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【パギやん吠える!】チャンチャラおかしい「安倍国葬」と「統一教会」

浪花の歌う巨人・パギやん(趙博)

万歳!と「まさか…」

 安倍が射殺された時、私は川崎の中華料理屋で友人と昼から呑んでいた。店のテレビでニュースが流れると、思わず二人同時に「やった、万歳!」と叫んだ。
 すぐさま「誰や、やった奴は?」へ話題が移り、友人は「左翼連中で安倍のタマとる根性のある奴なんか、今はおらんやろ」と言った。私が「見せしめや。銭で雇われたヤクザか、統一教会ちゃうか?」と答えた。その理由は「赤報隊事件」が脳裏をかすめたからだった。
 樋田毅『記者襲撃』(岩波書店、2018年刊)を読んだ私の印象は、「小尻記者を87年5月3日に射殺した犯人は、統一教会関係者に近い可能性が限りなく大きい」だった。また、己の主観の域を出ないが、「在特会」はじめ所謂「ヘイト団体」の背後に統一教会の影が見え隠れしている気がしてならないからだ。
 安倍と統一教会の蜜月関係など常識中の常識だが、「トカゲのしっぽ切り」が行われるのは政界でもヤクザの世界でも、日常茶飯事だ。
 私は7月9日のフェイスブックにこう書いた。「民主主義の根幹を揺るがし続けた張本人が凶弾に倒れた。すると〈暗殺〉がいつの間にか〈テロ〉と言い換えられて、〈言論を暴力で封じることは民主主義の根幹を揺るがしかねない〉と、右も左も、上も下も、猫も杓子も、そう宣う。
 政権は、コロナ禍を最大限利用して、民衆の監視・管理を強化しつつ、政治支配の網の目を市民社会の隅々にまで張り巡したが、同様の手法で安倍の死を最大限に利用するに違いない。顔で〈元首相の死を悼む〉岸田は、その真っ黒な腹で嗤っているだろう。ファシストの死が〝ぼた餅〟と化して〝棚〟から落ちて来て、参院選大勝、一気に憲法「改正」へと突き進めるのだから、〈笑いが止まらん〉筈だ。
 黒幕Xはこう考えたのではないか。
 〈安倍の役割は終わった。然るに、性懲りも無くシャシャリ出てきよる。モリカケ・サクラの悪影響も消えていないし、赤木の死も刺々しい。消えてもらおう。選挙の勝利と恫喝の徹底、一石二鳥だ〉/安倍暗殺の真のメッセージは〈お前ら政治家など、最後は殺される…生殺与奪はこっちが決める〉だ。/〈死を悼む、ご冥福を祈る〉良民(汝臣民)の群れが、この真意を覆い隠してあまりある日本という国の、即ち、これがミンシュシュギである」。
 ところが、私の「謀略論」は見事に的外れだった。安倍を殺したのは元自衛隊員の山上某で、動機は「統一教会への恨み」。「まさか、政治的意図が皆無の殺人か…」と、私は打ちのめされた。同時に「いかなる暴力もゆるさない」と7月15日号の表紙に大書した『週刊金曜日』流の、「イイコチャン・リベラル論調」への憤怒も禁じ得なかった。

「暴力を許さない」を国家は暴力で潰す

「いかなる暴力もゆるさない」というテーゼから現実を導き出そうとする誤謬は、実は宗教的錯綜と相似をなしている。つまり、生活苦に苛まれる個人が念仏や信仰で一時的に「癒された」としても、生活苦から根本的に解放されない限り、当該個人は苦しみ続ける。
 それと同様、権力と資本の圧倒的暴力が支配するこの社会で、「いかなる暴力もゆるさない」決意は、念仏や信仰、即ち「御託」に過ぎない。「いかなる暴力もゆるさない」「正義」は、暴力装置を十二分に備えた国家にしてみれば、赤子の手を捻るよりも簡単に潰せる─こんな簡単なことが、どうして解らないのだろうか?
 さて、「奪われていい命などない」は、「奪われる側」の言辞であり、「奪う側」にいた安倍をそこに含める相対主義に私は与しない。
 同時に、「人でなしでも人は人」(拙曲『グーチョキパーのうた』より)だ。その限りにおいて安倍は生かしておくべきであった。一生死ぬまで、監獄で罪を背負わせて然るべきだった。「いかなる暴力もゆるさない」などと御託を並べる前に、安倍を断罪できなかった人民の弱力をこそ、猛省すべきではないか?

