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プラトン事始め~『ソクラテスの弁明・クリトン』

(岩波文庫)

『饗宴』進行中に思うところあって5年ぶりに再読。プラトン始まりの書であり、忠実に師ソクラテスの考えをなぞった伝記的性格の強い一冊である。

前半の「弁明」は、プラトンの著作ほぼ全てで取られる対話篇の形式(ソクラテスと誰かの対話形式で話が進行する形式)でなく、ソクラテスの死刑裁判における長編演説形式で、劇作的な味付けも多くある。

後半に収録されている「クリトン」は、虚偽の罪で投獄されたソクラテスに対して、友人クリトンが脱獄を勧める場面を描く。クリトンを喝破し、善く生きることの真髄を説く本章こそが、後のプラトン全期に渡る対話篇の先駆けになっている。

本書の立ち位置

翻訳が古めかしくやや難読なのと、内容的に他書ほど思弁的な概念との格闘は多くないため、プラトン思想の全体の中でどう位置づけるかが難しいが、より後の時代から見返したときにソクラテス-プラトンへの流れや両者の差異、初期からの核となる論点が俯瞰できてよかった。

例えば、中期「パイドン」で魂の不死とその理路(=ハデスの国への旅)について相当仔細にこってりと語ったソクラテスは、本書時点においては「死後の世界の事はよく分からない」とかなり距離を置いている。こちらの方が、以降の著作における言説よりも、あまりプラトンの息のかかっていないソクラテス本人のピュアな立場なんだろう。それでいてなお、不死/不滅への強固な信仰に基づいて、不正や媚びに決して逃げない善き”弁明”を滔々と語り継ぎ、望んで死に向かう彼の姿から、感じ取れることは多くある。

"不死"が支えるもの

思えば、この魂の不死の観念はとても強力なものだ。ソクラテスは、人の魂は物理的な肉体に先立って存在し、死後も不滅的に残るものと考えた。そうした心身二元論は物理的/肉体的な死の恐怖を幾ばくか和らげ、外圧に怯えて変なトレードオフを掴まされない生き方の芯の強さに、前向きに向かわせてくれる。

『サピエンス全史』の宗教革命の章には、紀元前から広く存在したアニミズムを含む多神教の多くが死の超克観念を含む一神教に進化したのは、総じて西暦数百年頃であると書いてあり、やや間が空いている。自然の管理/受容の意識を高める働きが主だったアニミズム信仰には不死の概念は不要だったはずで、それではどこで、いかにして不死の概念が生まれたのか、サピエンス全史には書いていなかった。
”歴史上”は大規模/社会的に進んできたようにみえる宗教改革の過程には、意外と個人的で個別局地的なこの時代のソクラテス/プラトンの問題意識が大きく伏流しているのかもしれない。


最後に、本稿ではほぼ触れていないが、「クリトン」中で展開される国家/国法と個人との社会契約についての(ほぼ最古の)議論はとても面白く読めた。こちらもスキ。


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