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「見る」と「観察」の違い

1. ただ「見て」いたこれまで

2020年に入り、写真を撮ることが増え、写真の良し悪しを考えるようになりました。「好きなように撮る写真に良いも悪いもない」というのは前提としての共通認識ではありますが、人気の写真家の方々が撮る写真には惹かれる何かが必ずあります。今までは、SNSなどで流れてくる大量の写真を何も考えずにサッと見て、「この人の写真いいな〜」と感じたらその写真を撮った人のプロフィール欄を覗き、その写真家が好きになるといった具合でした。ここでの問題点はただ全体として”見て”、なんとなく好きと感じることです。「見る」ことの意義は感覚的に認識するということで、大抵が「好きか嫌いか」といったような二元的感覚で処理することができます。何か特別に考え悩む必要もなく、簡単にその結果が得られるため、”考えない”という状況に陥りやすいことが欠点です。わかりやすい例が、学生の時、特に中学生・高校生の時に感じる人もいる”国語は読んでみて自由に感想を抱くことが目的であるから、テストなどで一つの回答を求めることはナンセンスである”といったような感覚がこれと似ているように感じます。これはただその文章が「好きか嫌いか」という二つの軸でしか判断しておらず、実際に詳しい意見や自由な感想などを持っているわけではないと思います。あったとしても、小学生が考えたようなレベルの感想であることがほとんどではないでしょうか。私自身、中高生の時は国語が苦手でそのようなことを思っていましたし、何よりその時の私は単に「観察」し、考えることから逃げていたのかもしれません笑 ”考えない”ということが最も楽ですからね。

2. 「観察」するということ

考えることを無意識に避けてきた私ですが、考えなければならない時がやってきます。就職活動です。就職活動を経験した方なら承知だとは思いますが、自己分析というもので、自分がなぜそういう思考回路を持ち、どういった行動源泉があるのかなどを永遠と追求し、それを志望企業のエントリーシートの作成や面接につなげます。それまで感覚的に物事を捉えてきた私にとってはそれなりにきつい作業でした。明確な回答があるわけでもないのに、それをずっと考え、分析しなければならないからです。しかし考えて見たら、人生ってそういうものじゃないの?!という結論に至りました。それ以降は比較的有意義に就職活動を進められて気がします。

そして就職活動と並行して、写真の上達のため日々邁進してました。就職活動に集中すべきであることは承知でしたが、ある意味息抜きのような部分もあったので後悔は一切してません! これまでの写真よりもワンランク上の写真を撮るため、私は写真のオンラインコミュニティに入りました。そこで一人の写真家の方が、おすすめの本を紹介されていました。その本がこちらです。

「絵を見る技術」 ー名画の構造を読み解くー

この本の序章で紹介されていたのが、「見る」と「観察」の違いです。アーサー・コナン・ドイルの『ボヘミアの醜聞』での名探偵ホームズと助手のワトソンのやりとりの中で、「君は見ているが観察していない」という文言があり、それを引用し二つの違いを説明しています。

絵と写真では幾らかの違いは存在しますが、絵にせよ写真にせよそれらに対峙する姿勢には些か共通するものがあるのです。それが「観察」です。ここでいう「観察」とは対象である絵や写真の主題は何か、周りとの関係性は何かなどを考え、頭の中で明確化することです。この行為によってその対象にはどんな良い点があるのかを見つけ出すことができます。

ここで私が感じたことは、「観察」は就職活動における”考える”ことと似ているということです。どこが似ているのかというと、”言語化する”点です。就職活動では、自分の考えや意思、思いなどを”言語化”し、なぜその行動につながったかを分析します。一方で絵や写真の観察では、頭の中でその対象の着眼点についてどう良いのかを”言語化”し、なぜそれが評価されているのかを理解します。以上から

「観察」=「考える」

という構図が見出されます。当たり前だろ、と思うかもしれませんが、実はこれができていない人は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

3. 天才と凡人の違い

クリエイティブ系や作家などの多くの職業で、仕事ができる人や有名になる人には才能があるとよく言われます。真面目に言われたことに従って生きてきた凡人という言葉を体現する私も才能の有無はあると思っています。しかし、影響力を持つ人全員が才能の持ち主であったかというと、そうでもない気がします。私が尊敬する写真家の人はご自身で「何も考えずに感覚で写真を撮っている」と常に言っています。これまでの認識だったら才能があるから、という理由で締め括っていたと思います。しかし、実際はこれまで無意識に数多の写真を「観察」し考え抜いてきた結果、いわゆる感覚で写真を撮るようになったのではないか、と今は感じています。つまり天才と言えど、それはそれなりの経験値を積んできた結果だということです。無意識に「観察」や思考といったフローを行えるという点では、才能なのかもしれませんが。でもそうしたことは凡人にも意識さえすればできます。いえ、ここではもはや天才と凡人という軸で捉えること自体必要ありません。単に「観察」をしているか否かという違いがあるだけなので。

4. 継続する

これまで長々と「見る」と「観察」の違いを述べてきました。この考え方は絵や写真という枠に囚われず、いろんなことにも反映できると思います。「観察」=「考える」となるからです。何をするにしても考える行為は必ず伴います。私もこの就職活動という人生のターニングポイントで感じたこと、つまり「観察」=「考える」の構図を常に意識して、物事に取り組んでいきます。


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