」
気が進まなかったが、佐藤の代わりに引き受けることにした。佐藤は、安心したのか、急に饒舌になり、昔話を語り始めた。
 「伊東さんという女性がいただろう。伊東愛子だ。覚えているか?」
 「伊東愛子? そんな人、いたかなあ」
 「同窓会に一度も来ていないし、地味な女の子だったから覚えていないのも無理はないな。その伊東愛子に、先日、偶然、梅田で会ったんだ。夕方の午後6時、会社の帰りに梅田の地下街、ホワイティを歩いていて、すれ違った時、あれっと思ってね。すぐには伊東とわからなかったが、すれ違ってしばらくして気付いて、急いで追いかけたよ。だが、人が多い場所だからね。結局、見つけることはできなかった」
「しかし、よくわかったな、伊東だということが」
 「高校時代、俺、伊東のことが好きだったからな。それに不思議に高校時代とそう変わっていないように見えた。残念だったよ。見つけられなくて」
 佐藤は、いかにも残念そうに肩を落とした。
 「高校を卒業して同窓生の名簿を作る時、卒業してすぐに住所を移転したらしくて、連絡の付かなかった女性だな。今、思い出したよ」
 「そうなんだ。俺、あの時、わざわざ彼女の家まで行ったんだ。だが、移転した後で空家になっていた。近所の人に尋ねたが、夜逃げ同然に引っ越したらしくて、近所の人にも挨拶をしていなかった。何か事情があったんだな、と思ったが、どうしようもなくて――」
 「そうか。クラスの中に伊東を知っている人はいなかったのか」
 「いや、伊東と親しいクラスメートはいなかった。もしかしたらと思って聞いてみたが、誰も知っていなかった。
 連絡が付かなくなった同窓生は何人かいる。ただ、その場合でも、同窓生の誰かが知っている場合が多く、辿って行けば、ほとんどの場合、連絡が付いたが、佐藤の話した伊東のように、まるっきり連絡の付かない人もなかにはいた。
 「ともかく、幹事の方はまかせとけ。伊東のことも、もしわかれば調べておく」
 印刷所にデータを納入しなければならない時間が迫っていた。早々に話を切り上げて、佐藤を部屋から追い出した。
 三日後のことだ。ようやく仕事が落ち着いた私は、同窓会の準備にかかることにした。同窓生は全員で四十二名いた。そのうち、住所が確認でき、連絡の付くのは三十五名。七名が住所不明になっていた。その中に、佐藤の言っていた伊東愛子もいた。
 伊東愛子のことを考えた。一緒のクラスにいたというのに、容姿と顔が思い出せない。地味で大人しくて、教室の片隅でひっそりといたのだろう。目立たない女性だったに違いない。卒業アルバムを見たら、きっと思い出すだろう。そう思った私は、事務所の本棚の奥に詰め込んでいたアルバムを探し出して開いてみた。
 全員が並んだ後列の一番端に、伊東愛子がいた。美人だが、幸薄い表情をして写っている。家庭で問題があったのだろうか、それとも個人的に悩みを抱えていたのか、生来の気質なのか、伊東の顔には、若さや華やかさが欠けているように思えた。
 同窓会の案内を同窓生に送りながら、私は、ふと伊東愛子を探し出してみようかと思い付いた。単なる気まぐれと好奇心のなせる業だ。探し出せる保障はなかったが、佐藤が見かけたという梅田の地下街がヒントになった。
高校時代に伊東が住んでいた住所は豊中市と記録されている。私の勘だが、梅田周辺で佐藤が会ったことが事実であるなら、彼女は、大阪に居住しているか、勤務している可能性がある。手がかりが何もない状態だから、推測を積み上げて行くしか方法がない。
 とりあえず私は、佐藤が伊東に会ったという時間帯に、梅田の地下街ホワイティに立った。佐藤が伊東に遭遇したのはまったくの偶然であったかも知れないが、午後6時という時間帯を考えると、仕事を終えての帰宅途中ということが考えられる。
