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セロファン菓子店(2)

 あの女、薬でも盛りやがったか。
 幻覚症状が抜けないまま、朝っぱらから外に出るのは危険なんだろうが、左腕以外は至って正常に思える。よし、ナメた真似してくれたあの女、シメに行こう。
 ショップカードに書かれていた場所は、たしかに女の言う通り繁華街から少し離れていた。新しく見えるビルの合間に、朽ちかけた商店が息も絶え絶えに生息する混沌。
 女の店は、閉店中なのも相まって、夏の明るさにそぐわない陰気さがあった。
 仮死状態の店に、身に余る苛立ちを放出させるため、再度シャッターを蹴り上げようとした際に、急に声をかけられた。

「あ、あの。お店、夜しか開いてないんです」

 気弱な声の方を振り向くと、そこには日傘を持った白玉団子がいた。
 白玉団子に見えたものは、ふくよかな体型をした背の低い小さな女だった。
 白は膨張色なのに、服も白のシャツにクリーム色のスカートを身につけている。日焼けしていない肌には張りがあって、高校生だか大学生だか知らないが、とりあえず若いのはわかった。
 
「知ってるけど?」

 睨む。白玉団子の分際で話しかけてくるな。
 白玉団子は挙動不審に目を彷徨わせた後、哀しそうに眉尻を下げた。

「ごめんなさい。わたし、シャッター開けてあげてもいいんだけど、今の時間帯はお菓子なにも残ってないんです」

 そう呟いたかと思えば、鞄の中を漁り、ビスケットを出してきた。動物のデフォルメした絵が入っている、幼児向けの、あれだ。

「食べます?」

 馬鹿にしてんのか。
 とりあえず、白玉団子みたいな女が、この菓子店の関係者なのは理解した。

「おい、細身の女がこの店にいるだろが。今すぐ連絡とれ」

 凄みながら、問い詰める。

「オーナーのことですか?」

 白玉団子は俺の威圧感を気にも留めず、また鞄を漁り出す。出してきたのは、スマホでなくて、今時見かけることのない旧式のPHSだった。

「あ、わたし、オーナーのメアドも電話番号もしらない……」

 化石じみた機械を片手に、白玉団子はしおれた。
 
「店の中なら連絡とれるかもしれないです。よかったら、中で待ちますか?」

 そういって白玉団子は店の裏へ案内しようとする。
 この警戒心のなさは、天然なのか、罠なのか。
 店の中へのこのこ着いていって、中に人がいる可能性はある。普段なら喧嘩くらい買うが、薬の副作用で左腕がなくなっているように見える感覚は、今だに続いている。不利とわかっていて敵地に乗り込むほど馬鹿じゃない。
 かと言って白玉団子ひとりを店の中にやって、警察なり仲間なりを呼ばれても困る。

「おい、勝手に逃げようとすんな。女の居場所へ連れて行け。直接出向いてやる」
「オーナーが普段どこにいるかなんて、わたしわからないです」
「なんでも知らないわからないで通ると思うなよ。てめえがあの女の替わりにボコられたいのか」
「ぼこる」

 白玉団子は心底驚いたようで、丸く目を見開いた。

「え、オーナーをぼこりにきたんですか? お菓子買いに来たひとかと思ってました。すみません」

 舐めてやがる。腹が立って、シャッターに怒りをぶつけた。この脂肪に包まれた女を蹴り上げても良かったかもしれない。
 がじゃがじゃと音を立て揺れるシャッターを、白玉団子はまばたきしながら見ていた。

「ちからもちなんですね。すごい」

 感嘆の声を上げる白玉団子に、さらに苛立ちを募らせる。

「いい加減にしろ。あの女庇うならてめえが身代わりになれ」

 白玉団子の腕を思い切り掴む。やわらかい肉の塊。俺の指がくい込み、白玉団子が手にしていた日傘が、反動で地面に落ちた。

「わたしで、代わりになりますか」

 陽に照らされたその顔は、怯えることもなく、掴んだ肉と同じように、やわらかい表情をしていた。

「オーナーに会いたいってひと、めずらしいとは思ったんです。あの、うちのオーナーは、あなたになにをしちゃったんでしょう?」

 こいつと話をしても時間の無駄だ。
 だが、こいつを逃がすことで、あの女に逃げられるのは、この現状よりよっぽど不愉快だ。

「あ、外暑いですよね。お店の中がだめなら、よかったらとっておきの涼しいところ、一緒に行きません?」



 そのさびれた公園は、確かに涼しかった。
 鬱蒼と茂る広葉樹に、点在する遊具。公園の隣は墓地らしい。遮るものがなく、風の通りがよい。静かで、うらさびしい。
 錆びた鉄棒を遠目に眺めながら、白玉団子みたいな女と俺は、ところどころ穴のあいた半球状の遊具の中で座っている。

