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かりに行けるとしたら行ってみたいところは有名な観光地ではないごくふつうの場所


はじめに

 出張のみならずいろんなかたちで国内各地をおとずれた。そのかいあって多少なりともその場の雰囲気をあじわう目的でなるべくあるいた。

するとそこの日常のようすがちらりとかいまみえる。そんなことがきっかけでふとわれをふりかえる。

きょうはそんな話。

路地うらで

 たびする目的ってなんだろう。

「日常とちがう場所に身をおき、ふだん気づけない自分をみつけにいく。」

はっきりしないままここにかりに提示してみた。たしかにそうかもしれないし、そんなでもなくたんに気分転換にいっただけかもしれないし。

旅先で未知の路地にさしかかる。写真でみたような既視感のある観光地ではない。その確認作業の行動ならばすすんでしようとは思わない。グーグルでバーチャルでよければほぼどこへでも行ける。そうではなくこのさきになにがあるんだろうとちいさくわくわくする。そんなまったく知らないところに身を向かわせたい。

期待感、目あたらしさ。予期しない展開。こうしたいくつもの「発見」を渇望する無意識の欲求にこたえるべく。それがわたしのたびへの原動力なのかもしれない。だから列車の車窓からそとのせかいをじ~とみつめつづけるのもわるくない。とくに家からとおざかる向きほどわくわく感は大きくなる。

そんな日ごろの雑事からはなれて逃避したいきもちがあるのはたしか。でもそれがすべてではない。やっぱりふだんとちがう考えが湧いてくる。

あふれるほどではないがちらりと。すると帰ってからがちがう。あきらかにかるいつかれとともにリフレッシュされたあたまになっている。

日常を更新する作業

 たしかにそうだと思う。たんたんと日常をすごすばかりではらちがあかない、進歩が期待できない。そんなきもちになりがち。このままつづけていていいんだろうか、ほかにやることがあるんじゃないか。ちがう視点にむかうべきなんだろうか。どっぷり既視感に首まで浸かった場では気づきにくいし、そうおもいつくまで到れない。

そうかやっぱり日ごろの生活のためにたびをするのか。無意識のうちに栄養素のようにからだがもとめるものかもしれない。昨今の状況のようになかば「幽閉」状態にいると、これは叶わないだろうし、やっぱりこころのなかにうめるべき要素が欠乏してしまうのだろうか。ひずみを生じそう。

無限ループにはまってぬけだせなくなるのでは、とその状況下にふと思った。それでもなんとか生きていたが。

自分をとりもどす

 やっぱりまよってどこかいなくなりかけている自分さがしをするための作業がたびなのかもしれない。いそがしいときほど必要でそんなときにかぎって旅したくなる。きっとそう。そのタイミングや頻度で黄色信号が灯り、たびがおぜんだてされたのだろう。以前のわたしならばそれはちょうど春と秋を中心に。

それは年度や半期のしごとが一段落してうごきやすいころ。とくに春さきはわたしにとっていちばん自由のきくシーズン。いまもってそう。計画もたてやすいし、まえの年度をふりかえりつつ新年度の活動をどうしようかと概観するぴったりの時期。

おわりに

 絶好のタイミングでたびができるとうまく1年がまわる気がする。いまあらためてふりかえると、なにげないたびの結果、年間をつうじてどうにかこうにかやってこれたんだと思う。それが昨今の状況でいったんリセットされた。さて、これからさきどう動こうか。

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