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【翻訳対談】一部左翼の原子力発電支持を問う 脱炭素と言う「嘘」と左派運動のあるべき姿とは

私のような「旧左翼」には、例えばウクライナ戦争でリベラルや左派の人々が米政府やCIAのプロパガンダと同じような主張をしたり、原発推進などを唱える「新しい左派」に戸惑いを感じる。よく「価値観の多様化」と言われるが、私にはそんな問題ではないと思われる。きちんとした歴史認識と科学的方法論に基づく判断の問題であって、価値観の多様化というようなものではないと思うのだが。(訳者:脇浜義明)

「左翼も原子力発電支持へ」
ダン・ボスコフ=エレン Counter Punch、2023年7月24日
(このインタビュー記事は最初Spectre Journalに掲載された)

ーー左翼のネオ社会主義者の間で、議論が大荒れしている ― 脱成長論からエコ・モダニズムまで。エコ・モダニズムの中に化石燃料のオルタナティブとして核燃料を肯定する人々が現れた。しかし、ジョシュア・フランクがマルクス主義オンライン・ジャーナルである『スペクター』のダン・ボスコフ=エレン(ニュースクール大学環境政治学教授)に語ったように、原子力は恐ろしい破局をもたらす偽りの解決エネルギーである。フランクは、原子力はエコ社会主義とはまったく相容れないと主張している。調査ジャーナリストのフランカはカウンター・パンチの編集長で、Atomic Days: The Untold Story of the Most Toxic Place in America(原子力時代:アメリカで最も危険な場所の秘話)(Haymarket,2022)の著者である。


ダン・ボスコフ=エレン
本日はありがとうございます。まず、あなたの本に関することから始めましょう。あなたが本の中で書いているように、EPA(米国環境保護庁)はワシントン州のハンフォード核保護地を米国で一番有毒な場所だと見ています。環境浄化費用の点から見ても、ハンフォードは最も高くつくところで、現時点でほぼ1兆ドルもかかっています。しかし、米国の一般家庭ではハンフォードのことはほとんど話題になりません。あなたはどういう経由でハンフォードに関わり、本に纏めるようになったのですか。

ジョシュア・フランク
私はオレゴン州の大学へ通いました。太平洋北西部の人々は多少はハンフォードのことを知っていました。だから学生の私も少しはハンフォードを知っていました。しかし、それがいったいどういうものか、どういうことをやってきて、将来どういうことをやるのかについて理解していたわけではありませんでした。15年早送りして話を進めます。私が『シアトル・ウィークリー』の記者として環境問題を追っていたとき、ハンフォードの労働組合弁護士がハンフォードに関する資料をくれました。それを読んで私の目が開きました。私はハンフォードの労働者からの内部告発に基づいて何点か記事を書きました。そういう活動を数年間続ける中で、ハンフォードの暗闇、その歴史と害悪を多く学びました。
ハンフォードが米国の兵器産業で、恐ろしい殺人兵器を製造してきたことをまったく知らない人々が多いことにも気付きました。数十年間 ― 主に冷戦期に ― にわたって、わが国の核兵器用のプルトニウムを生産しましたが、その歴史はマンハッタン計画に遡ります。核処理過程で何十億ガロンもの化学廃棄物が発生し、現在5400万ガロンの高レベル放射性廃棄物が巨大な地下タンクに貯められています。この巨大タンクは177もあります。タンクの寿命は数十年なので、やがてタンクが腐蝕して放射能漏れが起きるという危機が迫っています。すでに二つのタンクから放射性物質が漏れて地下水を汚染し、その地下水はコロンビア川に流れ込んでいます。ハンフォードはワシントン州東部の田園地帯にありますが、それはオレゴン州ポーランドの上流になります。コロンビア川は北西部に住む数万人の農民の水源です。また、コロンビア川では漁業で生計を立てている人々もいます。
タンクからの漏れだけではありません。内部告発者たちは災害や何らかの事故でタンクが壊れることを非常に心配しています。タンクの中で常に水素が発生し、それが溜まらないように絶えず抜き取ることが必要です。水素が溜まって何らかの形で引火したり火花を受けると、チェルノブイリ原発事故規模の大災害となります。西部地方や現在ニューヨークでも大規模山火事が起きています。山火事の煙が広い空を覆っています。原発火災の場合その煙に放射線を帯びた破片や微粒子が含まれるのです。
だから、恐ろしい状況となります。そのうえ、原子力に関する環境浄化。費用はこれまでの歴史になかったほど高額になります。現在米国会計検査院6770億ドルと踏んでいるようです。数年前には4500億ドルと計算しています。このペースでいくと10年先には1兆ドルになるでしょう。しかし、私たち税金がその高額金額を出しても、現実は原子力汚染の環境浄化は不可能です。ここで「浄化」という言葉を使っていますが、それが意味するのは放射能汚染を他の場所に移すだけのことで、真の意味で「浄化」ではありません。後で論じることになりますが、放射線を浴びた破片や汚染は決して消え去らないのです。だから放射能汚染は大問題で、人々はもっと真剣に考え、本当に心配しなくてはならないのです。

