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化学はまさに「ばけ学」:本来どういう学問でみのまわりでどうかかわるものなのか

いつもありがとうございます

はじめに

 さまざまなヒトへ「化学(化け学)に関わり…」と自己紹介すると、聞いた方の多くは話題をほかへと移しがち。たぬきかなにかが化けるイメージ?

そこであたりさわりが小さくなるかもしれないと「バイオのほうで…」とか「生化学を…」とお茶をにごしたり、「学位は農学でして…」と口にしたりするとひとまずほっとされる。

どうも「化学」ということばにある種のなにか近寄りがたい印象があるのかも。ほとんどわたしの誤解かもしれないが、1種の固定観念としてとらえられがちな「化学」について、援護するわけではないが紹介してみたい。

元素のもとは

 身のまわりの物質はもとをたどればさまざまな元素や分子でできている。たった100種ほどの元素の組み合わせのちがいでさまざまな物質がかたちづくられる。わたしたちのからだですらおなじ。

じつはそれぞれの元素は原子核を構成する陽子・中性子の数とそのまわりをめぐる電子の数のちがいで区別できる。元素のならぶ周期表をながめると特定の軌道上にいくつの電子があるかで典型元素の「族」はきまる。

物理学の一部がどちらかというと原子を追求するのに対し、化学ではその対象の多くは分子。生物はそれが集まりできる組織や器官、そして個体や集団が対象。

いいかえると化学は元素どうしのむすびつきやその変化、結果でしょうじる分子や化合物を対象にする学問。

「ばけ」学のゆえん

 いちばん外側の軌道をめぐる「最外殻電子」が物質どうしの化学反応においてかぎをにぎっている。こまかい話ばかりでもうしわけないが、じつは化学とはそれぞれの元素のこの(これらの)特有の電子のようすをいかにしてさぐるか、そしてその性質からどんな「反応」がおこるか知ろうとする学問といっていい。

化学を「ばけがく」とよくいう。音のまぎらわしい「科学」とくべつして呼ぶときよくつかう。物質が反応して(ばけて)べつのものに「変わる」ようすからこのことばは言いえて妙。ときに色の変化をともなうそのようすはまさに手品のよう。

それに魅了されこの道にすすんだ。しかもそれが生物にまで共通の事象と知り、ますます興味が湧いた。脳のはたらきすらこの物質の変化とむすびつけられる。まさにおどろき。

1分子をみつめる

 現在は物理・化学・生物と分野をくべつすること自体があまり明確でなくなった。一例をあげると生命科学の分野では生命にかかわる分子についてその挙動をさぐる。いまや最先端ではわずか1分子のようすを観察できるまでに。

まだまだかぎられたものにすぎないがそれはまさにこの分野のとびらをたたいたひとりとしておどろき。この先端科学を駆使した観察をつうじていずれは薬の開発などがすすむかもしれない。

それには物理・化学・生物、そして数学・工学などたくさんの学問領域のたすけなしにはとうていなしえない技術。

おわりに

 このまなびの先、そしてこれからの進歩がじつにたのしみ。その一方でもはや科学者のさじ加減ひとつで世界が変わる(世界を変えてしまう)まできてしまった。

まさにパンドラの箱。このふたを開けてしまったからには、これまで以上に化学のみならず科学をこころざすヒトビトの「倫理」がますますたいせつだと痛感する。


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