セロファン菓子店3
店には23時前に着いた。菓子店はシャッターが閉まったまま、街の灯りに埋もれるようにして、静かに息を潜めている。磨りガラスの窓に灯りはなく、白玉団子みたいな女は、まだ出勤してないようだった。
店の路地を歩き、勝手口だと思われる扉を見つけた。
店の外観と寸分違わず、くたびれた扉だ。金属製のドアノブは試しに回してみると、今にも取れそうな音を立てた。鍵は閉まっている。こんなぼろい扉でも、一応はその役割を果たしているようだ。
「おにいさん、来てくれたんだ。嬉しい」
細身の女は目を細め、俺に近寄ってきた。
夜とはいえ暑さが肌に絡みつく季節なのに、女はその細身な体躯に不似合いな男物の黒いパーカーを羽織り、さらにフードをかぶっている。
店の裏口で待っていた俺は、女の胸ぐらを思い切り掴む。
「あら、怒ってる?」
「ざけんなよ」
「まあまあ、落ち着いて。ね?」
俺の恫喝を、女はひょうひょうと流す。
「おにいさんとまた会えたら、ちゃんと返そうと思ってたの。健気だって思ってくれない?」
そういって、俺の胸に押し付けてきたのは、鈍色のライターだった。
たしかに俺のものではある。が、それがなくなっていることすら気付かなかったし、そんなものにたいした思い入れもないので、どうでも良い。
「言いたいことはそれだけか。俺の腕どうしやがった。これはどういう細工だ」
「腕くらいなくても、おにいさんは充分セクシーだと思うの」
「いい加減にしろよ」
「わかったわかった。説明するから」
掴んでいた右手を離してやる。女の手からライターを受け取り、睨みつける。
「でも、聞いたらおにいさん後悔しちゃうかも」
女の声は色香と毒を含んでいた。
「うるさい。御託並べる暇ありゃ、さっさと理由話せ」
「とりあえず、店の中、入りましょ?」
裏口の扉を開けて、女は微笑んだ。
店内は暗い。女は明かりをつけず、先を歩く。視界が暗闇の中なので、俺は用心のため、裏口の扉の蝶番を隣にして、壁にもたれかける。
「おにいさん、私が見たときから、腕なかったんだけどって言っても、やっぱり信じない?」
うそぶく女に、舌打ちで返す。
「信じないよね。そういうところが良いんだけど」
腕、見て? 女はささやく。
ふと見ると、左腕は元に戻っていた。
肘に、掌に、指に、力を込める。なんの違和感もなく動く左腕を見て、安堵と気味悪さがないまぜになった。
「おにいさんみたいなの、たまにいるのよね。街歩いてると、平気な顔して、人に混じって。で、本人たちも、多分、普通に生きてるって思ってる。かわいそうって言う人もいるけど、私からしたら羨ましい限り。だって、それって、生きてるのと何が違うのって思うもの」
暗い店内の中、女の表情は読み取れない。
「は? 何言いいたいかはっきり言えよ」
女は少しの間、無言になった。
「おにいさんは、なんで死んだの?」
こいつは何を言ってるんだ。
「ね、左腕だけで、満足?」
いつの間に近寄ってきたのか、女は人差し指で、俺の首筋を撫でた。
俺を見上げるその眼は、暗闇の中に溶け込んで真っ黒だ。
「おにいさんの身体、ほんとうはもっと、いろんなところ、ないのに」
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