消えていく「反核」という軸

ダン・ボスコフ=エレン
あなたはこの問題に関して知れば知るほどますます憂慮するようになったようですね。本の執筆のための調査を進める中で、考え方を変わるとか、問題認識が変わったことがあれば、それを説明してください。

ジョシュア・フランク
私が政治的に目覚めたのは1990年代末です。ポートランドに住んでいたので、1993年のシアトルWTO抗議デモに参加しました。私の周囲には昔からの反核運動家がたくさんいました。彼らは今も啓発活動をやっています、いろいろな闘いで成功したことが思い出されます。私は決して原発推進派の中に入ったことはありませんが、現在どんどん蓄積されている核廃棄物や今後の核拡散の脅威があるのに、原子力エネルギーを改めて評価し、原発推進する環境保護運動があることを知りませんでした。
私の世代の左翼の人々の多くにとって、そんな運動があるとは考えられないでしょう。だって、原発反対運動は、権力と資本はともかく、民衆レベルではかなりかなり受け入れられたものだったからです。しかし、実際は違うのですね。新しい流れが出てきたのです。原発推進左翼のプロパガンダと、原子力産業のそれとが重なった、事態は悪化しています。

ダン・ボスコフ=エレン
その問題を指摘してくださって嬉しいです。何しろ、あなたが言ったように、反核は、兵器の点でも発電の点でも、米国の左翼や環境保護運動の基本的前提だったのです。少なくとも初期の環境運動の成果で、反核は左翼の初期設定となっていました。しかし、あなたが指摘したように、その文化的記憶が崩れました。新世代左翼あるいは左翼的思想家たちはその反核初期設定を時代遅れの説と言うのです。気候変動が急激に悪化し、一刻も早く脱炭素化しなければならないときに、旧左翼は原子力を悪と決めつけるだけで、そういう原子力=悪というドグマ遺産を克服する必要があると、新しい左翼は論じます。
残念なことに、その議論がかなりの人々を惹きつけているのです。何か精鋭的な感じがすると同時に、プラグマティックな政治的主義にも訴えるのです。過去数年間でこの原子力支持主張は、社会主義左翼のある部分でかなり強力な勢力になっています。例えば、『ジャコバン』の創設編集者で、米国民主社会主義者(DSA)の元副議長であったバスカー・サンカラは少し前に原子力推進論説を『ガーディアンUS』に書いた。米国左翼の指導的発言をする『ジャコバン』は一貫して原子力支持の論文、例えばシラキュース大学地理学教授で社会主義者のマット・フーバー、政治ジャーナリストのリー・フィリップス、最近では映画監督でプロデューサーとして有名なオリバー・ストーンらの論文を載せた。しかし、この種の議論や主張はもっと急進的な加速主義者(accelerationist)陣営で頻繁に見られます。
私は、現在米左翼の新世代部分で見られるこの種の議論に共通している議論に関してあなたがどう思っているかを知りたいのです。最初に取り上げたいのは脱炭素化緊急要件に関することです。原子力エネルギー支持者は、原子力発電所を閉鎖すれば化石燃料使用の増加になると言います。風力発電や太陽熱発電のような再生可能燃料に依存しても、それから得られるエネルギーは断続的で不十分だと指摘します。原子力(可能なところでは水力発電)がない場合、不足分は化石燃料で補うことになり、現にそうしていることを指摘します。原子力発電の廃止または原子力発電所建設に反対するのは気候変動危機と闘う運動で自らの足を引っ張る行為で、それに比べれば原子力推進の方が害が少ないと主張しています。これに対してあなたはどう思いますか。

