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わくわくしているヒトには周囲の人をひきつけてうごかす魅力がある


はじめに

 これまで多くの人との出会いがあった。前記事に書いたように影響を少なからず受けた先達の方々もいる。

人としての魅力とはなんだろう、その人とお近づきになりたいと考えられる要素や特徴ってなんだろう。

わりとわかりやすく表出しやすいところについて記したい。


多くの人がいる

 これまでさまざまな人に接してきた。ああ、この人おもしろいなあとか、個性的とか、ちょっと近づけないとか。たいてい好奇心だけでとりあえず怖いもの見たさでそばにいることもある。その点はわたしのほうが変わっているのかもしれないが。

すこしだけ具体的にいうと、何かに没頭できてその目的のことをおもしろがってやっている人にはまちがいなく惹かれる。まったく畑違い、自分の興味などとはほど遠い分野であってもそう。

要は、人生の貴重であるはずの時間をどれだけそこへ費やし、精魂を傾けていられるかということ。スポーツでも趣味でも、仕事でも。ヒトっておもしろいなあとつくづく思うし、そうありたいとも考える。


自分はどうだろう

 ふりかえって昨今の自分。果たして懸命に生きているか?どうだろう。この昨今の状況下でそれに一抹の迷いや疑問が出てくる。どうも考えがまとまらない。

自分からやりたいことはあるにはあるのだが、意識がそこへ集中しない。動機が弱いのかな。そしていつも、きっとうまくいかないだろうなと弱気に考えてしまう。

これまでとどうもちがう。この状況下でますます先が見えなくなっている。考え込んでいるより、まず行動、とこれまではそれで何とかなっていた。

動きはじめると、そこへ必ずと行ってよいほどこういう人がいてくれるとありがたいなあと思う人がわたしの前にあらわれ、サポートしてくれた。不思議だなと思う。

見方を変えると、これは自分が積極的に動いているからこそ周囲の人がそれとなく気遣いいただいて、知恵をはたらかせてくださった結果で得られたとも考えられる。

いいかえると、あることにわくわくしていた自分がいて、周囲の人がそれを達成させてあげたいとご自分の領分から動いてくださった結果なのかもとも思える。きっとそうかもしれない。なにも偶然じゃなかったのか、自分本位に考えすぎていた。

だから「人」ではなく「人間」って表記するのか。「ヒト」という生き物はコミュニケーションの結果、人による人のサポートの結果、おたがいにもちつもたれつの「人間」という関係で生きていることの一例か。


おもしろがること

 ヒトはふだんとちがうことを面白がる。赤ちゃんだってそう。いないいないばあ~を喜ぶ。おとなだってそうだろう。ふだんどおりの平凡な生活のなかにふだんとはちがうものを見つけたときにおもしろいな~と興味を示し、そこへ意識が移る。人への興味もそう。

ふだんとのちがいや、あるものの本質に気づき没頭している状態を示しつづけて、けんめいな姿をさらけ出していると興味を示してくださる。それをきわめると金メダルだったり、人間国宝やノーベル賞だったりする。


おわりに

 それらまでは到達しなくとも、自分がおもしろいなと思えることに共感してくれる人がひとりでもいること、そしてそれに気づいたときはうれしい。

たとえばこのnoteへの投稿もそのひとつ。どんなにささいなことでも、機微に関することでも共感していただけること、そしてそれに気づいているよと遠くでトーチをかざして表明してくださっていることを励みにしたい。

細々と生きているが、声をかけていただいて動きはじめるところだ。無理をせずぼちぼち行こうと思う。


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