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コロナ1年前の出来事がずっと昔に感じた。

Facebookはときどき「〇年前の出来事」をその時の投稿とともに知らせてくれます。

2月20日には1年前の出来事ということで、2020年のその日、前日に実施した講演会の時の投稿が通知されてきました。.

普段、この類の知らせにはあまり反応しないのですが、「そうだった。この講演会以降、すべてのイベントが中止・延期となっていったのだった。とても1年前とは思えない。ずっとずっと昔のような気がする。これはどういう感覚なのだろう。」と思わずシェアしてしまいました。

その感覚をこう分析してみました。

かけがえのなかった在りし日の日常

この1年で考えると、時間的にはいつものようにあっという間に過ぎてしまっています。

しかし、この出来事が遠い過去に起きたことのように感じるのは、それまでの在りし日の日常と、この1年の非日常の連続とのギャップによる日々の精神的負荷が相当にあって、振り返るとまだ1年しか経っていないのだということを、この通知は改めて感じさせてくれたのだと解釈いたしました。

これは、私だけではないでしょう。

この非常事態に、雇用を守ると宣言し、ぶれずに人を大切にする人本経営を貫き続け、仲間を鼓舞し続けてきた同志の経営者の皆さんとて、実は精神的には相当きつい体験をしてきていることでしょう。

本当にご苦労様です。
よく頑張ってくれてありがとうございます。
心から感謝し、敬服いたします。

さすがに、もう底は打つでしょう。

ワクチンが急速に世界に普及し始めています。本当に効くかどうかはともかく、ワクチンの普及でこの流れが変わるはずです。人々の心に安心感が戻り、行動が前向きになってくると考えられます。

これから徐々にではありますが、経済活動も右肩上がりに復活してくるはずです。1年後にはパンデミック以前の状態まで戻ってくるに違いありません。

そろそろ反転させていこう

その根拠は、今より遥かにひどい致死率であった100年前のスペイン風邪の時がそうだったということが一つです。

スペイン風邪

もう一つは実感です。現在の第三波による緊急事態宣言が発出される前、昨年末の頃には地方から出張要請が入り始め、リアルでのライブ講演も復活、直接会って人を紹介していただくという機会も久々に実現していたからです。

当たり前だった日常が当たり前ではなかったことに気づき、その大切さを取り戻したい、と良心のある多くの人々は行動したくてうずうずしているのです。

それもそのはずです。三密ということで、密閉・密集・密接がタブーとなりました。しかし、密閉はともかく、人が集まり距離感を近づけていく行為は、承認欲求や自己実現欲求を満たすことに直結する、人間の幸福度に大きく影響を与える行為そのものなのですから。まさしく関係の質の良し悪しを決定づけるものです。

オンラインの環境が進んで、リアルでなくとも、一定程度、関係の質を良くしていく取り組みはできるようになりました。

今、社長だけでなく、多くの社員にそうした取り組みの機会を与えて思考と行動の質を高めておくことで、経済が回復軌道に入った時、一気にスパートできるようになるでしょう。

今、求められるのはプラス思考の行動です。


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