見出し画像

いまふりかえる歯にダメージをあたえたタイミングとまがりなりにも残した歯


はじめに

 自分の歯だけでどうにかこうにか人生のおりかえしをむかえた。ところがいまそれが微妙な段階に来ている。

ふだんづかいの道具ならば買いなおせばすむが歯はそうはいかない。生まれもつ永久歯を失えば、用意されているもののおおくは人工的な代替品でしかない。みずからの歯ですめばそれにこしたことはない。

きょうはそんな話。

いつのころか

 いちばん歯を傷めつけていたのはいつのころか。なんといっても小学校の中学年以降。放課後、週になんどか数枚の10円玉をにぎりしめ駄菓子屋にむかう。そこでお気にいりの菓子を手に入れほうばり、夕暮れどきまで友人たちとあそぶ。永遠につづくのではないかと時間がゆったりすぎていた。

このころを思いかえす。きっと歯みがきを思いついたときにはしていたのだろう。学校で歯みがき指導もあるにはあった。だがこどものやる作業。念がいるはずがない。習慣にすらなっていない。その結果は明白。背が伸びはじめたころには歯科通いがはじまった。虫歯だ。

歯科通い

 学校の検診で診断書が家に配布され、それに目をとおした親がはじめて気づく。それほど進んでいた。最初の1,2回だけ親といっしょ。それ以降はひとりでかよった。

手前から2つめ、あるいは3つめの永久歯をつぎつぎと虫歯にしてしまう。あわてて歯科にむかうがすでにあとのまつり。抜かないですんだが、それでもかなりけずられつぎつぎと銀色のものでおおわれた。

現在わが子たちは虫歯ゼロ。わたしが歯科通いであじわった苦労をさせたくないと思い、歯の生えはじめたころからつかまえて歯みがきをわたしがやった。こどもたちには歯みがきしないと「ばいきん」が歯をひとばんのうちに食べてしまうから退治しようといいながら。こどもたちはしんけんな顔でわたしをみつめておとなしくしていた。

かんちがいのはてに

 おろかな小学生のわたしの話にもどろう。なさけないことにどこでかんちがいしたのか奥歯までぜんぶ乳歯で、いずれおとなの歯にはえかわるものとしんじていた。

多少虫歯にしても生え変わるからだいじょうぶと大きなかんちがいと油断。そうでないと気づいたのはずいぶんあとになってから。待てどくらせど虫歯の奥歯(すでにこれは永久歯)は生え変わらない。後悔先に立たず。

「もう、ずっと年とるまでこの歯なんだよ。」とおとなのだれかが教えてくれた。何か所もの治療中の歯をかかえたままのわたしはそれを聞いてぞっとし、そして途方に暮れた。

さいごの治療が済んだのはそれから何年後だろう。たしか高校2年のころ。このさいごの歯がのちにあだとなる。

ようやくことの重大さを認識できておくればせながら歯みがきを3食後におこたらなくなった。そののちはひとつも虫歯はみつかっていない。だがときすでに遅し。そのままの歯をどうにかこうにかだましだましつかいつづけた期間のほうがながくなった。

もうかわりの歯はない

 いまいちばんの気がかりはひだり上の手前から3つめの臼歯。ここを治療した高校のときのさいごの歯科の作業はずさんだった。治療後すぐに不具合のためやりなおしをたのんだがそれでもしっくりいかないままだった。

大学生となりべつの街に住みはじめ、この歯の詰物がたびたびはずれてしまうため、この街であらたな歯科にかよった。そこでわたしがしっくりこない理由を聞けた。この歯科医はこの歯のようすをみながら「この治療はどうも…。」とわたしにきこえるようにつぶやいた。ずさんだということらしい。

いまやあとのまつり。そういうことがあるんだと知る。けっきょくそこの部分をきっかけにして歯をうしなうことになりかねないと、この歯科医はわたしにつたえる。なるべく抜かないで処置しましょうと言ってもらえた。ことは重大。この歯が抜けるのをきっかけにおそらくつぎつぎとまわりの歯が抜け落ちるかもしれない。

おわりに

 万が一抜くとなるとどうしよう。さいわいなことにわたしは親しらず4本のうち2本はのこしたまま。うごかないままあごにおさまっている。場合によってはこの残した歯を抜いて脱落した歯のかわりにあてがう治療法があるという。とはいってもけっこうおおがかりな治療になる。なるべくならそれさえさけたい。

いま通う歯科医は「かたくていい歯ですね。」という。まれにみるじょうぶでかたい歯らしい。きっとうめぼしの種を平気で歯で割っていた母親ゆずり。それをだいなしにするなんて…。きっと歯科医は話をそうつなぎたかったにちがいない。

だましだましすこしでもながもちさせようときょうも歯みがきにむかう。


こちらの記事もどうぞ


広告


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?