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なにもしてこなかった怠惰な人生 1

はじめまして、みすみと申します。タイトルの通り、人生何の努力もせず、最近は現実逃避としてOD、リストカット、自殺未遂も2度しました。
これから書く内容はとても陰鬱なので自殺願望のある方は見ないことをお勧めします。

なぜ私がこうなってしまったのか、それから説明したいと思います。

私の人生が狂ってしまったのは中学二年生の時でした。それまで私は明るいタイプの性格で、友人もたくさんいました。しかし、秋ごろに父親の転勤で田舎の中学校に行くことになりました。私は仲のいい友人たちが沢山いたので、いやだと言いましたがそう上手くもいかず、結果田舎の中学に転校することになりました。

転校時、クラスの先生から自分の教室を教えてもらい、教卓に立ち自己紹介をしました。そして自分の机に座りました。休み時間に入るとクラスの皆が話しかけてきてくれました。「どこから来たの?」とか「○○だよよろしくね!」という言葉をかけられました。この時の自分は”とても歓迎されているんだ”という状態でした。しかし、授業内容が前の学校と違っていて、教科書も違っていたので、隣の人に見せてもらって授業を受けていました。
そこから数日はクラスの皆から話しかけられながら安定したクラス生活を送れると思った矢先・・・ 金曜日に数学の小テストがあり、受けた内容が違っていたのであまり解けませんでした。そして掃除の時間、私の心を抉る
言葉を言われました。○○さんのせいで平均点下がったんだけど….
この言葉を言われて私はだた「ごめん…」と言うことしかできませんでした。それでもなお追い打ちのように何回も言ってくるんです。
この時、私は歓迎されていたんじゃないんだ。と感じました。
そうですよね、中学2年生の秋なんてクラスが大体固まっているし、
私のような異分子がいてもしょうがないと考えてしまい、それからクラスの人と最低限の会話しかしなくなりました。
さらには軽いいじめのようなこともしてきました。筆箱を隠されたり、上履きを隠されたり、さらには私に聞こえる声で悪口を言ってきたりと本当に憂鬱な学校生活でした。
家にいても明日学校があるだけで憂鬱になるし、勉強も手につかなくなりました。(私はこの頃親に歯ぎしりが酷いと言われたことがありましたが、これはあとでうつ病の一歩手前の状態だと知りました。)
一時期両親に学校に行きたくないと言いましたが、無理やり連れていかれ、学校に行く前には嘔吐する日もありました。親に学校に行けと言われるプレッシャーと、学校での退屈な時間、どちらも苦痛になり、この時自〇未遂をしました。結果は失敗でした。放課後4階の空き教室の窓から飛び降りようとしたところ、丁度通りがかった音楽の先生が止めに来てくれました。
(音楽の先生はまだ赴任1年目で女性の先生でした。)
その教室で2人きりで何があったのかなど親身に相談に乗ってくれました。
「このことは担任の先生に言っておくね」といい、私はうなずきました。
その後私を校門前まで一緒についていってもらい、帰る際に「我慢しないでね」と言い残していきました。私はそこから家に帰るまで涙が止まらなくなり、なんで「こんなんで死のうとしたんだろう」と感じるようになりました。あの先生は今でも感謝しています。

しかし、期待していった次の日は最悪でした。まず担任がいじめの主犯格を呼びだし、私に形だけの謝罪をしてきました。私はこれでいじめが収まると浅はかな考えをしていました。しかし実態は逆でした。私が教室に来ると睨みつてきたり、「○○はすぐチクるから近寄らない用がいいよ~」と言われる始末でした。もう私はこのクラスの誰とも話しかけないようにし、残りの中学校生活を送ることを決意しました。もちろん修学旅行も未遂の件で親もいじめのことは知っていたので、行きませんでした。
唯一の救いは音楽の先生との会話でした。それ以外に学校に行く理由はありませんでした。
話は進んで、受験の時期になり私は自宅から一番近い私立の高校を受験しました。受験から一週間後、音楽の先生が猛ダッシュで私に向かって封筒を渡してきました。それは高校の合格発表の封筒でした。この時は本当にうれしかったです。そんなに偏差値の高い学校ではありませんでしたが、何よりも音楽の先生が走って届けてくれたという事実に涙が出ました。
そして卒業の日になり、特に思い出もありませんでしたが、音楽の先生と最後の会話の際に、先生が「高校でも頑張ってね」と涙しながら言っているのを見て、私も涙があふれてきました。この時生きててよかったと心の底から思いました。
その後先生とは高校の時に体育祭などで2度ほど会いましたがその後別の学校へ赴任したので、今はもう会っていません。また会えることを願っています。

今回は中学生編を書きましたが、高校生と専門学生、社会人そして現状の私について書いていこうと思います。

中学生編ではあまり怠惰よりも私はめげずに登校したことを私は誇りに思います。ただ、怠惰な人生が待っているのはこれからです。
また書く時間があったら書こうと思います。





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