誰が母を殺したのか


 最初はグループを通じて友人としての付き合いだった、それがいつの間にか大切な友になったのは、一年生の夏の合宿の時のある事件がきっかけだった。
 恒例の夏の合宿は、和歌山の山間部にあるお寺を使って行われた。サークル人員は全部で十八名、男性が七名、女性が十一名、女性の方が多かった。そのうち新人の一年生は龍雄を入れて五名、女性が三名、男性が二名という陣容だった。
 山間部のそのお寺は、合宿に適した場所だった。夏の暑さを忘れさせる涼しさや都会では味わえない森閑とした静けさがあった。山道を走り、広場で基礎訓練を繰り返した。一週間の予定だったが、瞬く間に三日が過ぎた。事件は四日目に起きた。一年生の一人が急激な腹痛を起こしたのだ。しかも尋常ではない苦しみようだった。救急車を呼ぶには場所が遠すぎた。その生徒を車に乗せ、近くの病院まで運ぶ役割を龍雄と安代が受け持つことになった。車の運転は龍雄がした。その生徒は安代の親友だった。
 病院まで十五キロほどの距離があった。その間、腹痛の生徒は今にも悶絶せんばかりの苦痛の表情をみせ、うなり声を上げた。そのため龍雄は焦っていた。そんな焦りが災いしたのか、急な山道を下る途中、スピードを上げすぎて急カーブを回りきれなくなり、木々の中に突っ込んでしまった。幸い、大きな怪我はなく、車も少しのダメージですんだが、車が道路から大きく外れてしまった。龍雄は、安代はきっと怒っているだろうと思った。下手な運転で身動きが取れなくなり、腹痛で苦しむ安代の友人をさらに危険な目に合わせてしまったからだ。
 だが、安代は「水上くん。二人で力を合わせて道路まで上げようよ」と明るく言い、車の後部に回ると一人で車を押し上げはじめた。龍雄は「とても無理だよ……」とは言えなかった。右腕をウインドウのガラスで切った安代と右肘を強打した龍雄は、痛みを忘れて車を押し上げはじめた。車内には、体を丸くさせ苦痛にあえぐ安代の友人がいた。
 無理だと思ったことが、やってみると意外と出来る、そうしたことはよくあることだが、まさか人を乗せた車が、軽傷を負った二人の力で道路まで押し上げられるなどとは思ってもみなかった。必死の形相で力を振り絞る二人の前に、車は奇跡的に動き、十分後、無事、道路まで押し上げることができた。それは龍雄が今までに体験したことのない不思議な力だった。
 汗にまみれた安代は、白い歯をキラキラさせて「水上くん、行こう」そう言って出発を促した。幸い車に故障はなく、問題なく走らせることが出来た。
 安代の友人は盲腸が原因の腹痛だった。放っておくと腹膜炎を起こす可能性があったが、その手前で押しとどめることができた。ほっとした二人はしばらく病院のホールで休むことにした。それまで安代のことをほとんど知っていなかった龍雄は、安代にどこの高校から来たのか聞いた。龍雄もまた答えようとすると、安代は、
「知っています。水上くんのことならほとんど知っていますから」
 と笑って応えた。
 合宿の後、龍雄と安代の仲は急速に接近したが、それでもまだ友だち以上恋人未満といった関係で、それ以上も以下にもならなかった。
 龍雄は、安代以外の女子と付き合っては、のろけや不満や愚痴を安代にうち明けた。安代は龍雄の話をいつも笑って聞くだけだった。
 在学中、龍雄は何度か恋をし、決まって短期間で別れた。そのすべてを龍雄は安代に話し、安代の笑顔に包まれて慰められるのが常だった。
 卒業前、龍雄には交際している女性がいた。相手は同学年で安代の友人だった女性だ。交際して二カ月、その女性とささいなことで喧嘩をした。ほんの口喧嘩程度のものだったが、それだけのことで龍雄はその女性に嫌気がさした。龍雄は、いつものように安代に話を聞いてもらおうと安代の住む寮に電話をした。だが、通じなかった。安代はすでに寮を引き払い実家に帰っていたのだ。
 安代に会えないだけで龍雄の心は苛立ち、夜もろくに眠れなくなった。安代が次に大学へやってくるのは卒業式の日しかない。だが、それまでまだ二十日あった。
 逢えなくなってはじめて龍雄は安代の存在の大きさに気が付いた。
 卒業式当日、龍雄は安代を探した。だが、逢えなかった。憔悴した龍雄は、自分の愚かさを呪った。安代の笑顔が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。その時、龍雄の耳に安代の声が聞こえた。
 振り返ると笑顔の安代がいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?