予定は未定で一度きり
目の奥が少し痛い。読もうと思っていた長編小説に集中するのは無理そうだ。予定通りに行かないことばかりである。しかし、こんな時でも短編なら休みを入れつつ楽しめる。なにより手元に素晴らしい短編集がある。
『浅生鴨短編小説集 すべては一度きり』
「浅生鴨の短編三〇〇」からの書籍第一弾であり、連載をリアルタイムで追っかけている1読者としても嬉しい本である。
本書を開くのは2度目、note連載から通算3度目となるが、読むたびに味わいが深まる。
書籍を読んで最初に驚いたのは、note連載の印象とずいぶん違って感じたことである。横書き(note)と縦書き(書籍)の違いもあるが、字を丁寧に何度も追って情景を味わえるメリットが書籍にはある。
内容はそれぞれ1話完結、作家、露天商、宇宙、少年、会社活動などなど設定は様々で、ちょっと~かなり奇妙な物語がびっしり詰まっている。
ププッと噴いたり、ザワっと嫌な汗をかいたり、ウルッと切なさを感じたり、ほんのり温かい気持ちになったり。短いながら、余韻の残る物語が多いのも嬉しい。
そしてなにより、色や動き、音、おいまで感じさせる描写が好きだ。登場人物のドタバタの横で広がるリアルな景色は、奇妙な物語にスッと入り込める演出であり、まさに文芸なのだと感じる。
ラジオドラマでも聴くように、目を閉じて音として再生してイメージすると、リアルな映像が頭に広がるし疲れ目にも優しい。
名著『伴走者』出版時の記事では、目の見えない人が読むことを想定していると、ご本人が語っていた。田中泰延さんも「きわめて映像的」と書いていた。
見える描写は『伴走者』以降にさらに深みを増したように思われる。などと、詳しくない者が書評家っぽいことを言い出すと浅さがすぐバレるので、やめておこう。
noteにて連載、オリジナル短編小説を毎週2本、計300本発表する、という情報をはじめて知ったときには、なんて無茶な企画なんだろうと、楽しみより心配が先に立った。
週2本の「予定」が守られながら、もうすぐ1年になる。この間、SNSで発信された情報だけでも、複数の書籍編集・出版、書き下ろしの新刊、イベントその他の仕事を完遂されている。
大丈夫なのでしょうか。面識のない相手に「心配」されても困るでしょうか。
ファンとしては、新作を毎週楽しめて幸せであり、書籍化でさらにじっくり味わえて幸せであり、その幸せをかみしめながら、もっと書けと罵倒するくらいが良いのでしょうか。
目の奥がいたいといいながら、結局、今日も目を酷使してしまった。
目にはブルーベリーが良いと聞く。ブルースリーでも効果あるでしょうか。