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才能という概念を探る

催眠術。催眠術師がいる。100人の観客に催眠をかける。5人の観客が見事に術にかかる。ほかの95人の観客はただキョトンとている。
5人が術にかかり、95人がかからなかった。
術にかからなかった95人は、観客席に付きステージを眺める。その視点の先にあるステージには術にかかった5人が催眠術師の指示によって楽しそうに歌い踊る。ショーは大盛り上がり。

この催眠術ショーは、ある世界的ミュージシャンのディナーショーの前座。催眠術ショーは最終局面。術師が5人を催眠状態から解放する。正気に戻った5人はすぐに帰ると言い出す。聞いてみると、今までにない満足感と幸福感を味わった。今、初めて本当の自分に出会った気がする。早く家に帰ってこの気持ちを家族や恋人と分かち合いたいと言う。5人は観客席に戻ることなく会場を離れた。
会場に残った95人は前座の催眠術ショーに満足。続いて本日のメインのディナーショーを大いに楽しんだ。


ア、 この催眠術師は5人の人間に催眠術をかける才能があった。
イ、 術にかかった5人の人々には術にかかる才能があった。
ウ、 術にかからなかった95人の人々には術にかからない才能があった。

ア)この催眠術師の催眠をかける才能は、術にかかる才能を持った5人との関係性の中で表現された。術にかかる才能を持った人の共同作業で初めて開花した才能。

イ)術にかかった5人の才能。その開花は、催眠術師とのつながりを持って初めて開花する才能。あるいは、術にかからない人との対比の中で浮かび上がる才能。

ウ)術にかからなかった95人の才能。催眠術師とのつながりと術にかかった人との対比の中で表現化して浮かび上がった才能。

どの才能も一人では、表現化されない。

才能は他者との関係性の中で現れる。

またもう一つ。
才能を才能と呼ぶ解釈力が必要だということ。
見方や解釈によって、できることも、できないことも(プラスもマイナスも)才能だといえる。
発揮すること、発揮しないこと、受け止めるられること、受け止められないこと、すべてが人の解釈によって才能になりうる。


仮説
「他者(人間とは限らない)との関係性の中で現れてくる結果がある。その結果が、その結果を見ている主体者の価値観でグッドな場合。その結果に作用した個人の特性を才能と呼ぶ。」


①それぞれの「特性」があり、
②それが他者との関係性により表現化される。→術をかける、術にかかる、術にかからない、術をかけない
③その表現されたものをそれぞれの価値観によってジャッジする。

その価値観で「グッド」ならその人の「特性」を才能と人は呼ぶ。

この場合の価値観の定義は「何が称賛(グッド)されて、何が非難(バッド)されて、その中間を普通とする分類」

観客の顔触れは、世界的なセレブばかり。しかし、主催者側のミスで5名の席をオーバーブッキング。それがショー開始直前に判明。会場のスペースも用意できる食事もない。5名のお客様には席が用意できない。
そこで呼ばれたのがこの催眠術師。この催眠術師の才能は、クライアントが本来の自分に接触する機会の手助けをすること。
その術を5人にかけて95人にかけない才能。

エ、 この催眠術師には95人に術をかけない才能があった。


追記
まとめておきたいメッセージがあったのに、まとまりきらなかった。
まだ、私自身の中で言葉が熟してなかったのだ。あるいは、例えの催眠術のストーリーと自分の載せたいメッセージにギャップがあるような気もする。まだ伝えたいことがあるのに、それを載せるのにそこに流れて行きそうにない。強引に流れを持っていくか、文字を長くするか。一エピソードに対して欲張りすぎたのか。それでも書くことでアイデアがより具体化して前進した、それを収穫物としたい。いつか、もう少し熟して納得できるものを残したい。
これを読んだどなたか、何でもコメントください。影響をください。



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