沈水香木
深夜の菓子店を訪れる、ひとや、ひとみたいなもののお話。 更新は、深夜に、きまぐれに。
歩いたときの忘備録。
みたいな詩を書いた人は、誰だったのだろう。 ここ最近、誰だったのかわからなくて、ずっと書物を漁っている。 飛び降りた猫が自転か公転かしながら、しなやかに着地するような内容の詩。 月に吠えるだな、確か。そう思って近眼な上に乱視も入った目ん玉ひんむいてがんばって青空文庫読み漁ったら、ない。 萩原朔太郎ちゃうんかい。十数年、私はその詩をずっと萩原朔太郎だと思っていた。びっくりした。 猫の詩って言えば、萩原朔太郎か中原中也じゃないの。 中原中也はさらっと常識程度にしか触れて
R-18文学賞候補作が良質でたまんない。 女性が書く情緒纏綿(最近覚えた漢字)な短編、だいすきだよー! どうしようもなくさみしい夜に、が特に好みだった。 すべての登場人物にたいして情がある。物書きとしてのレベル高い…。なに食べたらこんなの書けるの…。
芥川賞の選評を読むのがだいすきです。 このノートは、160回芥川賞の選評についての、とても偏りのある個人的な感想です。 あくまで選評のみ。芥川賞受賞作、ならびに候補作の感想ではありません。 そもそも、今回の受賞作も候補作も、私まだ読んでませんしね……。読みます。 芥川賞の選評、すきなんです。 作家陣の個性が際立ってて、おもしろいなって、いつも思うんですよね。 たとえば、前回、159回芥川賞の選評タイトル、一部抜粋。 川上弘美『連れてゆかれる』 はあん、どこの
店には23時前に着いた。菓子店はシャッターが閉まったまま、街の灯りに埋もれるようにして、静かに息を潜めている。磨りガラスの窓に灯りはなく、白玉団子みたいな女は、まだ出勤してないようだった。 店の路地を歩き、勝手口だと思われる扉を見つけた。 店の外観と寸分違わず、くたびれた扉だ。金属製のドアノブは試しに回してみると、今にも取れそうな音を立てた。鍵は閉まっている。こんなぼろい扉でも、一応はその役割を果たしているようだ。 「おにいさん、来てくれたんだ。嬉しい」 細身
書き初め、なので。決意をこめて。 昨年、二月。まったく暖まらない自室で、スマホ片手に、私は、あ、小説書こう、と思った。 当時、引っ越して数ヶ月ほど。もとから備え付けてあった古びたエアコンが、がこがこと苦しみながら、可動する。部屋はリフォームされていて、比較的、綺麗なのに、このエアコンだけが、築年数をものがたる。私はエアコンの死にかけた吐息にあたりながら、スマホの画面をのぞいていた。 画面の先は、某WEB小説投稿サイト。なんでこんなの開いたんだろう。アプリスト
あの女、薬でも盛りやがったか。 幻覚症状が抜けないまま、朝っぱらから外に出るのは危険なんだろうが、左腕以外は至って正常に思える。よし、ナメた真似してくれたあの女、シメに行こう。 ショップカードに書かれていた場所は、たしかに女の言う通り繁華街から少し離れていた。新しく見えるビルの合間に、朽ちかけた商店が息も絶え絶えに生息する混沌。 女の店は、閉店中なのも相まって、夏の明るさにそぐわない陰気さがあった。 仮死状態の店に、身に余る苛立ちを放出させるため、再度シャッターを蹴
射殺す日差しを身に受けるこの街の人間が、等しく俺みたいになればいい。 アスファルトからせり上がってくる熱気はこんなに暴力的なのに、朝の通勤のためスーツ姿や化粧で武装している中年男や女どもは、みな二足歩行で前を向いて歩いている。忌々しい。中途半端に生え散らかしているビルから垣間見える空は、晴天。ガキの頃図工で使ったセロファンみたいに透き通った青だ。偽物じみた爽快さ。反吐がでる。 俺は閉店したままの菓子店のシャッターを蹴り上げた。 衝撃で、ただでさえ錆びついたシャッター
室外機の音が、遠くで唸りを上げていた。 この人はその微量の騒音にさえも敏感だ。まぶたを閉じては開け、見えもしない室外機の音の方へ視線を這わせ、動きを止める。ただの室外機の音なのに、それ以外の意味合いを勝手に持たせて、しまいにはのびた下まつげに涙液が溜まり、ゆるやかに老いた肌を湿らせる。 「そんなに、悲しまなくてもいいでしょうに」 わたしは途方にくれて、目の前の人に言うのだけど、残念ながら聞く耳を持たないみたい。仕方がない。この人は昔からそういうところがある。
三省堂書店本店へ向かって歩く。古書街に鎮座する本屋さんのビル。憧れる。 最近の本なんてネットで買えるのに、という意見は片耳に引っかけたのち、その辺に転がしておく。Amazon、そりゃもちろん、私もお世話になってますけど。ネットで取り寄せと本屋で買うのは、まったく用途が違うんだよ、用途が。 誰しもがそうだと思うのだけど、本買うときに、これ! って決まっているときは、ネットは便利だ。自分の欲しい本が、必ずしも本屋に置いているとは限らないから。それに、ネットでデータごと買って
地下鉄を降りて、A6出口に向かった。 日本の駅は看板通りに従って歩けばなんとかなるので便利だなあ、と、私は感心する。こんな言い回しをすると、海外に住んだことがあるような物言いだが、中学生のとき英語のテスト14点を叩き出した私に、そんな経験あるはずがなかった。海に隔たれた地方民なので、ある意味、海外のようなものなのかもしれない。 神保町は初めて来た。なんとなく憧れていて、なんとなく倦厭していた場所だった。 東京自体、熱望して行きたい場所のない私は、いつも上野か銀座に
眠りかけたビルの合間に、こうこうと光る街灯。 私は終電を乗り過ごし、うつむきながら、夜の街を歩いていた。 仕事は繁忙期。たいした器用さのない私は、残業はこなせても、家に帰る手段を数分差でとりこぼしてしまった。 タクシーを使うには家は遠い。数少ない友人に無理を言って、一晩泊まらせてもらうことができたのは、唯一の救いだ。 友人宅に向かうため、ビルと閉店している小さな店の並ぶ道を歩む。 繁華街からは離れているとはいえ、昼間であればそれなりに人通りの多い街だった。今は