見出し画像

「ありのまま」の解釈と取り戻し方。

「ありのままのあなたでいなさい。」「あなたは、あなたのままでいいんだよ。」「ビー ユアセルフ」なんて、救いのある言葉に出会うことがある。ほっと肩の力を抜けるような優しさを感じる言葉。しかし、次の瞬間、疑問が生まれる「ありのままの自分ってどんな自分?」
ありのままの自分ってなんだろう?長いこと自分の中のテーマとしてあった。それがここ最近、自分なりの答えらしきものが言語化でき始めているのでここに残したい。

ありのままの自分とは、自分の好き嫌いである。

そしてそれは、階層によって少しづつ意味が異なる。
まずは、内面の階層。
誰にも理由のない(根拠のない)好きがあり、理由のない(根拠のない)嫌いがある。それら好き嫌いの集合体が自分の内側にあるありのままの自分。
この階層で「ありのままのあなたでいなさい。」とは「あなたの好き嫌いをあなたが受け入れなさい。」ということ。

次は、行動の階層。
好きなものを追い、嫌いなものを避ける。その行動パターンの結果が個性。この階層で「ありのままのあなたでいなさい。」とは、「あなたの個性を表現しなさい。表現してもいいんだよ。」
ここでありのままの自分であることを邪魔するのは他人の視点(世間、常識、宗教、過去の自分)を使って自分を見てそして反応すること。「こんなわがままできない。」とか、「誰かに迷惑をかけるのじゃないか。」とか。
そんな心配はいくらでもあげられる。でも、そんな自分にもう一度言ってもらおう。「ありのままのあなたでいなさい。」その意味は。「わがままと思われても、誰かに迷惑と思われてもいいんだよ。それでもあなたの個性を、(あなたの好き嫌いを)表現してもいいんだよ。」

私自身の経験上の話。あまりに長い間、自分の内側の好き嫌いの声を無視したり、否定を続け、それらに応えようとしない行動をとっていて、自分がわからなくなる状態に落ちた。
自由な時間、好きなことをしようと思っても何が好きか浮かんでこない。何が嫌いも浮かんでこない。やるべきこと、誰かに言われたこと、誰かの期待に応えることを最優先にして、あまり気の乗らない時でもやってきた。やりたいことを二の次、三の次において。

こんな状態が続きその結果、ありのままの私は、私と対話することをあきらめた。期待しても裏切られ続けるのなら期待することをあきらめた方が楽だ。そして私は、ありのままの自分と対話する権利を失った。

この状態で「ありのままでいなさい。」と言ってもらっても・・・。当時の私はきっと、言いたいことはわかる気がするけど何かピンとこない状態。
今なら言語化できる。「そのありのままということがわからないのです。」ということ。「どなたかわかりませんが優しい声かけありがとうございます。ついでにどうやったらありのままの自分がわかるのでしょうか?」と聞きたかった。

今、自分がその問いに答えるなら、
「ありのままの自分と対話する権利を取り戻しなさい。」だ。
赤ん坊だった時(覚えてないが)、自分の好き嫌いを全力で表現した。それに対して母親を中心に周りの人間はそれに応えるために四苦八苦して答えようとした。的外れだと思うこともきっとした。赤ん坊の期待は満たされなかったのかもしれない。でも、それでも表現し続けた。

今、自分の期待に自分で答えることができる。今まで、自分の期待に応えることを怠ってきたのだから、四苦八苦して、時に的外れなことをするかもしれない。でも、期待に応えようとするその姿が少しづつ変化を生む。ありのままの自分が語り始める。「これ好きかも」 「これ嫌いかも」。「かも」という声、その声を無視したり、善悪のラベル張りをしない。「かも」をそのまま「ああ、これを好きかもと感じているなぁ。」とか、「なんかもやもやする、この人の態度嫌いかも。」とか、受け止める。それが、自分の情動を受け入れているということ。「嫌いなんて思ってはダメだ。」なんてジャッジしてなかったことにしようとしない。もしもそんな思いが浮かんだら、「嫌いなんて思ってはダメだと思っているな。」と、それもそのまま受け入れる。浮かんでくる感情も思考もすべてが自分。自分OK。

次は行動。内面のあるありのままの自分を「好きかも」「嫌いかも」と仮説を立てた。その仮説に従い行動する。好きかもと思うほうに重心を置いて、嫌いかもと思う方を遠ざける。好きかも仮説に従い行動した結果、嫌な経験をするかも。でも、そこからまた自分に対する新たな仮説が立つ。行動の結果、何が嫌で何がよかったか。嫌なものから逃げていいし、好きな部分だけ追い求めてもいい。その結果現れてくるのが個性だ。

いくら逃げても、好きな部分だけ追い求めても結果的に嫌な思いをするかもしれない。でも、その時、少なくとも自分は、自分の期待に応えようと行動した。湧き上がる自分の感情を否定せず受け止め、その声に従い行動した。内面的にはありのままの自分を受け入れて、行動的にはありのままの自分であろうとした。結果はどうであれ、それで良いということ。
「ありのままでいなさい。」「あなたは、あなたのままでいいのですよ。」ということは、そういうことなのだ。
あなたが行動を起こすとき、その先の未来はわからない。その先、待っている結果がどうであれ、あなたはあなたを受け入れなさい。または、あなたを受け入れていいのですよ。そして、あなたはあなたの声に従いなさい。または、あなたの声に従っていいのですよ。そして実際に経験する結果がたとえ期待通りではなくても、かっこ悪くても、人に迷惑をかけてしまったとしてもOK。OK。どんなあなたもOK。あなたはあなたにOKだしてOKなのだ。OKなのだー。なのだー。

これが現在の私の「ありのままでいなさい。」の解釈。そしてありのままの自分を見失ったとき、それを取り戻すプロセスの言語化だ。ここに記す。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?