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命を賭した日本式"方法的"懐疑~漱石『私の個人主義』

文豪夏目漱石が、また近代日本を代表する優れた思想家でもあったことは、あまり一般に知られていない。

本書は、漱石の集大成とも言える晩年の近代個人主義思想が語られた、全国を巡る講演の記録である。彼一流の独創的な眼差しで社会・世間を捉え、シンプルに論理立てて思想を形作っていき、それを小気味よく軽妙な語り口で説いていく。なんでも、当時よりその演説の弁から講演の名手とうたわれていたらしい。


圧巻は、本書タイトルにも使われる「私の個人主義」と題された大正3年の学習院での講演の内容。苦難の末に漱石思想の核となる「自己本位」の境地へと至る道筋が濃密に述懐される章である。

一介の文学士として政府の後ろ盾のもとイギリスに留学するも、「文学とはなにか」「文化とはなにか」「思想とは」と悩み抜き、精神を病んで床に伏せてしまった漱石青年。自身の実存すら脅かしながらも、思考を切り詰め、世界を切り崩していく。この自己批判の苛烈さと形式/通説の強烈な否定は、本書の中に克明に描かれている。

この、デカルトの方法的懐疑、コギト命題を思い出させる徹底的な自己否定は、一見するとそれすらもまた西洋風の形式という罠でもあるが、「懐疑する私」を支える絶対神は、日本にはいない。漱石は、全てがなくなったそこに、少しずつ日本人の精神を吹き込みながら、新しい自己と世界を取り戻していく。

そしてついに、一条の光明が彼を照らす。

彼が絶望の淵で悟ったものとはなんだったのか。それは、”西洋の形式”に自然と流れてしまう自己への厳しい批判の只中で、”決して杓子定規に捉えられない自分自身”を発見し、そこから再出発することの必要性の悟りであった。

思えば、明治・大正の世は、海外から大量に流れ来る文化・文明の潮流の中で、急速に日本が西洋化していく途上にあった。それ即ち、日本という国、日本人というアイデンティティの独自性が、急激に危機にさらされている時代でもあった。「我々はなにか」「我々はどこへ向かうのか」。”英文学を学ぶもの”として立ち、”日本人代表”として政府から命を受け彼の地に渡った漱石が、これらの問いに対面したときの苦悩と葛藤は、計り知れないものであったろう。

そうしたプレッシャーを最後の最後にはねのけ、彼は淡々と語っていく。あらゆる借り物の形式を脱構築して、自分が生きる現実と社会をしかと捉えたその手元から、日本人ならではの理論を打ち立て、表現することこそ、これからの日本に真に必要なことである、と。その事業を我と我が身に一身に引き受けることこそ、自分が成すべき道である、と。

そののち、我々がよく知るような、日本の文学史に燦然と輝く作品が漱石の手によって数多く生まれたのであった。


そして、その思想もまた、晩年に至るまでに一層洗練されていく。自己本位という概念を軸に展開される、”泰平の世に蔓延る個人主義/自由主義は義務や他者尊重と表裏一体の正しい自由にあらず”と喝破する著者の言葉は、独自の緩やかな個人主義論として、現代に生きる我々にとっても傾聴に値する。

本書の講演が1910年頃。現代日本に暮らす我々の歴史感覚から見ると、その当時は日露戦争から世界大戦へと連なるまったき戦時という感じなのだが、日露戦争が終わった後にたかだか数年で、国家主義が衰退の憂き目にあって自由を求める国民が浮かれ惚けるという漱石の分析はわりと驚きではあった。

当時からこうであるならば、戦後70年を過ぎる我々の精神は、当時からどこまで「自由に」変容しているんだろうと改めて思うが、本書の論は現代社会の苦悩をも相当に写し取っているし、当然のごとく我々の胸にも重低音で響くだろう。

ここで一考を要するのは、江戸儒教の理想主義/ロマンチシズムを超克したその先で、自由に任された人々に課されると漱石がいう「義務」、それをまっとうするための徳義/倫理的観念(いわゆる「善」)の源泉がどこにあるか、どこから生じうるか、という点。

それが、国家を超え党派を避けた帰結として各個人が独立して自己本位的に発明すべき善だとすれば、彼ほど苛烈に自分自身に切り込むことの出来ない我々は、どうそれに取り組めばよいのだろうか。彼がいう”寂しさ”より以前に、それは実行不可能な儚いオペレーションになるのではないか。

この難事業が、地獄の底から辛うじて蘇った夏目漱石から我々に投げかけられた挑戦なのであれば、我々はいま謳歌する自由の大いなる代償を、いつかきっちり支払うか、ないしは個々人がそれぞれ辛酸を舐めながら乗り越えなければならないのだ。

いまの自由の見返りへの下準備として、国民全員に読んでほしい一冊である。


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