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日々感じる気候をあらわす言葉と感覚の喪失感 前向きに生きようとするきもちを呼び覚ます


はじめに

 春夏秋冬。はる、なつ、あき、ふゆ。声に出すとそれぞれの語感に、こどもの頃からの各季節で経験したイメージがかけめぐる。

ところが10月、3月などと月に置き換えて思い浮かべると、こどもの頃といまでは体感する気候とのギャップを感じてしまう。同時に極端な気候の出現。

もちろん、それらに皆が気づき、黙々とできることから実践に移している時代。かと言って書かずにはいられない。なごり惜しい言葉たちもある。

その「ずれ」と喪失感について私感ながらふりかえりつつ、むかしがどんな気候だったか記しておかないと、へえ、そうだったんだと思われかねない。もはや以前の気候にともなう感覚の実体験すら場所と機会がないとむずかしいのかもしれない。

同時に過去をふりかえり、世の流れに乗りつつ余生をどう生きようかと思い、書き記す。


四季の豊かさと微妙な変化は…

 日本には四季がある。いや、あった。こどものころはたしかにあった。夏休みの後半の宿題が気になるはじめる夜になると、団地の目の前の原っぱへ花火遊びにくり出す。

夜遊んでもよい唯一の口実。それをきっかけにほかの何人かの風呂上がりの昼間いっしょに遊んだご近所の子たちも飛び出してくる。

ひとしきり遊んで、手持ちの最後の花火に名残惜しげにろうそくの火をつけるころになると涼しい夜風がすう~と吹いていた。その夜のしじまに潜む魔物のいそうな感覚はわすれない。もう家に帰らないといけないよの天の合図。

夜がふけいくきっかけでもある。こどもながらに肌でその微妙な感触を体験していた。夜とは冷たい、何か得体のしれない恐れの存在だった。

その感覚を現在、同じ時期におなじ場所で感じるのはなかなか難しい。夜になってもLEDの街灯は明るく灯り、昼の火照りが冷めやらないままクーラーなしではすごしづらい。


暑さ自体は存在したが

 クーラーのなかった頃の夏の昼間は暑かった。夏休みの部活のトレーニングののち、ひんやりした校舎のコンクリートの床にぺたりと身を置いていた。

そうした昼下がりの学校帰りにとたんに雲が立ち込め、周囲が暗くなったかと思うまもなくぽつぽつ、ざあ~と降り出し、かわいた土のにおいがしてきたのを思い出す。夕立。

みんなで店のせまい軒先に雨宿りして、10分か15分もしないうちに日が差しはじめる。すでに西の空に傾いた太陽にもとのぎらぎらした力はなく、汗がひくぐらいのちょうどよい涼風が感じられた。その感覚も忘れられない。

これも今はなかなか機会がない。「ゲリラ豪雨」になってしまったのか。呼び名も情緒がない。起こる時刻もまちまちだし、降ったあともまた蒸して暑い。湿度が高いまま汗がじっとり肌にまとわりついたまま。

勘にすぎないが何かおかしい。


微妙な感覚

 雨や雪など気候を表す言葉はいろいろあるはず。それを使い分ける季節感を身につけたいと子どもながらに思いつづけてきた。小説を読むとそれこそ「ちがいのわかる」大人の感覚だとそうした記述へのあこがれときめ細やかな日本の気候に想像をふくらませてきた。

「細雪」など中学生の読む本としてどうかと思うが、ませて背のびしていたのかも。当時の読後感は未だに鮮烈に残っているし、谷崎潤一郎のみならず、川端康成などいまなおくりかえし読んでも情景の記述は味わい深くて悩ましいほど心が揺さぶられるも繊細だ。