 地下街の人ごみの中でとどまっていると不安な感覚に陥る。誰もが急ぎ足で歩いている。一定の流れが出来ている中で止まっている者など皆無だ。立っていると邪魔者扱いをされ、横目で睨まれそうで落ち着かない。こういった状況の中で、佐藤が伊東に会ったというのは、奇跡と言える。それにしても、高校を卒業して三十数年だ。よくわかったものだと不思議に思う。もしかしたら佐藤の思い違いかも知れないとも考えたが、佐藤の話しぶりには確信めいたものがあった。私は、彼の言葉を信じることにした。
 
 30分ほど立ち尽くしている間に、どれだけの人が私の周りをすり抜けていっただろうか。伊東らしき人物には出会わなかった。
 それでも後30分、私は我慢して待った。アルバムで見た伊東の顔は、印象の薄い顔をしていた。果たして、すれ違ったとして、見つけられるものかどうか、そうした不安もなくはなかったが、意識を集中して待てば、もし、すれ違うことがあれば必ず見つけられる。私にはその確信があった。不安が先に立てば、そうはいかない。不安に負けて、集中力が鈍ってしまったら、たとえすれ違ったとしても見つけることはできないに違いない。
 1時間が経過したところであきらめて、人の流れに乗って地下鉄の駅を目指し帰ることにした。伊東に会う確率は限りなくゼロに近かったのに、なぜ私は伊東に会えるかもしれないと思ったのだろうか。他人から見れば無駄なように思えることでも、私にとってそうではない場合がある。意識を集中させて、念を働かせれば、不可能に思えることでも可能になる。そう信じて成功したことがこれまで何度かあった。だが、今日はうまくいかなかった。そう思って歩いている時、地下鉄東梅田駅の近くですれ違った女性を見て、ドキンと心臓が鳴った。伊東だ、と直感した私は、後を追いかけて声をかけた。
 「すみません。伊東愛子さんじゃありませんか?」
 立ち止まって振り返った女性は、私の顔を見つめてポカンとした表情をしている。
 「○○高校の同級生だった井森です」
 女性は表情を変えずしばらく私を見つめていたが、とたんに相好を崩し、
 「覚えています。井森くんですね」
 と答えた。
 近くにあるセルフの喫茶店に誘い、対面するようにして座ると、彼女は私を見て、
 「あまり変わっていませんね」
 と言った。あなたも、と言おうとして私は口ごもった。面影は残っているが、伊東愛子はずいぶん変わっているように思えた。よく見つけられたものだと感心した。
 同窓会の話をすると、伊東は顔を曇らせた。
 「同窓会に出席する人は皆、幸せな人が多いでしょ。私なんか駄目です。不幸の極みですから」
 自虐的な言葉を吐いて、伊東は出席を拒んだ。
 「失礼だけど、伊東さん、結婚は?」
 「――しました」
 「しました? で、今は?」
 「一人です。離婚して五年になります」
 伊東は、そう言うと、レモンティを口にして小さなため息を一つついた。
人生それぞれだと思った。私のようにずっと独身の男もおれば、子沢山な父になった者もいる。離婚、再婚を繰り返している者もおれば、平和な家庭を築いている者もいる。
 話題を変えなければと思ったがそれと同時に、伊東が口を開いた。
 「高校を卒業して、すぐに父の会社が倒産して、夜逃げ同然に東京へ引っ越しました。就職して働き始めて、二六歳の歳に同じ会社の七歳年上の男性と知り合って結婚しました。両親との同居もあり、諍いが絶えなくなって五年前に離婚しました。
 離婚して、再就職した会社で働きながら、私の父母を養う生活――。この頃、私の両親は二人共身体を悪くして入院していました。父は私が四十歳になった年に亡くなり、母はその一年後に亡くなりました。両親を亡くした私は、急に大阪が懐かしくなり、東京を離れて元いた町の近くに移り住んだのが三年前のことです」
 淡々と話す伊東の過去を聞きながら、私は、伊東が自分の不幸をあからさまに話すことに奇妙な違和感を覚えた。高校時代、それほど話したこともなく、卒業してから初めて会った。そんな男に、たとえ同級生であったにしても、それほど親しくなかった自分に、過去の暗い思い出など話すだろうか。