「どうぞ。麦茶ですけど」

 白玉団子は鞄の中から水筒を出し、付属のコップに注ぎ、俺に手渡そうする。
 誰が出会って間もない、得体の知れない女の茶を飲むか。

「飲むわけねえだろが。気持ち悪い」

 思い切り顔を顰める。白玉団子は、すみませんと謝り、自分で麦茶を飲んだ。

「あの、今の時期って、太陽が明るいから、なんだかいつもより影が濃いような気がしませんか?」

 とぼけたことを抜かす丸くて白い女を無視して、右手で軽く突き飛ばす。
 あっさりと仰向けに転がる白玉団子のふくよかな胸や、乱れたスカートから垣間見える太腿に、遊具の穴から強い日差しが舞い降りる。

「はは。あんた、もしかして、そういうつもりだったりする?」

 こんな脂肪、どうこうしようとは思わねえけど。
 白玉団子は、よくわかってないのか不思議そうに俺の一連の動作をぼんやりと見ていた。純真ぶる様を見せられても、脂肪の塊に食指は動かない。

「お、起きあがれません……。う、う、う……」

 亀をひっくり返したみたいにばたばたする白玉団子は、心底間抜けだ。
 舌打ちして、白い太腿を軽く引っ叩く。小気味好い音が、半球状の遊具の中に反響した。ひええ、と白玉団子は一際気の抜けた声で動物みたいに鳴いた。
 のろのろとなんとか自力で起き上がる白玉団子。
 俺は左腕を見る。
 腕はなくなっているように見えるままだ。見えなくても動かすことができればいいのだが、全く反応がない。痛みや痺れがあるわけではない。ただ、ひたすらに左腕が存在しない感覚。
 世界から俺の左腕だけが消失したみたいだ。
 今、時間は何時だ。薬の幻覚ならば、時間が経てば元に戻るんじゃないのか。目覚めてから、ずっと、左腕の喪失感は終わらない。
 これはいつまで続くんだ。
 本当に、これは幻覚なのか。
 感情に虫が這いまわるような、不安と焦燥。それは最終、苛立ちに集約される。
 俺は、白玉団子の丸い瞳を睨みつけ、唸るように言った。

「腕」
「うで?」
「俺の左腕。どう見える」
「え、なにもないですけど」
「何事もないってことだな?」
「うでなんて、どこにもないって意味です」

 こともなげに言いやがる。

「ないなんて、そんなことがあるか。ちゃんと見ろ」

 右手で、白玉団子の胸ぐらを掴む。相変わらず動じることないこの女は、俺の左腕付近に視線を寄せる。

「えっと、左のほうのうで、ですよ、ね? ううん……。やっぱり見えません。お会いしたときから、うでないなあとは思っていたんです。元々なかったわけじゃないんですか?」

 そんなことあるわけねえだろ。
 腕を切られたにしても、普通はもっと痛かったり熱かったり苦しかったりするだろ。こんな、何の痕跡もなく、人間の腕は取れねえよ。

「あの女、俺に何しやがった」

「オーナーに、されたんですか。これ」

 白玉団子は俺の左腕があった場所を、こわばった顔で見る。
 そして、真顔のまま、俺に視線を合わせた。

「今晩、店に来てください。オーナーには、わたしからいいます」
「夜なら、あの女がいるんだな」
「はい。お店開けちゃうとオーナーいなくなっちゃうんで、夜の十一時半くらいに、さっきのお店に来てください」
「おまえ、何か知ってんなら、先に吐けよ。何なんだ、これは」

 白玉団子は、その白くて丸い手に力を込め、顔をうつむかせた。

「わたしじゃ、説明、へただから……」

 そのまま黙る。
 このふくよかな女を脅そうが威嚇しようが、そのやわい脂肪の弾力のように、あっさりとはじき返されてしまうのは、この短時間でわかった。白玉団子に話すつもりがなくても、あの女に直接聞いてやる。

「あ、うちの店夜遅いんですけど、その時間起きていられますか? もしふだんは寝てる時間なら、お店で寝て待ってますか? わたし、ちゃんと忘れずに起こしますよ」
「ガキじゃねえんだぞ。ふざけんな」

 すみません、と白玉団子は謝った。

「わたし、いちおう、あの店の店長なんです。雇われ店長ですけど、オーナーに進言、ちゃんとしますから」


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