こどものころのわたしは、当時、温暖な街なかに住んでいるから雨の「使い分け」をできないのだろうとなかばあきらめていたが、あらためてふり返るとそうともいいきれない。

たしかに繁華街にいると、どこもかしこもコンクリートとアスファルトに覆われ、五感に頼ろうとも手がかりはごく限られ、細かな季節感覚を味わえにくい。

ところが現在、自然の脅威を日頃から感じやすいはずの中山間地に住んでいながらやはりできていない。いや身につけたくともなかなか実体験できずにいる。


雨をあらわす言葉の感覚

 それでも「緑雨」などにはわたしなりの印象がある。あくまでも私感。この雨には木々が目覚めて新芽をいきおいよく展開し、新緑のイメージいっぱいだが、しっとりした弱すぎず強すぎないやわらかで育む感覚。

新たに展開した葉で起こる蒸散の結果、スイッチONになった根の根毛からその水分を森林にたくわえられた養分とともに、道管をつたい勢いよく吸いあげて、木々のすみずみまで滋養になっていく感触。

そんな降り方はではなく、最近はざあ~と降ってはやみ、また激しく降る。どの季節でも雨の降り方そのものが似てきた感じがする。

新緑の時期にはいまも「緑雨」はあるのだろうけれども、わたしが鈍くなってきたのか、観察の機会を逸しやすいのか、それともそうした降り方を見つけにくい気がする。


季節のわりふりのずれ

 12・1・2月…冬。3・4・5月…春。6・7・8月…夏。9・10・11月…秋。

小学校以来教わった日本の季節のわりふり。もちろん日本は南北長いし高地もあるので、こよみの上と実際、さらに地域で異なる。それでも肌感覚で現在の状況を独断・私感であらわすと、

1・2月…冬。3・4月…春。5・6・7・8・9・10月…夏。11・12月…秋。

5月は春のようで夏のよう。6月に梅雨をはさみ、10月も夏のようで秋のよう。9月はまちがいなく夏、12月は中盤過ぎまで秋。実際その頃に紅葉(あくまでもわたしのすむ暖地)。

あくまでも暖地に住むわたしの感覚。人それぞれだろうが、ここ10年ほどはこんな感触。だんだんと極端さが増しとくに今年はここまでそうだった。半年ほどを夏が占めTシャツ1枚ですごし、シャワーだけですごせる期間が伸びた。

そのぶん寒い季節は短くなった。短いにもかかわらず寒さはむしろ極端になり、雪はよく降る。ゲリラ豪雨の冬バージョンかもしれない。


なくすのは惜しい

 連綿と語り継がれてきた繊細な日本の季節の感覚。いずれの語感もうつくしく、そしていとおしい。はたしてうまく後代に伝わるか。すでに言葉の世界に限定される、つまり死語になりつつあるのではないかと危惧している。

四季ならではの繊細さ。京の都まわりの季節の細かな移ろぎのなかで充実してきた。二十四節気(にじゅうしせっき)やさらにこまかな七十二候(しちじゅうにこう)など季節の微妙な変化を表し、農耕や習わしなど実生活に役立ててきた。

人の手の及ばない天候へのおそれや信仰なども関わりつづけてきた。それがどうだろう、もはや地球に対して人類の及ぼす影響が、気候面で如実に日本だけでなく世界各地にあらわれ、いつのまにやら身近な生活のなかに見るも明らか。


おわりに

 私たちの世代の責任は大きい。むかしはこうだったと言いぱなしでは何も進まない。そのなかで生きていかないといけない。変動をくいとめ、すこしでももどせないか対策をすすめる毎日。

できることをみつけてやりつつも、今起きている気候変動を受けとめ、そのなかで適応、くふうし残されたものを享受するしかないというべつの考え方も耳にする。

ふりかえってわたし自身、先日記事にしたように自動車にたよる生活をどうするか、一足飛びにコンパクトな生活の場所へと移り住むべきか、もどかしい気持ちにさいなまれている。

これも人類に与えられた試練。輝かしい未来を選べるはずとプラス思考で考えたいし、むしろ前よりもよいものにしようというぐらい前向きなきもちでとりくみたい。

うん、そうだ、そうありたい。

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