ミッション9:歌舞伎レポ
日本に生まれながら日本の「伝統」と呼ばれるものには積極的には触れてこなかったこの人生。
小学校2年生になる娘の「一生のお願い」のおかげで、娘と二人
はじめて歌舞伎を観に行きました。
サムネイルは、歌舞伎を観に来ていた雅な方々と、一変して僕が愛用しているアメリカンな手提げ袋の異色のコラボレーションでお届けします。
子どもでもわかる歌舞伎の魅力
ルーツは江戸時代初期にまでさかのぼる京都・南座は、それは厳かな建物です。が、これまで伝統芸能や歌舞伎を見ることがなかったので普段は素通りしていたので、改めて正面に向かってみると「日本」「伝統」「格式」などのパワーワードが重くのしかかり、なんだか変に緊張していました。
前日から、服装はどんな感じで行くのが良いのだろうか
入り時間、観客席でのマナー、見るべきポイントなど念入りに調べあげた
結果、休日なのにキッチリ目のフォーマルスタイル、履きなれない革靴をチョイス。この采配が後に大きな支障となります。
演目は「あらしのよるに」
絵本で馴染みのある「あらしのよるに」を歌舞伎仕立てで脚本されています。
僕も娘もその絵本も読んでいなかったので「初歌舞伎」&「初あらしのよるに」でした。
<日本で1番 端折った「あらしのよるに」のあらすじ>
「喰う者(狼)」と「喰われる者(ヤギ)」が立場を超えて友達になる話
伝統芸能は内容が古典的で難しく、敷居が高いものだという先入観から
「演目は子ども向けだけど、何を言っているかわからなかったり、良く分からない舞踏でつまらないかもしれない」と保険のためにイヤホンガイドをレンタルし、これでもかと余すところなく、100% 歌舞伎を堪能する準備を整え、さらには歌舞伎オリジナルグッズや大奮発弁当を娘と揃えて購入し、ようやく歌舞伎120%でのぞめます。
前日までの緊張が嘘のように気が付けば、まるでライブ会場にいるかのように歌舞伎一色に染まり切った親子が館内で浮いていたのは、後になって気が付きました。
「これこれ!この配色こそが歌舞伎らしさだぞ!」
と娘に力説するも、イヤホンガイドを聞きながら鼻歌を歌い
軽くあしらう小学生の娘。
皆さん、この幕の名前を知っていますか?
「定式幕(じょうしきまく」と言うそうです(byイヤホンガイド)
幕が開け、三味線や太鼓、小鼓に増えなどの和楽器が鳴りはじめ
役者たちにスポットライトが当たっていく。
役者は勿論のこと、舞台背景の美術、楽器演奏者、照明
やはり全てが一流
それが小学生にも感覚的に分かるようで
キラキラとした瞳には、舞台が輝いて映っていました。
絵本さながら、ストーリーもわかりやすく
小学生でもわかる表現に娘は引き込まれていました。
この語り方、演出。
気が付けば、僕も童心にかえり物語に没頭していました。
講演は、途中2回の休憩をはさみ、初めの休憩で昼食をとります。
映画とは違い、間に休憩を挟むということに驚き、
子どもの限られた集中力でも十分に対応できる環境でした。
歌舞伎を観る環境、舞台の世界づくりと役作り
これぞ「芸能」という他ない歌舞伎の世界にゾッコンです。
終幕し、娘に「歌舞伎、どうだった?」と聞くと
「私、歌舞伎役者になるわ!」と強烈に影響を受けたようです。
(しっかり翌朝には、将来の夢はサロンオーナーに代わっていました)
大満足の僕たちは、何か家に土産を買って帰りたいと思い
大好きな虎屋の羊羹(南座限定)を買って帰りました。
あー、かっこいい。歌舞伎の世界。
というのが、全体の話です。
以下、僕が感じた歌舞伎の魅力です。
これが、「粋」というやつなのか!
イヤホンガイドをレンタルしていたので知ることができたのですが
演出の中には、随所に「遊び心」が散りばめられていました。
常識を程よく覆す笑い(突っ込みどころを分かりやすく設定)をつくることで会場を引き込むセンス。
それは、子どもでも分かる突っ込みどころ
(例えば、出ているのはヤギなのに、退場曲がメリーさんの羊「僕、羊じゃないよ!」だとか)から
大常連向きの突っ込みどころ(歌舞伎定番の型をあえて崩しているとか)まで様々なレベルで「遊び心」が設定され、誰が見ても面白い、ずっと見ていたくなる仕掛けが演出されています。
「粋」というのは、こういうことか!
こちらから「見て!これかっこいいでしょ!」という押し付けのセンスではなく、「どんな人が見ても興味を惹くセンス」これが「粋」なんだと。
それをドヤ顔せずに、さらっと魅せる歌舞伎
本当にかっこいい。
これが、「アドレナリン」というやつなのか!
興奮状態で帰る途中、駅の改札に向かう階段で
「かかと」に激痛が走りました。
慣れない靴を履いていったせいで、靴擦れを起こしていました。
娘に「絆創膏を持っていないか?」と聞くと
「普通、大人の方が持っているんだよ!みっともない!」と一喝。
粋でかっこいい一流を観た後もあって、余計に靴擦れした父親を情けなく感じたのでしょう。わかります。
悪あがきですが、少しでもかっこいい大人でいたかったので
自宅に着くまでは一度も「痛い」とは、言いませんでした。
完