ジョシュア・フランク
原子力発電に反対する運動が世界の石炭生産増加を招いているという議論を、私は嫌になるほど何回も聞きました。それはまったくナンセンスな議論です。例えばドイツの石炭採掘は原子力技術が開発されていないずっと以前からありましたし、インドや中国で石炭が使われているのは、反原子力発電運動が強いからではなく、石炭が安価で豊富だからです。
原子力エネルギーを段階的に減らすことは化石燃料への依存を高めるという主張に関しては、すこし厄介なことが出てきました。スタンフォード大学環境工学教授のマーク・ジェイコブソンがNo Miracles Needed;How Today’s Technology Can Save Our Climate and Clean the Air(奇跡は必要ではないー現在の技術で気候変動から救出し大気を浄化できる)を書き、その中で原子力にエネルギー問題解決の一部を担わせる必要ないという議論を展開しました。この問題は、私の調査と考えに基づいて言っても、かなり複雑で難しい問題です。多くは地方の行政体の姿勢、地方政府がどの程度変革を望んでいるかにかかっているからです。
ドイツが好例で、問題の複雑性がよく分かります。周知のようにドイツは原子力施設を閉鎖しています。それに対して、「ドイツは石炭を使っている。何故ドイツは原子力発電を徐々に減らす前に石炭による火力発電を段階的に減らさないのだ」と原子力推進派は批判します。ドイツは石炭依存発電も徐々に減らしているのです。そのペースは遅いきらいがありますが、2007年以降石炭による発電所の新設はありませんし、計画もされていません。つまり、ドイツは原子力発電と火力発電を同時並行的に減らしているのです。もちろん、現在石炭と天然ガスを燃やしているので、それは問題ですが、時間をかけてその使用から脱却しようとしています。ドイツの最新の目標は化石燃料による一酸化炭素放出を2030年までに80%減らすことです。これはヨーロッパ、いや世界の工業国家の中で最も意欲的な目標だと思います。実際にそうなるかどうかは見るしかありませんが、化石燃料からの転移と原子力テクノロジー依存を断つ実験例が進行しているのです。

ダン・ボスコフ=エレン
よく目にする議論は、現代原子力発電は旧のものより安全である、何故なら受動的安全システム(passive safety systems)(訳注:事故が起きた場合人体などへの影響を最小限に抑える技術的処置のこと。自動車で言えば、シートベルトやヘルメットのようなもので、これらは事故を起きないようにするものでなく、事故が起きるのを前提にした処置で、安心できるものではない)があり、原子力発電への不安は時代遅れの旧技術に基づくもので、現代の新原子力発電には当たらない、という議論です。「原子力発電」と聞くと直ぐにチェルノブイリ原発事故を思い起こす。これは核エネルギーに関する冷戦的恐怖の残存で、また核エネルギーと核兵器の混同から生まれる恐怖と、左翼原発推進者は説明します。彼らはエネルギー生産のための原子力技術の利用と兵器のためのそれとを区別します。原発に関して発電所の設計や技術が以前よりはるかに進歩しているので、メルトダウンや大規模破損への心配は合理性に欠ける心配だと説きます。これに対しあなたはどう思いますか。

ジョシュア・フランク
現在提案されている原子力発電所は、確かに、ある意味ではチェルノブイリやフクシマより安全な面があるでしょう。だからといって、それらが確実に安全であるという意味ではありません。テクノロジーの基本的原理は変わっていません。核分裂過程からは放射性廃棄物が生じます。その廃棄物を冷却しなければなりません。原子炉を冷やすために絶えず冷却水を流さなければなりません。もし原子炉がオフラインになる場合に備えて絶えず電源を備えていなければならない。携帯電話と同じですね ― そう、携帯電話も15年前と随分変化しましたが、その技術の基本原理は変わっていません。原子力発電に関しても同じです。
 原発推進派の人々は新しい発電所は旧発電所より安全だ、核廃棄物の産出も少ない、と主張します。少ないとしても、産出することには違いはないのです。多くの場合プルトニュウムも産出します。プルトニュウムなどの核廃棄物の多くは核兵器や核物質の生産に利用することができます。だから、彼らが新しい原発を語っても、核拡散という大きな問題があります。核拡散によって、核エネルギーと核兵器の区別が、彼らの意図を越えて、曖昧になります。核拡散も安全方程式の一部に加えなければなりません。
 最近オリバー・ストーンが数千の新原子力発電所をそこら中に建設せよと呼びかけました。そこで産出される核廃棄物の置き場所がないという問題を無視した呼びかけです。廃棄物が産出されるのは確実な事実です。原子力発電所が多ければ多いほど廃棄物も多くなります。プルトニュウムが核分裂過程の後原子炉で生まれる使用済み核燃料の中に混じっていることが多く、それは他のウラニュームや化学物質から分離されます。分離されたプルトニュウムは原子爆弾製造に使われるのです。原子力発電所は原爆製造に大きな役割を果たしているのです。同じことが、企業が使用している小型モジュール原子炉(SMRs)にも当て嵌まります。従って核拡散というのは由々しい問題なのです。気候変動で地球の未来を心配する人は、同時に核爆弾による地球破壊の未来をも心配すべきだと思います。

核廃棄問題から逃げてはいけない

ダン・ボスコフ=エレン
核廃棄物問題についてもう少し話し合いましょう。よく耳にするもう一つの議論は、核廃棄物問題は大げさな誇張 だという主張。ほとんどの核反応副産物の半減期は比較的短いから、核廃棄物問題は指摘されるほど大きな問題ではない、という議論があります。

