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なにげない日常とその内側/『門』

夏目漱石『門』。猫、坊、三、そ、と順に読んできて、常に後発の著書をいちばん面白く感じていたが、それをあっさり塗り替えてくれた。これは好きだ。

吉本隆明が『門』を「いちばん好きな作品」(『夏目漱石を読む』ちくま文庫)と語っているのを読んで嬉しかった。めちゃめちゃ嬉しかった。

人生を少しは重ねてきた中年サラリーマンにとって、なんとも味わい深かった。

主人公の宗助は、私のことだと。「これは自分だ」と思う人が多いものを名作というのだと、誰かが言っていた。宗助の心の動きには、身に覚えがありすぎてちょっと辛いくらいだった。

過去を背負って、今を慎ましく生きる夫婦の物語、というのが正しいプロットだろうか。大きな事件が起こるわけではない。大きな事件があったのは過去だ。

過去にいろいろあったことは時間が解決したように思っているけど、実はなにも結論がついていなかいことがほとんどだ。

そして、過去を共有して仲睦まじく暮らす夫婦であるが、仲の良さは世間からの疎外がそうさせているかもしれない。また、過去の捉え方や苦しみ方は違っている。

その描き方がとてもリアルに感じられるのだ。すみません、私も恥の多い人生を送ってきました、と反省してしまう。


新潮文庫は、柄谷公人の解説がとてもよくまとまっていて、有り難い。もやもやがクリアな言葉になってとても腑に落ちた。こういう解説が同時に読めるうれしさよ。

以下、解説より。

この日常には、希望もないが絶望もない。激しいものが何もない。彼らには過去がある。時間がそれを癒やすこともないが、かといってそれは劇的に襲いかかってくるわけでもない。結局なしくずしのまま老いて行くような予感がこの作品にはある。

しみじみ感じる。平凡な人生のようでいて、実は何かを抱えながら生きている。「なしくずし」のまま生きて、老いていくのは、現実のこととして感じざるを得ない。

それでもなんとか生きていけるし、生きていくほかないからだ。

そうなのだ。それが悲しいとか寂しいとか、そういうことではなく。人生とは結局そういうものでもあるのだろう。

そして、これは結末においてもそうである。結局何ごともおこらなかったのであり、何ごとも解決しなかったのである。

夫婦の内面にはおおきな波が立ったが、夫婦の外側に視点を移すと、体調を崩した以外は、確かにたいした事件は起こっていない。ハッとさせられた。

その意味で、『門』はある独特の時間をとらえている。それは激しくもなく、ただ生活において微妙に累積されていくような時間であり、漱石ははじめてそれを書いたのである。

本書を読みながらぼんやり思っていたことについて、輪郭を明確にして文字にしてもらった気分である。ちゃんと柄谷行人さんの本を購入して読もう。


この小説、非常に良かった。良かったのだが、ひとつ大きな不満がある。

新潮文庫の裏表紙の紹介文(あらすじ)は大いなるネタバレである。

前半は夫婦の静かな日常が描かれ、徐々に親戚関係などの描写に何か後ろめたいものを匂わせていく。その謎が明らかになるのは実に中盤以降であり、そこに至って、こんな過去があったのか!と、驚きと納得を感じるところがこの小説のクライマックスだったんじゃないだろうか。

しかも、肝心の過去の描写はそれほど詳細ではなく、読者が想像して補うような書き方となっている。

それがですよ、上記紹介文では、ほとんど書いてしまってあるのだ。しかも、紹介文の最後に「だが、、、」と書いてあるその続きは、結論からいうと何も起こらないのである。そこがクライマックスではないのである。木村拓哉でなくても「ちょ、待てよ」と言いたくなる。

古典なので致し方ないのでしょうけどね。

これから読む人には、「あらすじ」を読まないことをオススメする。


1,2冊読んだからといって、ひとりの作家を知った気になっちゃいかんのだなぁと。すごいと言われる人は、やっぱりすごい。

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