神保町をぽくぽく歩く1
地下鉄を降りて、A6出口に向かった。
日本の駅は看板通りに従って歩けばなんとかなるので便利だなあ、と、私は感心する。こんな言い回しをすると、海外に住んだことがあるような物言いだが、中学生のとき英語のテスト14点を叩き出した私に、そんな経験あるはずがなかった。海に隔たれた地方民なので、ある意味、海外のようなものなのかもしれない。
神保町は初めて来た。なんとなく憧れていて、なんとなく倦厭していた場所だった。
東京自体、熱望して行きたい場所のない私は、いつも上野か銀座に行ってしまう。ちなみに、上野は国立博物館で、銀座は鳩居堂と甘味巡りである。たぶん、客観的にみて、私の感性は六十から七十代の紳士淑女のそれだ。
表参道や青山には着ていく服がない。秋葉原や中野に降り立つには、それ相応の知識と熱意がない。高所恐怖症なので、スカイツリーや東京タワーは、お金を払ってまで登りたくない。歌舞伎町に、ホストがやっている本屋さんがあると聞いたので、そこにはちょっとだけ興味はある。興味はあるが、恋愛小説中心に置いているそうなので、やっぱり用はない気がする。
今回の東京は、上野と銀座は封印しようと決めていた。たんに、前回が銀座だったので違う場所がよかったのと、国立博物館の企画展示が京都の仏像だったからだ。仏像は好きだけど、東京まできて京都の仏像見るのはなんだかまぬけだなあ、と思ってしまったのだ。
というわけで、上野と銀座の輪廻を外れて神保町になった。うら若き高校生だった頃、図書室で知り合い、懇意にしてくれた女の先輩が、修学旅行の自由行動で神田で本をたくさん買った話を聞いて以来、いつか行ってみたい場所だった。
駅から出て、折りたたみ傘を広げ、北に歩く。
漢文や漢詩の古書店を通り、かるたの店を外から覗いた。どちらも中には入らない。
神保町食肉センターは行列ができていて、並んでいる人は皆うつむいて、焼けた肉の香りにつつまれていた。雨はほとんど止み、傘を差している人は少ない。私も傘をしまう。
焼肉は魅惑的だけど、お昼は済ましたので用はない。ぽくぽく歩く。この道筋の古本屋さんは、肌色のなまめかしい雑誌が多い。入れないので、横目で観察しながら通り過ぎた。
横断歩道を渡る。大学があり、専門学校があった。ここにも本屋があるが、なんとなく通過。
たい焼き屋さんがあり、香りに惑わされそうになる。昼食後だし、暖冬とはいえ、外でひとりもぐもぐは気分が乗らない。大人の女性が一人、店の前でおいしそうにたい焼きをほおばっているのを見て、気持ちがゆらぐ。が、そのまま通過。
大通りに戻り、道を渡った。廣文館書店という本屋さんの前で止まる。右と左、どっちに行こう。スマホを開いて、「神保町ぶらり」というアプリを開く。よし、先に右手側に行こう。
昼過ぎなので、休憩で一時半まで閉店している古書店があった。ワンオペについて思いを馳せ、歩く。
大きい門構えの瀟洒な本屋があった。児童書中心の本屋らしい。中に入る。列車に住みながらヨーロッパを旅する女の子の児童書を立ち読み。かわいい。上を見上げるとミヒャエル・エンデのモモとはてしない物語があった。店内を一周して外に出る。
矢口書店の前まで来た。この店と隣の古賀書店は、ネットで神保町で検索したら必ずでてくる店だ。どうやら、有名な店らしい。矢口書店は演劇などの専門古書店。古賀書店は翻訳洋書の古書店。矢口書店はガラスの引き戸なので中が見える。背筋のしゃんとした、知的さが滲み出るダンディな男性が、本棚に手を伸ばしていた。すごく、嬉しそう。いい本見つけたのかな。見ているだけで、私もなんだか嬉しくなる。結局、店の中には入らなかった。道を引き返す。
さきほど通ったときは素通りした、神保町ブックセンターの一階の古書店へ入る。ケースの中に、竹久夢二の初版本があった。宗教歴史着物レシピ本。小さな店内にはばひろく点在していた。気になる全集があったが、見るからに重そうなのでやめておく。
店をでる。となりに、おしゃれで今風な本屋があった。よく見ると、岩波書店専門のブックカフェらしい。まじか。中に入ってみる。
岩波書店の本がずらり。地方の本屋では、岩波書店の本をこんなにたくさん並べている店はそうそうない。息の根も絶え絶えな地方の小さな本屋さんで、色褪せた岩波新書の背表紙をみるのは、心が曇る。ここの岩波新書は、どの本も堂々と輝いていた。カフェでお茶はしなかったが、メニューらしきものが、岩波文庫のカバーを外したときの、肌色のあれだった。かわいい。近くに住んでたら、たぶん通ってる。
廣文館書店の前まで戻ってきた。そのまま、まっすぐ歩く。ぽくぽく。
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