ジョシュア・フランク
プルトニュウムが消滅するには25万年もかかり、短いとは言えません。高レベルプルトニュウム廃棄物の流れとエネルギー生産の廃棄物の流れとは少し異なるのは事実ですが、それよりも基本的に同じです。たとえ寿命が短い放射性廃棄物でもどこかで貯蔵していなければなりません。米国には高レベル放射性廃棄物を永続的に貯蔵できる場所がありません。ネバダ州の砂漠にあるユッカ・マウンテンが貯蔵候補地で、放射性廃棄物処分場となっています。ハンフォードも候補地でしたが、地元が「ハンフォードはすでに放射線汚染されており、これ以上汚染されたくない」と反対しました。
稼働中の大量の廃棄物を生産しているうえに、現在奨励されている小型モジュール原子炉(SMRs)は大型商用原子炉より廃棄物生産が多いのです ― 個別的には小型故に排出廃棄物の絶対量は小さいけれど、数が多くなるので、全体として多くなるのです。SMRs推進派は廃棄物処理の方法を考えることさえしていません。ハンフォードからコロンビア川下流にニュースケール(NuScale)という会社があって、この小型モジュール原子炉の建設を計画しています。核廃棄物を、オレゴン州にある廃炉になった海岸沿いの原子力発電所「トロイの木馬原子力発電所」に貯蔵する計画です。トロイの木馬廃炉発電所にはまだ核廃棄物が放置されたままです。推進派は問題ないと主張しています。しかし、この核廃棄物には低温保存が必要で、保存施設は地下でなく地上にしなければなりません。何故なら、そこは地震活動が活発な地帯で、沖合にプレートの沈み込み帯があるからです。いつ何時大地震が起きるかも知れず、起きたらコロンビア川が氾濫し、この核廃棄物施設が破壊して大惨事を招くでしょう。
地震に対する絶対的解決策はなく、いつまで我々を怯えさえる問題です。私が原発に反対する理由の一つは地震です。原発から生産される核廃棄物の安全な貯蔵所なんかはないのです。安全でないから「うちの地域に核廃棄物を保存してよろしいよ」などという知己社会の人々がいないのです。核廃棄物貯蔵所のある地域は自分や子どもにとって危険なので、そんな施設を歓迎しないのは当たり前です。バラ色の見積もりでも廃棄物の中には数百年も影響を出し続けるものがあるので、未来は状態がよくなると考える人がいるわけがないのです。

ダン・ボスコフ=エレン
そうですね。あなたは気候変動で荒れ狂っている山火事を語りました。山火事だけでなく、地球環境はますます不安定になっています。それに並行して政治も不安定になっていますね。

ジョシュア・フランク
おっしゃる通りです。半世紀あるいは一世紀後にはどんな状況になるか、予測ができません。そのことは現在の地政学問題でも明らかになっています ― 例えば今ニュースで取り上げられているウクライナのザボリージャ原子力発電所がそうです。原子炉、原子炉を冷却した廃液タンク、使用済み核燃料置き場が戦争の中で攻撃目標になる可能性があります。ザポリージャが戦火で破壊すれば ― 例えば、ソ連時代に設置されたディーゼル補助発電機が故障すれば、メルトダウンが起きます。また、ダムが砲撃で破壊されて水が流出すれば、使用済み核燃料を冷やすための水が不足し、危険な状態になります。
これに似たことがこれから先も起きる可能性があります。もし台湾戦争となれば、台湾にも原発があります。台湾の原子力発電所が戦争の道具にならないという保証はありません。誠実さに欠ける原発推進派は原子力発電所は紛争地帯でも安全だと強弁するかもしれませんが、原発を推進する専門家は、私たちと同じように、原子力発電所が戦火で破壊することを非常に心配しています。
もう少し廃棄物問題を話しますと、米国には廃棄物貯蔵地域と指定された地域があります。ユッカ・マウンテンがそれだとしましょう。そして、国中に数百か所に新しい原発が作られたとしましょう。そうなると、数百の原発からの核廃棄物 ― 発電所でリサイクルできない廃棄物すべて ― をユッカ・マウンテンへ運ぶ計画が必要になります。放射性物質をトラックや列車に載せて町や村を走るのです。この前オハイオ州で列車の脱線事故 ― 他にも、私の生まれ故郷モンタナ州で原油を積んだ列車が脱線して、原油をイェローストーン川へ流した ― がありました。ますます多くの放射排気物質が列車やトラックで運ばれるので、事故によって一般地域が放射能汚染される可能性が増えています。それに、政府などが常に言っているテロなどの攻撃や破壊工作の標的なる可能性もあります。破壊工作があると、有毒化学物質や放射汚染で人々が大量死します。だから、廃棄物処理の流れは非常に大きい問題なのです。

脱炭素という原子力のまやかし

ダン・ボスコフ=エレン
もう一つ別の原発推進派の議論を扱いましょう。原子力産業は労働組合組織率が高く、組組織率が低い再生可能エネルギー部門と比べると、良質雇用を産み出す、という議論です。その議論に基づいて、友好な労働者階級向きの政治を構築する意味でも左翼は原発推進派となり、電気労組などの団体と仲良くすべきだ主張します。あなたはどう思いますか。

