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山すそをあるいて毎日のようにあたりのかすむ原因がさまざまあると気づいた


はじめに

 このところ体力回復を目的としてほぼ毎日歩いている。たいてい風のつよい海側よりも、陽だまりができ風のすくないあたたかな山側へ。

空気のつめたいのはすぐにあたたまりなんとかなる。山を仰ぎ見ながら坂みちをのぼるのはここちいい。

このところちかくのスギ林から山々にかけてかすんでいる。ああ、そうかもうそんな季節なんだ。あらためて早春の予感。


運動をかねて

 山をあるく。海のほうにはむかわない。先日、所要で線路をまたぐ渡線橋のむこうがわに出た。海はすぐそこ。顔を海岸にむけるとつよめの風がいつものようにかおにあたる。いまはつめたさがくわわる。歩く目的のはんぶんはからだをあたためるためなので、こうした寒風のふきさらしの地点へわざわざむかわない。

めったに海がわには出ないので、たまに行くと周囲がこぎれいに変わっている。それにひきかえ山がわの変化にとぼしい。たまに家を建てかえるところなどをみつけると、あらめずらしいと見ながらすすむ。

うちすててある車

 さらに山道をのぼっていくとあたりの林は時間がとまったかのよう。ところが反対に変化を感じずにはいられない朽ちはてつつあるものが。道のかたわらに1台の廃車がうちすててある。3年ぐらい前にはまだ車体はバンだなと判断できたが、ついにはルーフがさびてなくなり、今しがたとおりすぎたときには前面の鉄板もさびのかたまりに。

そのあいだわたしにはそんなに進歩もなければ時の推移を自覚しないまま。でも、ここへくると時間がかくじつにすすんでいると感じる。この土にかえりつつあるこの車のわきをとおると、いつもわが身をふりかえり、人生ののこりぐあいなどをふと思う。

かすみの正体

 さて、タイトルのかすみの件。見えにくい山を見るたびになんだろうとこのところ気になっていた。タイミングよく地元のニュースが言っていた。PM2.5らしい。

山の新鮮な空気をあじわいにいこうとでかけるのに、PMたっぷりの空気をはぁはぁいいながら山道を登っていたわけ。坂みちのほうがたいらなところをあるくよりも効率よく運動できると嬉々として山にばかり行っていた。すこしがっかり、でも運動には代えがたい。つづけることにする。

くっきりした空は

 それにしてもちかごろはPM2.5だけじゃない。もうすこしさきだがスギなどの花粉。すでにスギの木を仰ぎみると、雄花がぎっしりでふくらみつつある。あとわずかで放出しそう。

近所にこれだけスギが植えられ(わが家も原因のスギ山をつくっている)て、雄花がこれだけあると相当な量が放出されそう。歩きながら雄花にばかリ視線がいく。

それから黄砂。西日本に住むわたしにはよく聞く到来物。西風にのってやってくる。これもどうやらかすみの原因になりやすいとのこと。たしかにいつもよりそらや太陽のまわりがぼんやりしてくる。

おわりに

 この時季になると上にあげたもののうちのどれかが飛来する。このうちの多くはわたしもふくめたヒトが原因をつくりだしたもの。スギもこんなに植林しなければと言ってもすでにこんな状態。わが家ですらスギやヒノキの山をもつ。つぎに植林する樹種をよくかんがえないと。

ふだんなにげなく呼吸しているけれど、上にあげたものもいっしょにからだのなかにはいってくる。病原体ならばそれなりに注意したり、対処をしたりするが、これだけこまかな粒子ならばどこにでももぐりこんできそうで、とらえようがむずかしい。

気にしはじめるとキリがない。PM2.5などは呼吸器などへの負担も心配。とくに長年吸いつづけることになってしまうわかい方々への影響。

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