「高校時代、私は目立たない女の子で、友人もいなかったけれど、それでも楽しかった。片思いだけれど大好きな人がクラスにいたから……。でも、一度も打ち明けられず、卒業して一度も会うことなく、ここまで来てしまった。連絡先を誰にも告げていなかったので、同窓会にも出席することができず、今ではもう、出席したいという気力も薄れて――」
 伊東に好きな人がいたとは意外だった。誰が好きだったか、聞いてみたい思いに駆られたが、聞くことが出来なかった。レモンティを口にした伊東の目から涙が溢れ出たからだ。
 「同窓会に参加しませんか? 私、伊東さんに参加していただきたくて、1時間ほど前から地下街であなたを待っていました。同級生の佐藤から、この地下街であなたを見かけたと聞いたからです。――幸せを見せびらかす人ばかりが同窓会に集まっているわけではありません。中には不幸を抱えた人もいます。現況がどうであれ、高校時代を共に過ごした仲間が集う。そして、昔を懐かしみ、元気を取り戻す。亭主の愚痴をこぼす人もおれば、のろける人もいる。商売に失敗した人もおれば成功した人もいる。それはそれで楽しいんじゃないですか。何でも話し合えるのが同窓会のいいところです」
 伊東に同窓会への参加を強く勧めたが、伊東は返事をためらった。
 「お誘いくださってありがとうございます。少し考えさせてもらってからでもいいですか? 井森さんに突然お会いして動揺しています」
 同窓会の案内を書いた往復ハガキを伊東に手渡し、参加、不参加に関わらず、返事をくれるようお願いをした。伊東は快くハガキを受け取り、必ず返事をします、と答えた。
 艶のある伊東の黒髪が目の前で揺れた。細面の顔立ち、薄幸を感じさせる切れ長の眼差し――、伊東は年齢よりいくぶん若く見えた。
 伊東と別れた私は、偶然とはいえ、自分の勘が働いて伊東と会えたことに感激していた。佐藤の話があったとはいえ、伊東に会えると信じて疑わず、地下街に立ち尽くしていた自分の行動を今さらながら不思議に思った。これが縁というものか、伊東と縁があったから会えたのではないか、そんなことを思った。佐藤に話せばきっと驚くだろう。その時、私は佐藤に言ってやりたい。この縁は私と伊東の縁ではない。佐藤と伊東の縁だと思ったからだ。
佐藤の伊東に会いたいと思う気持が私を走らせ、その強い気持ちのゆえに私と伊東は会うことができた。佐藤が帰国したら、そんな話をしてやりたい。そんなことを考えていた。
 
 同窓会の出席者は、三十六名。意外にたくさん集めることができた。しかし、伊東からのハガキはまだ届いていなかった。出席者の男女の比率は四対六で女性の方が多かった。中には初めて同窓会に参加する人も数人いた。逆に毎回、参加していたのに今回に限って参加できないという人もいた。佐藤からは、同窓会の前日までに帰国するとの国際電話が届き、伊東はどうだったと聞いて来た。私が伊東に会えた話をすると、佐藤ははしゃぐような声で「すごい!」を連発した。前回、体調の加減で参加できなかった恩師も、今回は参加できると連絡があり、総勢三十七名の同窓会となった。
 同窓会の一週間前になって、ようやく伊東からハガキが届いた。出席・欠席、どちらかを丸で囲むようになっているのだが、多分、熟考の末なのだろう。出席の文字が途切れ途切れの線で囲まれていた。住所は豊中市になっていて、電話番号も明記されていた。名前は伊東愛子となっていたから、離婚後、旧姓に戻したのだろう。ハガキの隅に、「先日はお会いできて幸せでした。お誘いくださいましてありがとうございます。皆様とお会いできるのが楽しみです」と小さな細い文字で書かれていた。