ジョシュア・フランク
その議論は社会主義者の原子力発電支持の隠れ蓑として利用されていると思います。私たち左翼がとても支持できない右傾労働組合がたくさんあります。米国の戦争マシーンを支える産業 ― ドローン、戦闘機などの兵器産業 ― の中には組合組織率が高い企業があります。何しろ高賃金職種ですから。組合組織率が高いという理由だけで兵器産業を支持するのですか。私はノーと言いたいですね。労組がない再生可能部門があるならば、組合を作るように支援すべきです。カリフォルニア州では75000人ほどの人々が太陽熱発電所で働いています。原子力発電所で働いている労働者の数は国全体でみてもそう多くありません。今や再生可能エネルギー部門は全国的に増加しています。だから労働組合組織化の可能性は非常に高いのです。だから、原子力発電産業における組合組織率の高さだけに焦点をあてて議論することは論点のすり替えになるばかりか、芽生えつつある再生可能エネルギー部門の労組結成の足を引っ張ることになります。

ダン・ボスコフ=エレン
核エネルギー対再生可能エネルギーの問題に関して、原子力発電の再生不能な性質と、原子力発電所建設に必然的に伴う経路依存性(path-dependency)(訳注:新しい技術の導入に際して、必ずしも優れた技術が採用されるとは限らず、過去の決定などの経路に縛られるという概念)について意見を聞かせてください。オリバー・ストーンの勧告に従ってそこら中に原発を作ったと仮定すれば、いったいそれでどれだけのエネルギーが供給され、その供給がいつまで続き、早急な炭素除去を行うとする原子力技術がもたらす将来の問題をどう解決するのでしょうか。

ジョシュア・フランク
まず最初に注意して欲しいのは、原子力技術がカーボン・ニュートラルではないという事実です。マーク・ジェイコブソンの試算によれば、原材料採掘から廃棄物処理場の建設までのライフスパンで測ると、原子力は天然ガスよりほんの少し炭素放出が少ないだけです。風力や太陽熱の発電とは比較にならないほど炭素放出が多い。原子力の原料のウラニュームの採掘は非常に炭素集約型産業で、そのうえウラニューム埋蔵量がどんどん減少しているので、原子力産業はウラニュームを求めて至る所に発掘鉱山を作って炭素を産出します。新ウラニューム鉱山の建設には数十年かかり、同じように商業原子力発電所建設にも数十年かかり、その両方で大量の炭素が放出されます。だからIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の勧告 ― 例えば最近の勧告では2030年まで炭素放出80%削減」 ― は、オリバー・ストーンの原子力発電の全面的展開をやれば、まったく達成できません。そのうえ巨額の投資が必要です。

ダン・ボスコフ=エレン
新原子力発電所を数多作るというオリバー・ストーン提案は炭素除去という観点から見ても無意味なんですね。ところで、オリバー・ストーンら左翼的原発推進論には何かいい点があるのですか。エコ社会主義移行に貢献する面があるのですか。例えば、稼働中の原子力発電を即刻廃止するのでなく、稼働させる方がよいという議論は成立しますか。左翼の原子力発電支持には筋の通った面がありますか。

ジョシュア・フランク
とんでもない、まったく筋が通りません。核エネルギーか化石燃料エネルギーかという虚偽二分法を演出しているだけです。そのどちらでもない第三の道があるのです。それは、原子力も化石燃料もやめて、再生可能エネルギーへ進むことです。
しかし、その道へ進む場合も、エコ・モダニズムが意識的に扱うことを避ける問題、例えば大量消費生活様式との決別というような課題に取り組まなければなりません。好むと好まざるにかかわらずに、未来は脱成長です。我々の生活様式や都市生活を改造しなければなりません。食べ物や消費財を変えなくてはなりません。これらに責任をもって取り組まなければなりませんが、原子力推進左翼はそれをしないのです。結局、彼らは資本家階級と同じ消費主義者なのです。不必要で贅沢な過剰消費こそが問題なのに、自ら目隠しをして、未来はSF映画『ジェットソンとスタートレック』型の未来があると思い込んで、消費主義生活に浸っている社会主義者がたくさんいます。

ダン・ボスコフ=エレン
あなたは私の次の質問に少し踏み込みました。それら左派原発推進派の主張の事実に基づく基盤が薄弱ならば、良く解釈してもせいぜいあなたが言うように、気候問題に対して一時的で、部分的で、しかし不必要に危険をもたらす疑似解決にすぎないならば、何故それらが人気があるのですか。その誤れる主張を推進する力は何なのですか。この種の「反対主義左翼」(left contrarianism)のSNSがネットでクリックが多いのは何故ですか。それは、左翼の「周辺的位置」や「生活環境主義」(lifestyle environmentalism)を放棄して社会主義を主流化しようとする、誤ってはいるけれど真剣な試みと見ることは出来ませんか。何か深いイデオロギー的動機があるのでしょうか。

