見出し画像

『鬱の本』を読んで、自分の鬱の話(双極性障害)

こんにちは。塵です。
最近この本を読んだ。

話題になってたのと、自分も躁鬱病とはいえ、鬱状態を体験している人間なので、いろんな人の鬱状態についてのエッセイ本かなと思って手に取ってみた。つまり、「『鬱』の本」だと思っていた。
そしたら違った。
84人の人の「鬱にまつわる本」についての本だった。
よく読んだら、帯の後ろの方に

鬱の時に読んだ本。憂鬱になると思い出す本。まるで鬱のような本。
「鬱」と「本」をめぐるエッセイ集。

『鬱の本』点滅社

とちゃんと書いてあった。よく読め、私。
84人、いろんな人がいる。知ってる人も、知らない人も、意外な職業の人もいる。全員が(典型的な)鬱病患者というわけではない。

ひるがえって、自分の鬱のときの話を書いてみたいと思う。

現在は双極性障害(躁鬱病)と診断されているが、調子が悪くなり始めたのはやはり鬱状態のときであった。
厚生労働省による鬱病チェックリストがある。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/kokoro/dl/02.pdf

  • 寝付きのようす

  • 夜間の睡眠のようす

  • 早く目が覚めすぎる、眠りすぎるなど、睡眠状態の変化

  • 哀しい気持ちがあるかどうか

  • 食欲低下もしくは著しい増加

  • 体重の著しい増減

  • 集中力や決断力の低下

  • 自分についての見方の変化

  • 死や自殺について考える頻度が増えたか

  • ものごとへの興味はあるかどうか

  • エネルギーのレベルが低下していないか

  • 動きが鈍重になるかならないか

  • 落ち着かない気持ちになっていないか

まあ鬱状態のときはほぼ当てはまる。
なので、現在上記のリストに当てはまる人はすぐに精神科に行くように。

自分が調子が悪くなり始めた頃は、ちょうど「うつはこころのカゼ」と言い始められていた頃だった。
この漢字のひらきぐらい(どれを漢字で書きどれをひらがなで書くかという話)で、当時のメンタルヘルスをめぐる雰囲気はなんとなく感じてもらえるのではないだろうか。「鬱は心の風邪」ではない。「うつはこころのカゼ」だったのだ。
バブル崩壊はもう遠く、長く続く氷河期、経済的には長く停滞を続けていた当時の日本で、モーレツ社員しかいてはいけなかった日本企業に、突然やってきたのが「うつ」だ。
意欲が無くなる。エネルギーがなくなる。食べられない、寝られない。
もちろん性欲なんてどこにもない。

人間の三大欲求といわれるものがあるが、一番先になくなるのが性欲だ。
性欲というか、私は「人と関わりたい欲」だと思う。
まずそれがなくなる。人と会いたくなくなる。
そして残る二つ、食欲・睡眠欲が拒食・不眠もしくは過食・過眠といったように、マトモでなくなっていく。
つまりは生存本能が少しずつぶっ壊れていくのが鬱病という病気の恐ろしさである。
涙が止まらなくなるとか、駅で電車をまっていたら飛び込みたくなったとか感じたことがある人も全員鬱病予備軍である。
はやく病院行け。
人間というか、生命は基本的に生きるようにできている。
それを疎外する意識が生まれてしまったなら、それはもう病気なのだ。
私はメキシコにいたときも抗うつ剤(当時は鬱病診断だったので)を飲んでいたのだが、薬が効かず、私は病気ではないのかもしれない…と医師にこぼしたところ、

「どこか物理的におかしいところがなくても、あなたがいま生きていて苦しいなら、あなたは病気なんだ。逆に、明らかに病気だと思われる状態でも、あなたが幸せに感じるのなら、それは病気ではない。」

という言葉をもらった。言ってくれた医師の名前は覚えてないのが申し訳ない。
生きていて苦しいなら、身体的に何もなくてもあなたは病気だ。
治すべき何かがあなたのなかにはある。

自分は過食・過眠という形で表に出た。
過食をくりかえし、二ヶ月で25キロ増えた。
一人暮らしだったので、だれもおかしいと気づいてくれる人がいなかった。友人たちは遠慮したのか、引いたのか、何も言ってくれなかったのだが、「痩せた?」ならともかく「太った?」とはいいづらい。
私もメンタルヘルスの知識が今ほどなかったら、友人がそうなっていても聞けないと思う。
明らかに様子がおかしくなって精神科クリニックに通い始めた私だが、私はのちにわかるように躁鬱病患者なので、抗うつ剤は効かない。
もしくは躁転して、やけに上機嫌に活動的になってしまう。これはよいように思われるかもしれないが、支離滅裂になるので、やっぱりおかしい。
今の医師になって双極性障害診断がつき、抗うつ剤ではなく、精神安定剤を飲むようになって、私のメンタルは非常に安定するようになった。
しかし例外があって、私は春と秋の季節の変わり目に必ず体調をくずすのである。

気候なのか天候なのか気圧なのかよくはわからないが、3月と10月を中心とした前後二ヶ月ぐらい、不安定になる。
混合状態になるか、鬱になるかだ。
混合状態というのは双極性障害の当事者・関係者以外には聞き慣れない言葉かもしれない。鬱状態と躁状態の入り交じった状態のことで、たとえば、気分は低下して鬱状態のように沈んでいるのに、行動・思考は非常に活発に働いている…という状態である。
死にたい気持ちは強いのに、行動はどうにか動けるので、自殺のリスクが一番高い状況だ(鬱だけのときは自殺を完遂する行動力がない場合が多いんですが、混合状態はそれができたりしちゃうんだな!!)。
双極性障害の人、および本当は双極性障害なのに、鬱病や外の病気と診断されている人はこの「混合状態の来訪」には気を付けないといけない。
本当にものすごいマイナスパワーを発揮してしまうので。発揮して自殺未遂とか普通にしちゃうので。

