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「”教育”とは”忍耐”である」人は失敗から学ぶ生き物。

先日、こんなツイートをしました。

「教育」とは「忍耐」である。

ボクはそう思います。ひとは失敗から学ぶ生き物だからです。そして、失敗を「許容する」という点において、「忍耐力」が必要なんです。


「教育」は、「野球」みたいなもの

まず、ぼくの思う教育のイメージをお伝えすると「野球」みたいなものだと思っています。

1. バットの振り方を教える。
2. 打席にはひとりで立ってもらう。
3. 三振して帰ってくる。
4. なぜ三振したか一緒に考える。
5. もう一回ひとりで打席にたつ。
6. フライでアウトになる。
7. なぜまっすぐ前に飛ばせなかったか、一緒に考える。
8. もう一回ひとりで打席に立つ。
9. ヒットを打てるようになる。
10. 一緒に歓喜する。

今日1番お伝えしたいのは、ここのところです。ちょこっとだけ説明をくわえてみます。


「教育」とは?

ぼくは、「教育」を以下のように考えています。

「失敗する」っていうのをわかっていても、あえてそれを「許容」し、あとから「うまくいかなかったのは何が原因?」「どうすれば今度はうまくいきそう?」と一緒に振り返ってあげること。

たとえば、ぼくは前職でも今の仕事でも、「電話応対」の業務をしてきました。

どちらも周りの人たちに本当に助けられてきていて、控えめにいって「感謝」しかないのですが、一番きついなと感じたのが、電話対応中にフィードバックされることです。

「その伝え方しちゃダメでしょ!」とか、「そのことばいらない」とか、そんな感じの言葉を近くでいわれてました。

「できる側」からすると「できない側」の行動はすごくじれったくうつると思うので、気持ちはわかるのですが、これはぜったいやっちゃダメですね。

そこはグッとこらえる。そう、「忍耐」です。

あくまで打席にはひとりで立ってもらう必要があります。

「その場フィードバック」は、バットを振ってる途中に、外野からあれこれ言うようなもんです。

はっきりいって邪魔にしかなりません。

かといって、スキル不足な自分だけで最後までお客様対応してうまくいくかというと、これまたうまくいかないでしょう。

ただし、同じ「失敗」であれば、後者の方がずっとポジティブ。

ひとりで対応しているので、うまくいかなかった原因も必ず自分の中にあります。つまり、後から自分の何がよくなかったのか、要因を振り返ることができるってわけですね。

この「振り返り」をうまくサポートするのが、「教育」担当の役割だと思っています。


サポートしすぎもそれはそれで…

一方で、サポートしすぎるのも良くありません。

優しさに溢れている人によくあるのですが、かわりに打席に立っちゃうんです...。

結果だけみたら、確かに「ヒット」を打てたかもしれないけど、それって自分の力じゃないですよね。

かわりに打席に立ってヒットを打ってあげる「誰か」がいなくなったら、途端に何もできなくなってしまいます。

なのでやっぱり打席には「ひとり」で立ってもらった方がいいんです。

どんな「三振」だろうが、「凡フライ」だろうが、「ゴロ」だろうが、出た結果を次の打席に活かせればそれでOK。

間違ってもかわりに打席にたっちゃいけません。


まとめ

「教育」は「忍耐」です。

失敗を「許容」し、暖かい目で「見守る」こと。

これがとても大切です。


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