ジョシュア・フランク
私は左翼原発推進論に惹かれる人々には「疑わしきは罰せず」の原則を適用します。気候変動を真剣に心配する、当然そうあるべきことですが、心配している人々は多く、容易で簡単な答えが示されると、つい飛びつきたくなるからです。もし誰かが「気候問題を解決し地球を救う技術があるよ。だいぶん前から開発されているんだ。噂されているほど危険ではないよ。もうチェルノブイリ、フクシマ、スリー・マイル・アイランドの心配はないよ、そんなことはもう起きないよ」と言えば、それに惹きつけられる人々が多くいるのは当たり前の人情です。
もちろんのことですが、企業側の原発推進派は核増殖や拡散のことは語りません。原発事故のことを語りません。核技術に関して切れ目なく語られている問題を取り上げることもしません。そんなことを語ると損になることを知っているからです。彼らの動機は明確で、利益です。しかし、左翼側の人々が原子力企業側の論点を語るのを聞くとがっかりします。いったい何故左翼の人々がそんなことをするのか、私には、正直に言って、分かりません。たぶん、テクノロジーが地球を救うという未来を信じているからかもしれません。
彼らは、つまるところ、生物多様性の重要性を本当は信じていないのです。ウラニューム採掘の最前線に位置する地域社会のことなんか、本当は気にしていないのです。これは環境にとって大問題であると同時に、それを軽視することは左翼にとって大問題なのです。地球の未来の全体論的健康 ― 生物多様性を保護し、採掘鉱業を出来るだけ減らし、採掘の犠牲になる先住民コミュニティを擁護し、先住民の工業資本との闘いを支援し、彼らの伝統的産業の声に耳を傾けること ― を保護し促進すること、それが左翼が担うべき任務です。

資本主義が根本原因 目指すは「鉱業の民主化闘争」

ダン・ボスコフ=エレン
地球環境の全体論的健康の維持は再生可能エネルギーの利用にも当て嵌まることですね。あなたはウラニューム採掘の害悪について語りましたが、ウラニューム採掘は長期にわたる恐ろしい植民地歴史があります。ところで、風力や太陽熱を大規模利用するためには、生産のズレを補うための大規模な電池貯蔵と並んで、土地採掘や水利用が必要になります。先住民社会が風力発電や太陽熱発電技術に関して不安と危惧を表明しています。植林事業でさえある意味で植民地主義的側面があります。原発だけを批判するのは片手落ちになるのではありませんか。

ジョシュア・フランク
資本主義的生産が行われる限り、原子力技術だろうと再生可能エネルギー技術だろうと、あるいはどんな技術であろうと、資源略奪が続きます。あなたのおっしゃる通りです。リチュウム採掘も銅採掘もウラニューム採掘と同じように害を垂れ流し危険です。とりわけ生物多様性と先住民社会にとって危険です。だから、我々は鉱業の民主化闘争を行い、影響を削減する闘いをしなければならないのです。それと同時に左翼は過剰消費を減らすために生活を再編する必要についてもっと議論する必要があります。
私は何百万台もの自家用車が走っているロサンゼルスに住んでいます。この自家用車を電気自動車に置き換えるだけでは解決になりません。電気自動車製造のためにはバッテリー用のリチュウムを採掘、エンジンのパーツ用に種々の金属採掘などが伴うからです。電気自動車製造に費やす巨額な資金を公共交通機関に投資し、我々の移動方法を再編する方向に向かえばよいのです。そういうことが実現できる未来社会のために左翼の我々は闘い、単に一つのテクノロジーを他のテクノロジーに置き換えるような偽りの解決法を避けるべきです。

