真面目なひとや優しい人がバカをみる世界は嫌だけど、そうなってしまいやすいよねってお話。

こんにちは。

今回は、「真面目なひとや優しい人がバカをみる世界は嫌だけど、そうなってしまいやすいよね」みたいな話をしたいと思います。



いじめや過労死の背景にあるのは「真面目さ」や「優しさ」

ニュースから「いじめ」や「過労死」、「自死」といった話題はなかなかなくなりません。

いまでも毎日、とまではいかなくともかなりの頻度で目にしています。

ついこないだも、北海道で「いじめ」の苦から自死を選んだ女の子のニュースを twitter でみました。

ご家族の方のことも考えて詳細は差し控えますが、ことば選ばずにいうと、むちゃくちゃ胸糞悪かったです。女の子のことを思うと、ことばがでてきませんでした。

ぼくが親で デスノートが手元にあったら、間違いなく使ってますね。そんなレベル。

ちょっと話がずれちゃったので、話を戻します。

なぜ「いじめ」や「過労死」「自死」がなくならないか?と考えたとき、その背景にあるのは、被害者側の「まじめ」とか「優しい」性格に起因している気がしています。

真面目な人や優しい人は、「気が弱い」という性質になりやすく、結果として「がまん」を選びがちです。

がまんが限界点を超えたとき、「過労死」や「自死」につながってしまう、というロジックです。

ちょっと掘り下げてお話しします。



「真面目な人」「優しい人」がバカを見てしまうのは、都合がいいから

「真面目」「優しい」と「気が弱い」は共存しやすい性質です。

真面目な人や優しい人は、おそらく人一倍過去に「いじめ」や「いじめっぽいこと」を経験している可能性が高いと思っていて、

「ちゃんとしていて面白くない」
「おとなしいから何をしても大丈夫」

みたいなよくわからない理由で、いじめのターゲットになりやすかったりするんですね。

で、いじめられた経験があると、人一倍「ひとから嫌われたくない」という感情を強く持つようになります。「いじめを受けることのつらさ」や「ひとりの恐怖」を身をもって知るからです。

本能的にある程度は「嫌われたくない意識」って誰でも働くものですが、これが強くなりすぎるとちょっとよくなくて、ひとに「それはダメでしょ!」みたいなことを強気で言えなくなってしまいます。

「嫌われたらどうしよう」っていう意識が働いてしまうので、「嫌われるくらいなら言わない方がいい」っていう選択をしがち。

結果、「気が弱い」という性格になってしまいやすかったりするのですが、こうなると真面目な人や優しい人ががまんをし続ける世界が出来上がってしまうわけです。

まわりが正しく意見をいってくれたり、愛や敬意にあふれた環境であればいいものの、権力に頼った意見や暴力的な意見が日常茶飯事という環境では「がまん」がどんどん増えることになります。

言葉を選ばずにいうと、真面目な人や優しい人は「都合がいい人」になってしまいやすく、状況によってはバカをみてしまうことも少なくないんです。



最悪逃げろ、できれば「嫌われる勇気」をもて

じゃあどうすればいいかなんですが、どうしようもなくなってしまったら、最悪その場から逃げちゃえばいいと思っています。

学校なら休んだり転校しちゃうのもありだし、職場なら転職したり、いっそのことお金がなくなるまで旅にでるとかもいいと思います。

世界は広いです。どこかにきっと自分に合う環境っていうのは見つかります。

とはいえ「逃げる」っていう選択肢は、最悪どうしようもなくなったら、、ってときにとる最終手段にした方がいいです。

根本的な解決にはなっていないので。

ジャイアンがめちゃくちゃいじめてくるから、ジャイアンのいない世界にしたら、今度はスネ夫がめちゃくちゃいじめてくる、みたいになる可能性が高いんですね。

最もおすすめなのは、「ちゃんと意見を言えるようになること」。気が弱くてもいい、「ガマン」を選ぶんじゃなくて「ちゃんと意見をいう」を選ぶ。

ぜんぶ相手の意見を通してしまってなにもいわずに我慢ばかりしていると、正しいかどうかにかかわらず、「いいたいことを言ったもん勝ち」みたいな世界になります。

こうなると「気が弱いひと」はがまんの量が莫大に増えてしまうはずです。

「気が強いひと」は好き放題いって、「気が弱いひと」はひたすらがまんし続ける世界になってしまいます。

もちろん「気が強い = 好き放題いう」っていうわけではありませんし、なかには正しいことを言えているケースもあるでしょう。

でも、「気が強い人の意見がいつだって正しい」わけではありません。なかには間違っていて、そんな無茶苦茶を聞く必要のないことだってあります。

気が強い人の意見に常に従い、がまんするのは間違っています。

意見をいうために必要なのが「嫌われる勇気」です。

「間違っていると思ったことは間違っている」と伝える勇気を持つと、不要ながまんがなくなります。

気が弱くてもいいので、嫌われる勇気を持って意見ができれば、きっと世界はどんどん変わっていくはずです。

そういう勇気を持てる人が多くなってはじめて、真面目な人、優しい人が生きやすい世の中になるんじゃないかなぁという気がしています。



というわけで

真面目で優しい人ってぼくは大好きです。なんなら自分で言うのもなんなのですが、ぼく自身まじめな方で、ある程度の優しさもあって、そしてもれなく気が弱かったりします。

なので、自戒も含めて書きました。

真面目で優しいのはとても素敵なことなのですが、だからといって意見をいわずに我慢ばかりしているのは、あまりよくないですよね。

真面目で優しい人ほど報われる世界になってほしいですし、そう言う人ほどちゃんと意見を伝えることができれば「優しい世界」を作っていける力を持っているはずです。

ラブ&ピースな世の中にしていくためにどうすればいいか、的なことは考え続けていこうと思います。

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