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スマホのカメラと三脚があればごくごく手軽にアンドロメダ銀河さえ写せる時代になった


はじめに

 夜空を見上げる。街のなかでは星々を肉眼ではポツポツとしか見えない。街灯や建物のあかりをさえぎるところで1,2分ほど目を暗がりに慣らし見つめると、そこそこの数の星が見える。

天の川をなんとかうっすら見られるところならば、平凡なスマホのカメラでじゅうぶんすぎるほど星を写せる。

きょうはそんな話。

夜空を写したい

 星をながめるのがすき。宇宙の神秘に想いをはせるのはわたしにとって欠かせない。どうしてちっぽけな地球のうえでヒトビトはあらそうのだろうというきもちになる。じつにもったいない話。

宇宙に目をむけるとそんなのは些末で微塵にすぎないできごと。そんなことをやっている場合でないのはたしか。宇宙だったら万障をのりこえてできる協力(たとえば宇宙ステーションのプロジェクト)がなぜ地上でできないのかかなしい。

遠くへ行ってみたい。ダイナミックな星々の活動のようすや星の一生をあらわす変化、宇宙の灯台といわれるパルサーや、いまもってなぞの多いブラックホール。そしてなによりも地球以外の生命。もっとそばに行けるものならばそのなぞにすこしでもせまりたい。人類はそうした探査の旅が容易でないと知り、そのかわりとなる手法をさまざま編みだした。

科学の進歩で

 天文学はそうした科学の手法にたよる。地上には大型の望遠鏡、各種のパラボラアンテナが宇宙のはるかかなたを映し出す。このクニの得意な電波天文学衛星。そして数々の宇宙望遠鏡はそういった技術のさきにある。地球に満ちる大気の影響をうけない宇宙空間に飛びだして観察できるすぐれもの。

ただしわたしのようなアマチュアでさえ、じつに気軽にそして身近な機材でその片鱗に触れられる。それはスマホ。夜間撮影のできる機種がむいている。

てもちで撮影がむずかしいならば三脚に固定して撮影するといい。じつは撮影できる被写体は地上のものだけでない。カメラを空にむけるとじつにあざやかに想像をはるかにこえるほどの星々が夜空にあると気づく。スマホだけでない。手もとにあるデジタルカメラ(長時間露光できる機能があるもの)の多くで夜空を撮影できる。

以前だったら

 デジタルカメラ登場まえのころ。ほんの2,30年まえ。夜空の撮影には感度の高いフィルムを装填したカメラが必須。赤道儀など地球の自転にあわせて星々を追尾するモータードライブなどの装置をつかうのが望ましかった。

それでも満足できずに水素増感フィルムや光電子増倍管など微弱なひかりを感知する技術がつぎつぎに登場して、天文の分野にもただちにとりいれられた。ただしいずれも特殊な道具や装置、そして費用が半端なくかかり、わたしにはほとんどお手上げ。

自作の道具で

 そのひとつの赤道儀は買えなかった。当時の写真フィルムでは星のうごきにあわせて長時間、微弱な星の光をあつめてようやく感光させられた。星のうごきにあわせてカメラをごくわずかずつなめらかにうごかせる道具が必要。それが赤道儀。

星のうごき(つまり地球の自転)を一軸のうごきだけで追尾できる。家にあった厚めの合板に、あるピッチの細長いネジを装着した手づくり。三脚や望遠鏡に固定、そこへカメラをのせてつかう。秒針のある時計で秒数をみつつ手でうごかしながら夜空の星を長時間(数十分ほど)追尾して長時間シャッターをひらいたまま撮影した。

この装置を北極星の方角(正確には天の北極方向)にあわせて、星のみかけのうごきにあわせて時間とともに弧をえがくように微妙にうごかす。するとフィルム上に1点の星の光として集積させ、ようやく一枚の写真にできた。

おわりに

 こうした苦労の撮影でも写せる対象はかぎられた。なにより自作装置は合板製。何万、何十万もする精密な装置とはひかくにならない。フィルムの現像が必要で撮影後すぐに確認できない。当時住んでいたあかるい街なかではなかなか満足のいく星野写真は得られなかった。

そんな撮影がいまやスマホでかんたんにできる。望みの空の方角にむけるにはそれでも三脚がほしい。天の川やアンドロメダ銀河、たまに訪れる彗星(うごきがことなるのでブレてうつる)などもごく短時間(空の方向によるが十数秒程度)で写せる。もちろん赤道儀や自動追尾装置などを装着すればなおさらいい。

だれでも手軽にためせる時代になった。

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