ダン・ボスコフ=エレン
それと同じことを、斎藤幸平が『人新生のマルクス』(Marx in the Anthropocene)の中で論じています。エコ・モダニズム左翼の代替主義(substitutionism) ― 技術へのイデオロギー的信仰 ― は我々が公正で持続可能な社会への変革を計画するという困難な仕事に取り組むことを妨害します。斎藤はまたガソリン車を電気自動車に変えるというような未来像がグローバル北の人々を惹きつけることを指摘しています。このことから二つの関連問題が派生します。第一は、それが本当の解決ではないにもかかわらず、この種のテクノフィクスが政治舞台で売り物になることです。実際、原発推進左翼はそれが「現実的」あるいはプラグマティックな政治的戦略となると論じています ― つまり、すぐには世界的革命は不可能なので、可能と思われることを行うこと、人民の今のレベルへ降りて行って彼らを取り込んで、現実に妥協しながらことを進めることが必要だと言うのです。「一般人」の支持を得るためには、生活を全面的再編しようとするのでなく、提起されている具体的政策を支援する必要があると説くのです。だから、少し原発を増やすことに賛成しようと言うのです。左翼のこういう政治的現実主義が妥当と思いますか。ラジカルで本当にエコロジカルな左翼は本質的に人民的人気がないと思いますか。
第二は、では、対抗的戦略はどういう形を取りますか。これは大きな問題で、あなたに完璧な形で答えを出すことを要求しているわけではありません。しかし、例えばマシュー・フーバー著『階級闘争としての気候変動』(Climate Change as Class War)の中で述べられているようなもの(同書は狭い労働者階級概念に基づく一種の選挙至上主義を説いている)に対する対位点として、原子力発電に迎合しないような社会主義者の政治戦略はどんなものになるかに関して、あなたの思うことを聞かせてください。

ジョシュア・フランク
資本主義的消費システムがどんなに大きな影響を及ぼしているかという問題を無視して、一つのテクノロジーから他のテクノロジーに切り替える政策を推進または支持するのは安易な運動です。私は、恐怖のテクノロジーから別の恐怖のテクノロジーへ移るのでなく、人々の生活の根底を変化させるようなものに投資することを提案します。
 例えば、カリフォルニア州の最大汚染源は自動車です。私の住んでいる市は自転車が安全に走行できるようにするインフラ促進に予算を投じています。この市は自転車に最適な気候に恵まれています。年々自動車をやめて自転車に乗る人々が増えています。電気自動車に投資する金を路面電車や公共交通機関に投資すれば、人々は自家用車から離れ、排気ガスが減少するでしょう。これも民衆への「売り物」になるはずです。何故なら、自動車が減って安全な道路になるし、健康にも良いからです。私の住んでいる市では自家用車にこだわる人が少なくなっています。人々は機会を与えられればそれに飛びつきます。自転車と歩行者天国という発想は民衆から歓迎させるはずです。エコ・モダニズム左翼の原発推進案よりも、危険が少ない対抗的脱炭素化戦略の方が民衆から歓迎されると思います。
 カリフォルニア州にはディアブロ・キャニオン原子力発電所があります。数年前に労働組合、電力会社、政府が話し合って発電所の廃止に合意した。発電所には多額の金を投資したが、研究の結果それを維持するためにはさらに多くの投資が必要で、再生可能エネルギー開発に投資する方が安価であることを発見したのです。しかし、原子力産業とそれを支える専門家らの圧力で、ギャビン・ニューサムは発電所の延命を決定し、州民の家屋の屋根に太陽熱発電パネルの取り付けやその他のエネルギー効率化技術に投資するのをやめ、海洋から伸びている断層線の上にたっているディアブロ・キャニオン原子力発電所の延命に州予算を注ぎ込んだのです。大惨事を待っているようなものです。原子力産業界はかなりの影響力があります。エネルギー省は小型モジュール原子炉などの技術開発に何十億ドルもの資金を注ぎ込んでいます。
社会主義者として実際にやるべきことは民主主義的未来 ― 原子力も化石燃料も使わない未来の建設に向かう闘いを続けることです。たとえ、右と左の保守主義勢力から異端だと冷笑されようと、その闘いを続けることです。我々左翼は巨視的視点に立ち、根本的変革に進む任務があります。

「環境倫理に基準を」 これからの左派の運動のためには

ダン・ボスコフ=エレン
「公正な移行」(Just Transition)(訳注:気候変動や生物多様性などの環境問題を、関係者すべてにとって公正かつ平等な方法で、持続可能な社会へ移行することを目指す概念)問題に入りましたね。今直ぐ世界革命ができる状況ではないことは認めますが、それでもその方向へ進む望みを持ってはいけないのでしょうか。そういう方向へ進む「非改良的改革」(non-reformist reforms)がないというのでしょうか。原子力発電所建設は他の脱炭素可能性を排除するのだろうか。再生可能エネルギーを広く採用することは必然的に正しいことなのか、それともそれも
に焦点を置くことです。これは問題です。移行に伴って様々な外部性ある点では我々が避けたく思っている既存パターンに我々を縛りつけることになるのでしょうか。