「統一教会」に狼狽えるマスコミ・小市民
意図ミエ・ミエの「国葬」

さらに、統一教会が今更何だと言うのだ? そんなもの、40年以上も前から分かりきったことだ。「統一教会=勝共連合は、超カルトで極右で世界規模の大謀略組織」は、少なくとも我々世代の常識だ。
 オウムや創価学会なんて目じゃない。そして金日成が文鮮明と手打ちした事実を忘れたわけではあるまい。だから朝鮮労働党と朝鮮総聯は、統一教会には絶対敵対しない。
 70年代後半から80年代にかけて、「原理研」と称する統一教会系のサークルが大学に蔓延った。神戸外大学生自治会・代議員会議長だった私は、同志・仲間たちと神戸大学・原理研との激しい闘争を展開した経緯があった。
 キャンパス内や阪急六甲駅前での数度の衝突を経て、彼らを大学から放逐し、入信してしまったT君を奪還した。T君の事情を詳述することはできないが、「正常な精神状態」に戻るのに約一年を要したのである。だから、K大学の講師になってからも、私は原理研を絶対に許さなかった、絶対に!
 連日連夜「怖い、恐ろしい」を基調に報道される最近の統一教会関連のニュースは、オウム報道の焼き直し以外の何物でもない。統一教会の謀略と悪行を現在に炙り出したのが山上某の銃弾だとすれば、先ず愉楽のうちに惰眠を貪っていた己(=平和人権ボケ小市民)を恥じるべきではないか。

安倍元首相の罪悪と山上容疑者の功績

「国葬反対」の大多数世論や地方自治体議会の「反対決議・声明」、専門家・学者・識者らの「反論」を踏みにじって、「安倍の国葬」は9月27日に強行された。各地で反対のデモや集会・イベントが催されたが、私は『芸人9条の会/国葬反対大阪有志編』を主催、お客さんたちに大いに笑っていただいた。
 「国葬」の目的は、安倍を称えることで一切を水に流すこと、これが見え見えで、また、戦前の国葬は1926年公布の「国葬令」が法的根拠だったが、現在では何ら法的根拠がないことも明々白々なので、それ以上何かを論じる気にもなれない。
 「もっと説明は必要だった」、「国会での議論が足りない」などという「批判」は、白々しくも空虚だ。そんな戯言は「民主主義」が生き生きと機能し躍動している社会で言ってくれ。今の日本が「法治国家」であると、3・11以降、どの面提げてヌカスか!
 安倍晋三は、自分の名前を冠する学校の建設用地だから、国有地でも安く売却した。自分の権力と権威を失墜させる様な内容なら、公文書でも改竄した。自分の支援者を増やすためなら、宴会に税金も使った。現行憲法の精神に基づいて制定・運用されている教育基本法は「改正」した。「特定秘密保護法」「共謀罪」「集団的自衛権の容認」等々、悪法と悪行の数々を策動する間に、49人もの死刑囚の命を奪い、議員や官僚を死に追いやった。
 そんな安倍の命を奪った山上某の命を、現政権は奪おうとするだろう。それだけは絶対に阻止しなければならない。辺見庸氏は、8月13日の講演会でいみじくもこう語った。「山上という青年の為したことは、近視眼的には間違ったことだが、歴史を考える人間を深くゆり動かす何かがあったと思わざるを得ない」。

写真:9月27日 九段下交差点
武道館への道がバリケードで封鎖されている

(人民新聞 10月20日号掲載)

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