鬱状態になると、自分はまず動けない。
朝になるとわかる。まず朝に起きられない。昨日寝たのは日付が変わる前なのに、起きたら夕方というのがざらにある。
「日内変動」といって、時間帯によって症状の強さが変わる、
朝が大変ツラく、時間が経つにつれて夜になると少し調子が良くなる日もある。それもまた寝て翌日どうなっているかはわからない。
なので自分はこの時期は人と約束することができない。
だって起きるまで翌日の自分がわかんないんだから。
頭がモヤモヤして、何も考えられなくなる。もしくは不安と焦りでいっぱいになる。
後頭部から肩にかけてが重くなり、からだの動きも鈍く、重くなる。
二メートル先のトイレに行くのがやっとで、狭い部屋の残りの半分には足を踏み入れることすらなくなっていく。
夕方、もしくは夜まで寝て、ジャンクフードだろうがなんだろうが口に入れて、また眠り、朝になるとまた激しい鬱がやってくる。
涙が止まらない日もあるし、生きている罪悪感のあまり、自分の身体を傷つけたこともある。
手足を傷つけたり、髪をめちゃくちゃに切ったり。
ここらへんは普通の鬱病の人も同じかなと思う。
とにかく苦しい。
横たわっているのに眠れず、本を読もうとしても少しも頭に入らない。そういう意味で私に上述のような「鬱の本」はない。全く以て本など読めないので。
自分の場合は、twitterをながめるのが唯一の救いだった。
家族も来ない、誰もいない部屋の中で一人横たわっていると、不安が激しくなって怖くなる。

そうしているときにスマホを開き、流れていくタイムラインを見ていると、自分が地球上でまったくの一人ではないのだと感じさせられる。
もちろん長文は読めないし、嫌な気分になることもあるのだが、自分の好きな人や興味を持っている人たちのつぶやきを見ていると、いつもと変わらぬ日を感じて、ほんの少しだがうれしくなるのだ。
長方形のスマホの画面は、鬱状態の私にとっては唯一の外界との窓になるのだった。そこの中に飛び入ることはできないのだが、ぼんやりと外をながめることだけはできて、ほんの少しホッとする。
同じように、騒がしくない、うるさくない落ち着いた声のアナウンサーがしゃべる深夜のラジオも好きだった。一人じゃないよ、お元気ですかと言ってくれるような声に心は落ち着く。

そんな季節を繰り返して、いったい自分はなんなのかと苦しみながら医者に通った日々があったが、幸運にも名医に出会い、双極性障害と診断がついた。
診断がついてから落ち着くまではわりと早く、精神安定剤を飲むようになってからは私は年の大半をまともな状態ですごせるようになってきた。
が。
春と秋の季節の変わり目だけは本当にどうにもならない。
何の薬をたしても引いてもまったくよくならないので、もう医師も私も「季節が過ぎるのを待つだけだね…」となっている。
それで数回入院したが、希死念慮のあるとき止めてもらえるというところが病院のいいところだ。新しくできた綺麗な医療センターに入院したときはありがたいと思ったものだ。
みんなが思ってるほど、精神科は怖いところではないし、一生薬を飲み続けなければいけないのも、高血圧や甲状腺機能低下症と同じだといえば同じだ。「精神」というから、なにか心に重いものをもった、不治の病のような気がするが、たしかに不治の病ではあるのだが、それほど絶望的な病ではない気がするのだ。
(もちろん、この文はいま私が元気な状態で書いているからこういう論調なのであって、鬱状態のときに書いたら酷いものになるだろう。まあそのまえに鬱状態のときはパソコン開いたり長文書いたりできないからこんなこと書かない。書けない)

鬱状態といっても、このような状態になる病気はいくつかある。
精神病域の病のほかにも、甲状腺機能低下症や更年期障害(女だけだと思われがちですが男もあるよ!)でもこうなる。
なので、精神科にかかってはじめの頃に血液検査を受けることを推奨する。というか血液検査をはじめにしてくれない医者は正直ヤブなのではと思っている。
精神科の病気への薬は血中濃度を計らないといけないものが多いため、定期的な血液検査はやっているはずだし、やってくれないところはあやしい。
他の身体的病である可能性を排除してから精神科領域の病でないかと疑ってかかるくらいがいい。

かつて「うつはこころのカゼ」と言われていた。
個人的には、風邪のようなものではなくて、「鬱状態は脳の骨折」くらいに言い換えてもいいのではないだろうか。原因はひとそれぞれだろうし、もとの状態に戻るか戻れるかも違う。難治性鬱病もあれば、発達障害からくる鬱状態もある。
痛いし、ツラいし、放置していてはその後の生活が困難になる。
放置していて治らないことはないわけではないが、放っておくと命に関わる。
脳という臓器は本能を搭載していたり、理性や知性を搭載していたりするので、特別なものだと思いがちだが、所詮ひとつの臓器である。
気温や気候の変化、気圧の乱高下にも弱い。
ほんの少しの狂いで、心は病み、身体はだるくなる。
それはえらい人でもそうでない人でも、心に悩みを持っている人でも持ってない人でも、若い人でも年取った人でも同じだ。
だから、みんな結構気軽に精神科行っていいんだよ。

などということを思いました。


最後までお読みくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?