見出し画像

自分軸で生きたい

最近、病院で認知行動療法を受けている。
そこで初めて知ったのだが、どうやら私の考え方は他人軸がベースとなっていたようだ。
他人軸とは字のとおり、他人を軸にした考え方のことである。つまり「自分がどうしたいか」を優先するのではなく「他人にどう思われるか」など、他人からの評価を中心に物事を考えてしまうのである。

私は『他人からの評価という見えない指標』に怯えていた。そして家庭でも仕事でも頼まれてもいないことまで率先して動いた。常に無理をしていた。自分のことや自分の考えは後回しにした。「誰かのために動く」と、「誰かに嫌われないために動く」は全くの別物だ。これを私は履き違えていた。
弱い自分を見せると嫌われるのではないかと思い、人に本音を話したり相談をすることもできなかった。

そして「自分はこんなに頑張っているのに報われない」などと愚痴をこぼしていた。勝手に無理をして勝手な文句を言う始末である。今考えれば完全な自爆であり、何と身勝手だったのかと思う。

その結果が今だ。本当は仕事を辞めたかったのに「会社を辞めるわけにはいかない。今のところより良い職に就けるわけがない。辞めたら暮らしていけない。」「誰かに相談しても解決できるはずがない。」「現状を頑張るしか方法はない。」などと勝手に決めつけ、一人で抱え込んだ。そしてそれがいつの間にかストレスとなって蓄積し、結果的に自分を追い込んだのである。

他人軸の悪いところは、自分らしさがなくなることや自分を大切にできなくなることだ。自分らしさがないと失敗した時に他人のせいにしたくなる。「こんなことは本当は自分もしたくなかった」という言い訳が自動的に頭に浮び上がる。下手をすれば一生それの繰り返しだ。そんな人生は嫌だ。

何があっても決断したのは自分である。だからこそ自分の言動には責任が伴う。それを理解して行動できるのが大人だと思う。私は本当の意味で大人になれていなかった。

自分を大切にしないと余裕が生まれない。余裕が生まれないと人に優しくできない。

自己犠牲の精神で得られた信用は偽物であり、何かをきっかけに一瞬で崩壊する。信用は得られても信頼はされない。まさに私の妻がそうである。妻は私を信用してくれていたが、無条件の信頼はしていなかった。それは自分軸を持っていない私のことを見抜いていたからかもしれない。同時に私も妻を信頼できていなかったのかもしれない。

自分軸で生きるということは、自分勝手に生きることとは違う。自分のことを尊重した上で、同じように他人も尊重して生きることだと思う。
世間には「こうしなければいけない」が溢れている。それに縛られると、自分のことを尊重できなくなる。自分のことを尊重できない人の人生が充実するはずがない。

これからは「まず自分はどうしたいか」を軸に考えていきたい。急に生き方や考え方を変えるのは難しいが、少しずつ実践していこうと思う。
人はいつか亡くなる。その時「良い人生だった」と思えるかどうかは、どれだけ自分軸の考え方で後悔なく、充実して生きてこれたかによるのだと思う。今のままでは後悔しながら死ぬことになる。それが嫌なら、少しずつ何かを変えていく必要があるのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?