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予想どおりのノーベル生理学・医学賞のニュースに接しつつこれからもれんめんと次世代に伝えていきたいこと


はじめに

 きのうニュースで知った。人工的につくったmRNA(メッセンジャーRNA)をワクチンなどとしてつかう基礎となる手法を開発した方々がノーベル賞を受賞した。

さほどおどろきではなく数日まえに学習サポートのリモート授業で、だれになるかの話が出た際にまっさきになまえがあがったおふたりの学者。この手法をもとにして、世界じゅうをかけめぐった病をおさえるため、製薬会社がごく短期間で製造、ただちに利用されたワクチンはめずらしい。

それに付随して思うこと、次世代につたえていきたいこと。

きょうはそんな話。

受賞に関して

 研究サポートの職場のエレベーターで顔をあげると本日のニュースが表示されている。ノーベル生理学・医学賞におふたりの学者のなまえ。やはりそうかとおもった。世のヒトビトはこのはやり病といきなりといってよいほどあらわれた「ワクチン」にせっする機会となった。

あるくふうのうえでmRNAを体内にいれるとしっかり目的のとおりにはたらくという手法を21世紀のはじめに開発した学者たち。これを契機にがんなどほかの疾病の治療薬などへの応用も図られている。

世界じゅうにこれほどひろがった病に対処するために、このあらたな科学的手法がもちいられた。受賞時に世間で対象となる内容がわりとはっきりしていることもめずらしい。

例年であれば、受賞内容に関して世のなかのヒトビトの多くはくわしくない。そこでわたしの分野にちかい同賞や化学賞をまわりのヒトビトに説明する立場になりやすい。説明されるまで一般の方々のほとんどは例年ならばその内容をほぼご存知ないといっていい。

今回はちがう。ワクチン(ことなるタイプのワクチンもあるので注意)へこの学者たちが見出した手法が利用されたインパクトは大きい。もちろん接種にともなう一部の若い方々への心筋炎のなどの副反応の解明などさらにあきらかにすべき余地はのこされている。

科学に接して

 この受賞の報にせっしてつくづく科学を理解することのむずかしさを思った。科学の進展とその倫理性など、つねに底流としてあたまにいれたうえでの行動や発言がもとめられる。

発明した内容が社会にあたえるインパクトや影響はつねにプラスのものとはかぎらない。冷静に立ち止まり、ほかの方々の意見を聞くほうがいいとか、まずは議論をへてルールづくりやなにかをさだめたうえで進めるか否かを判断したほうがいいとか。つねにそう思うし、もはや科学のどの分野でもそれほど社会にあたえる影響ははかりしれない。

SDGsのとりくみのありかた

 関連してきのう研究パートのゼミで議論になった。SDGs。それぞれのテーマのなかみをよく知ったうえでとりくむべきとなった。やろうとしていることがはたしてほんとうに地球の持続性のためになっているのかどうか立ち止まって考えるべきとの話になった。

「エコ」ではなく、ヒトの「エゴ」のための目標になっていないか、もう一度よかれと思いすすめようとしていることをもういちどみつめなおしてみようと。

おわりに

 ノーベル賞の受賞のこの時期は、毎年のように科学での立ち位置をみつめなおす契機になる。わたしとて科学者のはしくれ。社会のルールからはみだすことはゆるされない。考えもしないで安易にうごいてしまうと、意図せずまかりまちがえばとりかえせないほど世界に影響をあたえてしまう。たったひとりでもそう。

責任の大きさを毎年この時期になると痛感するし、そのことだけはひきつづいてあとのかたがたへとしっかりとつたえていきたい。


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