 参加できない数人から、幹事である私の元に電話があり、それぞれ残念がって、自分たちのためにミニ同窓会を企画してくれと厚かましいお願いをしてくる者もいた。
 同窓会が行われる二日前になって、ようやく佐藤が帰国し、早速、私の元へ電話をしてきた。
 「ご苦労さんだったな。今回は本当に申し訳ない。それにしても伊東に会えたなんて驚いたよ」
 開口一番、佐藤はそう言って、伊東が参加するかどうかを聞いて来た。
 「伊東さんは参加するよ。連絡があった。彼女と話していて、少し気になったのが、クラスの中に好きな人がいたということだ。彼女が誰を好きだったか、まるでわからないが」
 そう言った後、私は佐藤に、「心当たりはないか」と聞いた。
 「それは初耳だな。まるで見当がつかない。しかし、その相手がもし、俺だったらどうしよう」
 悲鳴のような声を上げる佐藤を置き去りにして、電話を切った。
再会して以来、伊東のことを考えてみたが、やはり印象の薄さはぬぐえない。高校時代の思い出は皆無だった。
 同窓会当日、開催場所である、ホテルの小宴会場に1時間早く到着した私は、同窓生を迎える準備に余念がなかった。30分ほど経過した時のことだ。本日の出席者の一人、南方文子が先陣を切ってやって来た。
 「お手伝いすることがあれば――」
 南方は埼玉に住んでいて、この日のためにわざわざ新幹線に乗ってやってきた。大阪へ早く着いたので、と断って、準備にあたふたする私を手伝ってくれた。
 「来られるのはいつものメンバーですか?」
 準備をしながら南方が聞いて来た。私は、まず最初にいつものメンバーで来られない人の名前を挙げて、その後、久しぶりに参加する人の名を告げ、最後に、伊東愛子が卒業以来、初めて参加する旨を伝えると、ひどく驚いてみせた。
 「伊東さんが来られるのですか? 懐かしいわ」
 と感激した面持ちで言うので、
 「南方さんは、学生時代から伊東さんのことを存じ上げていましたか?」
 と聞くと、南方は、懐かしそうな表情を浮かべて言った。
 「伊東さんとは学校から帰る時、方向が同じでしたからよく一緒に帰りました。いろんなことをお話しした記憶があります。でも、卒業後、すぐに連絡がつかなくなってそれっきりになっています。お会いするのが楽しみです」
 そう言った後、南方が、「伊東さんによく連絡が取れましたね」と言うので、私は、佐藤が梅田の地下街ですれ違ったこと、私が地下街で伊東を探したことを伝えると、「大阪におられたんですね」と驚いてみせた。
 その時、私は、伊東がクラスに大好きな人がいた、と言っていた話を思い出して、南方に聞いた。
 「伊東さんの好きな人ですか? 名前は言いませんでしたけど、気になる人がいてると話していましたね。一体、誰なんだろう、と興味を持って何度か聞いたことがありましたが、笑って答えませんでした」
 南方の話を聞きながら、私の脳裏に佐藤が思い浮かんだ。佐藤は伊東が好きだったと言っていた。案外、伊東もそうだったのかも知れない。ふと、そんな予感がした。
 高校時代、佐藤は女性に人気が高かった。成績も優秀だったが、何よりもサッカー選手だったことが、彼の人気を不動のものにしていた。中年になった今は、その頃のスタイルも美貌も見る影もないが、それでも時々、今でも浮気をして、奥さんを嘆かせていると聞いたことがある。
 15分過ぎた頃から、続々と人が集まって来た。佐藤がやって来る頃にはほとんどの人が顔を揃えていた。しかし、伊東だけは時間が近づいても一向に現れず、幹事の私をやきもきさせていた。
 いよいよパーティが開始するとなった時、伊東が会場に駆け込むようにして入って来た。
 全員が揃ったことを確認した私は、同窓会の開催を告げ、本日のスケジュールを全員に伝えた。
 この日、恩師は体調不良のため参加できなかった。その代わりにメッセージが届けられ、それを私が全員に読んで聞かせた。欠席者で所在がわかっている者の近況を知らせたところで、酒が出て、食事をしながらの懇親会に移った。
