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漂流

係留していた波止場から繋いでいたロープが切れてしまった。
エンジンを修理している間に船内の掃除をしようとして船に乗り込んだはいいものの、掃除に夢中になってライフジャケットを入れておく小さな空間に上半身を突っ込んでいる間に漂流してしまった。
波止場は海にひらけていて、海に落ちていく夕陽を私は気に入っていた。雨でも晴れでも、光の糸を海は無限の方向に反射していて、できれば私もああなりたいと思っていた。
しかし気づけば、船の上に一人だ。海を羨む気にもならないし、何となく恨む気にもなれない。離岸流に巻き込まれたのか、想定よりも早く沖の方まで来てしまった。

岸から約30メートル離れたくらいの時に、私はロープが切れて流されていることに気づいた。おそらく港内には何人か漁師がいたはずであって、「助けてー!流されてますー!」と叫べば、誰かが気づいてくれて助けてくれたのかもしれない。しかし、私はいざ叫ぶとなった瞬間に、自分自身の姿を想像してしまった。おじさんが不注意で流されて「助けてー!流されてますー!」と言って叫んでいる。私は少し恥ずかしくなった。その後に救出された後のことについて考えてみた。いずれこの話は街の魚市場あたりまでは広がるだろうと思った。恥ずかしくなった。一年に一度、大漁と安全を願って漁師全員で神輿を担ぐ「赤崎神社例大祭」のことを考えてみた。朝のお祓いで「今年は流されないようにしろよ」と言われるだろう。宵宮の席ではすっかり酔っ払った自分が、すっかり酔っ払った漁師に「流された時は心配したぞ」と言ってくるだろう。これは申し訳ない。
なんてことを考えているうちに、おそらく声が届かないであろう場所まで流されてしまった。

携帯電話で家族に連絡しようと思ったが、妻は仕事中で携帯への着信には出なかった。仕方なく家の固定電話に留守番電話の伝言を残しておいた。
「船の掃除をしていたら流されてしまいました。探して欲しいです。お手数おかけして申し訳ないです。」
妻は何時ごろ気づいてくれるだろうか。仕事から帰ってきて17時50分。そこから留守電を聞いて警察と海保と漁協に連絡してくれるだろう。
そんなに遠くに流されなければ22時くらいに帰れるだろう。そもそも波というのは陸に向かって進んでいくので、まだ陸地が見えるこの場所からそんなに遠くまでは流されない。うん。流されないはずだ。
一つ心配事が解消されると、小腹が空いてきた。船内から私は、いつも海鳥に与えているかっぱえびせんの小袋を見つけた。漂流というのは少し気持ちがいいものだ。
毎日見ていても飽きない海をしばらく、仕事以外で眺めていなかった。やはりいいものだ。かっぱえびせんが少し湿気っていてもそんなに気にならないくらい海はいい。

私はふと思った。救助された後に、警察とかから怒られだろうか?「何で黙って流されたんですか!」とか、「奥さんに通じなかったらご自身で警察に連絡してください!」とか言われるのだろうな。
私は私以外に、漂流した人を知らないので何とも言えないが、人間非常時には意外と警察とか思い浮かばないんじゃないだろうか?
生きていて警察の人と関わることなんて、免許の更新とかパトカーとすれ違ったりするくらいの時しかないじゃないか。警察よりも普段世話になっていて、頼れるのは妻であるし、そこに電話した私は最大限の助けを求めたことにもなるじゃないか。うん。これなら怒られても大丈夫だなと思った。少しだけ、我ながら妻を愛するいい旦那じゃないかと思ったが、「普段から世話してもらってるし、漂流しているし、やっぱりダメな旦那だな。」とも思った。助けはいつくるだろうか。明日も早いので24時までには見つけて欲しいな。神様どうか24時までに見つかる範囲で漂流させてください。と私はかっぱえびせんを賽銭がわりに海へ投げながら祈った。

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