2021年はぼんやりこういう年にしたいなという話。

「2021年は早起きを習慣にする!」と決めた大晦日。そして「10時半」に起床した元旦の朝。「明日から本気出そう!」ときめた「10:40」のぼく。

というわけで、明けましておめでとうございます。

ぼくの note を読んでくださっている愛しに愛しているみなみなさま。今年も1年、どうぞよろしくお願いいたします。

今回は「2021年はぼんやりこういう年にしたいなー」という話です。

ちょっとふわっとしてますが、ざっくりまとめるとこんな感じ。

☑︎ 自然体であること
☑︎ 人の評価を気にせず、自分の意思を大切にする
☑︎ ひとにフォーカスする
☑︎ 自分も人も大切にする
☑︎ 成果を出すための習慣を持つ
☑︎ 集中する



自然体であること

生まれた時からDNAに組み込まれてるんじゃないかというくらい、肩に力が入っています。

「肩」という体のパーツに、文字通り「力」が入っているといってもいいかもしれません。

「もっと楽に考えたらいいのに」

これまで友人や家族に何度も何度もいわれてきました。

えぇえぇ。はい。

ぼくもそう思っているんです。そう思ってるんですよ。知らないかもしれないけどさ。

抜けるものなら、手術でもなにをしてでも「力」を抜きたいと考えているんです。

でも抜けないんです。

ラグビーやフットボールで利用するあのパッド的なのが、ぼくの肩を支配しているんです。肩にまとわりついて離れないんです。

で、「なんでかなー」と考えてみたんですけど「真面目すぎ」が原因じゃないかと。

自分でいうのもなんですが、ぼくは小さい頃からなににたいしても真面目に考えすぎちゃってるんですよね。

左脳と右脳の間の領域に、「くそまじめ」という領域が展開されています。

恋愛シュミレーションゲームでいうと、

運動:5
芸術:5
容姿:5
雑学:5
真面目:80

みたいなパラメータになってる感じです。明らかに割り振り方を間違えました。
#もう1回やりなおしたい

警察官の父に育てられ、小さい頃はずっと剣道をしていて、真面目な主人公が魅力的な「赤ちゃんとぼく」という漫画を5周ぐらい読んでいたせいかもしれません。

ともあれ、さすがに真面目すぎるとおもしろみにかけるよねっていうことで、2021年はもっと柔軟にものごとを考えてみようかと。

これまでの価値観では「いやいやそれはないでしょ」と思っていたことも、すぐに否定せずに、アホみたいな顔していろんな価値観を受け入れ、行動をしてみようかと思っています。