 伊東がどうしているか気になって様子を伺うと、佐藤と親しく話していた。南方もそのそばにいる。酒や食べ物が出ると、とたんに賑やかになる。あちらこちらで会話が始まり、思い出話や近況を語り合うことで盛り上がる。それまで忙しく立ち働いていた私は、休憩しようと思い、会場を離れてロビーに向かった。
 高校時代、私は、クラス仲間から常に世話役を仰せ付けられる損な役割だった。仕切がうまいとか、特に面倒見がいいというわけではなかったが、何となく頼まれやすい、頼まれたら断れない、そんな性格が災いして行事のたびに走り回っていた記憶がある。
 ロビーでくつろいでいると、突然、背後から声をかけられた。
 「お疲れ様です。いつもご苦労さまです」
 丁寧な物言いで声をかけてきたのは、クラスのアイドルだった望月華子だ。望月は、短大を卒業してすぐに、高校時代の先輩だった男と一緒になった。今では当時の面影が極端に薄れ、肥満を持て余した体格で、立派な大阪のおばちゃんに変わり果てている。
 「井森くん、申し訳ないけどちょっと来てくれない?」
 望月は、パーティ会場に私がいないことに気付いて呼び戻しに来たようだ。
 「何かあったの?」
 尋ねると、望月は、
 「佐藤くんが――」
 と言って、私を急き立てた。
 会場に戻ると、会場全体が異様な雰囲気に包まれている。
 「井森、大変だ! 佐藤が!」
 同級生の一人が声を上げて私の袖を掴んだ。目の前で佐藤が仰向けに倒れている。
 「どうしたんだ?」
 倒れた佐藤の周囲を囲む同窓生たちに尋ねるが、誰もが首を振って「わからない」といった表情を見せる。
 「急に倒れて、びっくりしたよ」
 同窓生一人が私に説明をする。見たところ、佐藤は意識を失っただけで生命に異常はないように思えた。それでも、このままにしておけないので、ホテルに連絡をして救急車を呼んだ。
 最近の佐藤の体調は聞かされていなかったが、基本的に元気な男だ。特に持病があるとも聞いていなかったし、病院に通院しているといった話を聞いていない。
 救急車が到着するまで、佐藤は意識を失ったまま横たわり、目を覚まさなかった。
 佐藤を救急車の中へ運び込んだ後、急にテンションが下がり、パーティ会場は静まりかえった。そんな沈黙する会場内の空気を一瞬にして破ったのは意外にも伊東だった。
 「佐藤さんが倒れたのは私のせいです!」
 全員が、エッという顔で伊東に注目した。もちろん私もその一人だった。
泣き崩れる伊東をかばうようにして聞いた。
 「佐藤が倒れたのが伊東さんのせいだと、どうして言えるのですか?」
望月が聞いた。しかし、伊東はそれには答えず、ただ、ひたすら泣きじゃくっていた。確かに佐藤は、倒れる寸前まで、伊東と話していた。会場を出るまで私もそれを目撃している。その時、確か、南方もそばにいたはずだ。だが、南方は黙したまま、心配げな表情を浮かべて、じっと伊東を見つめているだけだ。佐藤と伊東の間に何があったのか――。私は伊東のそばに駆け寄り尋ねた。
 「佐藤と話した内容を私に話してもらえますか?」
 顔を上げた伊東が小さく頷く。私は、
 「せっかくの同窓会だ。佐藤のことは私に任せて楽しくやってくれ」
 と全員に伝えて、伊東と共に別室へ向かった。
 控室のような場所を借りた私は、伊東に尋ねた。
 「話していただけますか?」
 ようやく落ち着きを取り戻したのだろう、伊東は、一切の動揺を感じさせず、私の目を見つめながらゆっくりとした口調で話し始めた。
 「井森さんにお誘いしていただいて、同窓会に参加させていただく決心をするまで私の中に葛藤がありました。高校時代もそうでしたが、私はたくさんの人が寄り集まる場所を苦手でした。それは大人になってこの年になっても変わりません。同窓会そのものには興味はなかったのですが、伊東はそこで一度、話を頓挫させた。私は、じっと伊東の話に耳を傾けている。
