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遠来しためずらしいものを調理したところこれまためずらしいものをみつけた


はじめに

 昨今の状況下、家にいることが多い。宅配になじむほどにお世話になりつつ、先日より到来物に出会う機会がつづいている。するとふだんなじみのない地へのあこがれや羨望のきもちがわいてくる。

そのめずらしい品物に接したようすを先日ひとつの記事にした。

この品物でもうひとつめずらしい体験をした。そんなめったにないであろう経験をくわえて記しておく。


冬のさむさのなかで

 日本列島のなかでもあたたかな地域に住んでいる。したがってなかなか北方の地を訪れる機会はない。たとえばこの地のデパートでは北海道の物産をさかんにアピールするセールをやっていると聞く。

わたしは人ごみに入るのがなにより苦手で、精魂をすいとられていくがごとくどっとつかれてしまう質なので、そういった場所へはひとりならばまず近づかない。

デパートの地下食品売り場とはちがい、旅行ならば北へ進みたい。ふだんの食べものがあきらかにちがう。おもいうかぶのは魚。こちらはどちらかというと青物と呼ばれる青いすがたをしたすらりとした魚がおもなもの。

ひらべったいすがたの白っぽい身の魚にほとんど出会わない。わたしは白身の魚がこのみ。したがってこの時点でなぜ自分がここにいるのか、魚を食べるという一点においてはあきらかに損をしているなあと感じる。

したがってよそに出向くとまず魚をたべたくなる。数すくない機会に北方の地に所要ででかけ、食した魚介のなべがおいしかった。その体験が忘れられない。


さいわいなことから

 さて到来物に接する機会があった。そのまさに北方の海で穫れたもの。エゾキンチャクガイ。ホタテガイのなかまで両者のちがいは殻。ホタテガイは片側だけふくらんでいるが、この貝は両側ともぷっくりふくらんでいる。

つまり両手のひらをあわせてつぼみのかたちをつくるように、ぶ厚い両方の殻におおわれている。そこには想像したとおりわらってしまうほどの貝柱が鎮座する。貝がいちどかたくなにとじたらなかなか開けられないそうだ。

その貝をいただいた。産出量が少なくほとんどよそでは出まわらないらしい。まさに珍品。その肉厚の貝柱はわたしがうまれてこのかた食べたどのホタテガイのものよりも大きくかさ高い。

そう表現するときっとかたいだろうとか、大あじなんだろうと疑念がわきそう。そこでさっそく日をかえつつ順番にバター焼き、クリーム煮、そして照り焼きにしてそれぞれあじわってみた。


ひょんなことから

 もちろん貝はすばらしい味だった。大あじでもなく上品で濃厚なスープも得られる。甘みの感じられる貝柱は口にするとほろりとくずれる。おおきめのカニの足を食べているみたい。

そしてひもの部分はまさにスルメ。かみごたえはあるが小気味いいし、あじがいい。どの料理にしてもおいしくいただけたが、わたしと家族は照り焼きがいちばんと感じた。

家族ともども食べながら、「この貝、きっとおいしいので地元の人たちが『しかたないなあ、ホタテにまじって穫れてしまうから…。』とかた頬で苦笑しつつ、もうかた頬でにんまりしながらもくもくと食べている(失礼)にちがいない」と話した。


おわりに

 すると、どうだろう。めずらしいものを料理するとめずらしいことが起きる。料理の準備をしつつ貝のひもの部分を水洗いしようとした。大きな貝ならばこの部分に砂がまじることがあるから。ふと、コツンと手に小さく感じるものが。

 「なんだ小石か」と手にとるとキラリとかがやきが。わあ、真珠だ。ほんとうに遠来物にはおどろかされる。

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