ジョシュア・フランク
我々を縛り付ける問題の一つは、気候変動だけを焦点化し、移行に伴う外部性を一切無視することです。リチュム採掘であろうとウラニューム採掘であろうと、あるいはモハーヴェ砂漠をソーラー・パネルで絨毯のように覆うことであろうと、そのことだけを考え、それに関連する問題を考えないことです。温暖化ガスのことだけを考え、そこで生活し生きている生物、野生林や環境一般のことを見ない姿勢です。これは問題の核心だと思います。左翼が本当の環境倫理、つまり単なる気候心配オンリーを超えた倫理的理解をし、我々の行動が自然に与える影響を考慮しないならば、公正な移転 ― 土地、水、先住民、その他への悪影響を減らす移転は実現しないでしょう。そういう全体論的配慮こそが地球の未来を救うのです。気候を安定させるために地球を破壊するのであれば、そんなものは解決でも何でもないと、私は思います。
我々の運動は何よりもまず環境倫理に基準を置くべきです。そこからどう進めるか、何と闘うかを議論します。化石燃料からの脱却の闘いは言うまでもありません。それを公正に実践するにはどうすればよいか ― これらを学問レベルでも政治レベルでも議論しなければなりません。そのとき、現地で犠牲になっている人々、また我々のプロジェクトの影響を受ける人々の声に真摯に耳傾けなければなりません。そうすることからもっとよい、もっとラジカルな移行思想を形成することができます。しかし、我々はまだそこに至っていません。この核テクノロジーに関する議論は問題を複雑にしているだけです。気候変動への解答として核エネルギーだけを強調することは、もっと大きな事態の把握を欠いていることです。なるほど原発はエネルギー生産過程だけを見ると高い炭素排出はないけれど、ウラニューム採掘から廃炉までの全過程を見ると炭素排出量が非常に多く、未来世代が対処しなければならない毒物をたくさん残すのです。この毒物の処理法はまったくないのです。
 確かに、ソーラー・パネルとバッテリーもいくつかの点で同じ問題を抱えています。しかし、それは原子力と比べれば比較にならないほど小さいです。いずれにせよ、どのテクノロジーが一番悪影響が少ないかを見るリスク・アセスメントをしなければなりません。左翼は根本的に本当の環境倫理を身に着ける必要があります。そうでないと、結局気候は崩壊の運命を辿ることになります。

ダン・ボスコフ=エレン
同感です。それに関連して最後の質問をします。左翼が環境的に再生可能で、人民的公平な未来という、もっと全体論的に考えることを妨害しているのは何だと思いますか。我々がみんな資本主義的文化や生活様式や思考法式の支配下にあるという事実を別にして、社会主義運動自体の中に我々が克服しなければならない環境悪化ルーツがあるのでしょうか。自然は人間に利用されるためにあるという頑固な人間中心主義、あるいは技術合理性への盲目的信仰、そのた何であれ、左翼思想の中には目下我々がしなければならない任務につながらない何かがあるのでしょうか。」

ジョシュア・フランク
私見ですが、最も大きな障害はものごとや人間に現実的に関わらないことだと思います。ものごとを知識として語る方が容易ですからね。例えば、ニューメキシコでウラニューム採掘の最前線にいる先住民と実際に話し合い交流することが、左翼の環境運動にとっては大切です。カリフォルニア州のタホ湖近くのシエラ・ネバダ山脈でリチュム採掘と闘っている先住民の人たちの話を聞くことが大切です。彼らの声を無視することは、階級闘争としての気候変動との闘いの最前線を無視していることです。左翼はもっと視点を広げるべきです。生物多様性が何を意味するのかをもっと広い視点で考えるきです。また、左翼は未開の地、未開の空間の真価をもっと理解すべきです。資本主義的生産がどんな破壊をもたらしているかを左翼は現実的に理解しなければなりません。それは人間への破壊だけではないのです。生物多様性に悪影響を及ぼしている要因はたくさんあり、それを理解するためには、左翼は一つの歴史的談話にすぎない資本主義的思考から抜け出して、地球健康を全体論的・科学的に見る思考法を身につけなければなりません。
 もう一度言いますが、その入り口になるのが、水を奪われ、狩りも漁業もできなくなった最前線の人々の声を聞くことです。先住民との交流が、テクノロジーによって救われるという考え方に陥った一部の左翼の啓発になると思います。

ダン・ボスコフ=エレン
エコ・モダニズムが展開するもう一つの議論は、脱成長や生態系論議はエリート主義で、象牙の塔かPMC(訳注:生化学や生命科学の情報を提供するアーカイブPubMed Centralを指すのであろうか?)という主張です。そんな主張ができるのは、あなたがおっしゃったように、彼らが自然破壊の最前線の苦しんでいる人々の問題に正面から取り組まないからです。

ジョシュア・フランク
そうです。それから、我々が進むべき道を示唆する前向きの出来事が社会で起きています。例えば、最近カリフォルニア州コンプトンで市民農園が勝利した出来事です。コンプトンには黒人コミュニティの市民農園が昔からあったのですが、地主が土地を売却するので、市民農園が危うくなったのです。それに対し全国的な資金集め運動が展開されて、地元民はその土地を購入したのです。こういう種類の運動や実践は非常に大切です。それはよりよい生活様式を樹立する包括的な闘いを示唆しているからです。

ダン・ボスコフ=エレン
ありがとうございました。
 

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