 「自分の中の劣等感や、引っ込み思案が災いして、気持ちを打ち明けられない。それなのに相手に迫られると断りきれない。最初の結婚が失敗したのも、姑との確執もありましたが、押されるようにして結婚したのがそもそもの間違いでした。結婚してしばらくして、私は、自身の結婚が間違いであったと悟りました。その時、思い浮かんだのが高校時代、好きになった男性のことです。私の中でその人の存在が大きくなり、やがて、それ以外の人のことを考えられなくなりました――」
 「その男性が佐藤ですか?」
 突然、口を挟んだ私の言葉に伊東が動揺した。
 「……」
 「佐藤ですね」
 私が確認すると、伊東は小さく首を縦に振り、肯定の動作をした。
 「私の中で佐藤さんの存在が異常に大きくなり、やがて私は――」
 伊東の様子から、私はすべてを判断した。伊東は一種のパラノイア(妄想症)なのだ。高校時代に憧れた佐藤の存在が伊東の中で実態とは違う妄想を作り上げ、それが、伊東の結婚を阻害し、その後の人生を支配し続けてきた。
 私と出会い、同窓会への出席を決断した伊東は、佐藤に対するさらなる妄想を押し広げたに違いない。しかし、いざ、佐藤に出会ってみると、現実の佐藤は伊東の妄想する佐藤とずいぶん違っていた。
 妄想との食い違いに、自身の精神構造のバランスが崩れた伊東は、パラノイアの特徴である攻撃性を露わにし、佐藤を襲った――。
そんなところではなかったか。
 その時、伊東のことを心配した南方が部屋の中へ入って来た。
 「大丈夫ですか」
 南方は伊東のことが心配になってやって来たのだ。
 「井森さん、私が目撃したことをお話ししたいと思います。よろしいですか?」
 精神バランスを著しく崩した伊東は、興奮のあまり口が利けない状態だ。 私は、南方に、
 「お願いします」
 と伝えた。
 「伊東さんのところへ挨拶に行こうと思った私より先に、佐藤さんが伊東さんの前に立ちました。佐藤さんが、『ぼくのこと覚えていますか?』と聞いた時、伊東さんは一瞬、怪訝な顔をしました。『佐藤です』と佐藤さんが自分の名前を名乗ると、伊東さんの表情がそれまでの穏やかな落ち着いた雰囲気から一転し、顔を強張らせて……。なおも佐藤さんが、伊東さんに近づいて、高校時代の話をしようとしたら、伊東さんが佐藤さんをあっちへ行ってと言わんばかりに思い切り強く押しました。その時、多分、伊東さんが誤って佐藤さんの鳩尾辺りを強く突いたのだと思います。佐藤さんは悶絶して意識を失ってしまいました」
 南方は、それだけ話すと、伊東の肩を抱くようにして立ち上がらせ、私に言った。
 「井森くん。伊東さんを会場に戻していいですか? 久しぶりに会う伊東さんと話をしたいという同窓生がたくさんいるんです」
 南方の肩に寄り添うようにして伊東が部屋を出て行った。その後ろ姿を眺めながら、私は、これを機会に伊東のパラノイアが改善されればいいのだがと願った。
 救急車で運ばれた佐藤は、途中で目を覚まし、もう一度会場へ戻りたいと救命士に言ったようだが、受け付けてもらえず、病院で丁寧な検査を受けた後、遅くに解放された。
 佐藤が病院から解放され、私に電話をしてきた時、すでにパーティは終了し、二次会も終了、三々五々、別れた後だった。
 「伊東にもう一度会って話がしたい。何が何だかわからない」
 佐藤はそう言って喚き散らしたが、もちろん、私は伊東の住所も連絡先も教えない。佐藤が伊東に会えば、再び、今回と同じことが起こる危険性が大だ。
 あの後、伊東は会場に戻ると、先ほどとは打って変わって明るい表情で同窓生と楽しく話していた。その時の伊東の笑顔が今もなぜか印象深く残っている。
〈了〉

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