イメージしてるのは、「タッチ」の主人公「上杉達也」ですね。

学校一美女といわれる浅倉みなみちゃんを前にしても動じることなく、自然体で生きる。さらに野球では「甲子園優勝」という結果を残す。

かっこよすぎ。これはかっこよすぎ。

・・・うん。

たっちゃんになりますわ、ぼく。

だいたいのことは肩の力を抜いて生きた方がうまくいく気がしますし、ね。

まずは「タッチ」を全巻買うところからはじめてみます。



人の評価を気にせず、自分の意思を大切にする

ひとの評価は、気にせずにありたい。

これはネガディブな評価だけではなく、ポジティブな評価も一緒で、「自分軸」をちゃんと持ちたいと思っています。

人間なので、承認欲求はやっぱりありますし、褒められるとふつうに嬉しいです。

ぼくが犬なら「おいおいそんなぶん回したら尻尾がちぎれるんじゃねーの?」っていうくらい尻尾ぶん回して喜びます。

ただ、「褒められる」っていうのは相手にしてもらうフィードバックのひとつであって、「目的」ではないんですよね。

あまりの嬉しさに、「もっと褒められたい」と考えてしまい、褒められることが目的化してしまうことがあります。

で、褒められることが目的になると、行動がぶれちゃいます。

「この意見をいったら褒めてもらえるかな」
「こういう行動をすれば認めてもらえるはず」

みたいな判断軸になってしまって、「成果に繋がる行動」じゃなくなってしまうんです。

「ぼくはこう思う」とか「こうするのがいいと思ったからこうした」みたいな「自分の意思」を大事にした方がよくて、その方が自分が求めるゴールに辿り着きやすいはず。

とはいえこれは「頑固になれ」ってことではなくて「自分軸をもったほうがいい」っていう話です。

素直な姿勢は絶対持っていた方がいい。

自分の考えなんて結構間違ってたりしますし、ひとの意見を聞いて「あ、ぼく間違ってる!」と思ったら、「ありがとう!」といって修正した方がお得です。

自分の意見にこだわりすぎるのはもったいない。

自分の軸をちゃんと持ち、発言や行動をする。「批判」や「賞賛」は、あくまでフィードバックとして受け入れる。

こういう姿勢で生きていきます。



ひとにフォーカスする

「自分ではなく、ひとにフォーカスする」

これが超絶大事なことは、2020年でわかりました。

もう生きることに「酸素」や「水」が必要なレベルの重要度であることは理解しました。

「2020年 石田雄大的 ”これは今後の人生を通して持っておくべき価値観だよね” オブザイヤー」に輝きました。

でもね、なんかうまくいかなかったんですよ…。

理解はしているけど、行動まで落とし込めていないっていう感じです。

うーむ。なぜだろう。

そう考えてみると、まだ理解度が足りていない気がしました。

自分のための行動っていうのは、べつに意識しなくてもできるんですよ。というかたいていの行動は、自分のためにするものなので。

ご飯をたべるのも、睡眠をとるのも、う◯こするのも、本を読むのも、お金を稼ぐのも。

基本的には意識しなくてもぜんぶ自分のためじゃないですか。

でも「人の役に立つ」ってなると、そうとう気をつけないとそこまで発言や行動が追いつかないんですね。

「これはひとに役立つだろうか?」

なにかいうたび、なにかするたび、そう自問しないと、結局「じぶんのため」に落ち着いちゃう気がしました。

人の役に立とうと動く人が結局しあわせになる。人は自分のメリットになるもの守ろうとするので、自分を幸せにしてくれる人は守る。だから人の役に立つ行動をした方がいいよ

的なことをキンコン西野さんが言ってた気がしますし、ぼくもその通りだなと思うので、2021年は「ひとの役に立つ行動」を心がけて動こうかと。



自分も人も大切にする

「ひとにフォーカスする」に近いのですが、「自分」も「人」も大切にしていきたいなーと考えています。

「自分も」というところがポイント。

わりかしぼくは自分に甘い方ではあるのですが、わけわからんところで自分に厳しさを出します。

「どんだけ自分に甘いんだてめー!」とか、「こんなこともできねーとかクソだな」みたいな。

自分にダメ出しするのが得意なんです。ドMです。

でも、こういうのはあまりよくないとも思っていて、無駄に自信をうしなっちゃうんですよ。

「うわぁ、ぼくってなんてダメな人間なんだぁ・・あわわ」

みたいな。

で、それが行動量にも影響する。

「こんなダメなぼくが何したってどうせダメなんだぁ・・あわわ」

みたいな。

なので、基本的には自分にも「いいね!」、ひとにも「いいね!」の姿勢を保つことにします。

毎日「いいね!」します。だれも「いいね!」してくれなくても、ぼくだけはぼくに「いいね!」してあげます。

あなたにもです。うふふ。

ちょっとだけ話がずれちゃいますが、世の中「批判」が多すぎると思っていて、「じゃあおまえできんのかよっ!」っていわれたら「うぅ…」ってなることがほとんどだと思うんですよ。

言うは易く行うは難し、です。

最近だと、M-1 グランプリ 2020 の王者に輝いたマヂカルラブリーのネタに対して「漫才じゃない」みたいな論争が起きてましたが、どっちでもいいのでは?、と個人的には思います。

M-1 にチャレンジしたこと自体素晴らしいし、決勝の舞台までいけたことがすごいし、そこでおもしろいと認められたことがワンダフル。

ふつうに「いいね!」じゃダメなのかなぁ。

もっと「いいね!」を大切にしていきたいですね。



成果を出すための習慣を持つ

自分の求める成果を出す鍵は、「習慣」です。

「成果」という宝箱をあけるには、「習慣」という鍵を作る必要があるんです。
#大事なことだからおなじことを2回いったよ

33年間、数々の本を読み、世間から「成功」といわれる称号を手にした数多くの「成功者」の記事を読んで確信しました。

まぁ人間なんて基本死ぬまで足掻き続ける生き物だと思うんですが、ぼくがまだ「非効率」に足掻き続けているのは、「習慣作り」ができていないからかなと。

求める成果によって、必要な習慣は変わります。

100メートル走を12秒で走るためには、その習慣が。
東京大学に合格するためには、その習慣が。
年収1,000万を得るためには、その習慣が。

このへん考えつつ、ぼくが辿り着きたいゴールと、そのゴールに辿り着くための習慣をつくりたいですね。

作れなかったら、今年の年末は、2020年とたいして代わり映えのない年末を送っているはずです。

もういやなんや。

「今年も早かったね。何も成し遂げなかったわ」とつぶやく年末はいやなんや。

「2021年は死力をつくした」と、今年末にはつぶやくことにします。



集中する

超絶ざっくりですが、ちょっと集中力不足感が否めないです。

この note を書いている間だって、LINE みたり、ツイッターみたり、あっちにいったりこっちにいったりです。

かの有名な経営学者「ピーター・F・ドラッカー」は言いました。

「選択と集中が大事なんだぜぇ」と。

2020年を振り返ると、謎のぼんやりタイムが多かった気がするんですね。

iPhoneの「スクリーンタイム機能」でどんな App をたくさん利用していたか確認すると、TOPにランクインしているのはほとんどSNS。

Twitter
Kindle
LINE
Instagram
YouTube
Netflix

かの有名な経営学者「ピーター・F・ドラッカー」は言うでしょう。

「おまえバカか」と。

学生ならまだしも、「成果だしたいんですぅ」と口では立派なことをいっているやつの利用 App ランキングではありません。

これは「謎のぼんやりタイム」が生み出していると思っていて、要はなにをすればいいのかわからない状態で iPhone を使っている結果だと思うんですね。

なのでまずは選択、つまり「やることを決める」。

そして集中、「決めたことに全精力を注ぎ込む」。

とりあえずやることはある程度決めたので、選択は完了。ついで「集中」の時間を作り出すために、すべての通知をオフにしました。

さて、やるよ。



というわけで

ざっくりですけど、2021年の指針はこんな感じです。

超絶ざっくりいうと、ぼくとぼくの周りの人をしあわせにできるように、動いていきます。
#好感度UP

あらためまして、今年も1年、どうぞよろしくお願いいたします。

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