あらたに届いた詳しい模試結果の資料を見つつどのあたりに照準をさだめるか判断していく
はじめに
学習サポートに訪れる生徒たち。先日受けた模試の結果とくわしい資料がたんまりと送られてくる。
個人の結果とともに主宰する教室全体の結果もいっしょに。するとわが教室の地域のなかでの位置づけまであらいざらい知らされる。つまりはわたしの成績。こればかりはどうしようもなく赤裸々で客観的な評価。まさにわたしの生徒たちへ授けた成果と弱点を手にとるように見渡せる。
きょうはそんな話。
こんなものだろうと
そうした教室の「通知表」なるものをながめているといくつかの気づきが。例年模試のたびにこのようなものが送られてくる。そのたびに思うのが単元ごとの出来不出来。どうやらこれはいつもおなじ単元ではないか。
確認するとたしかにそう。それならばと判定のよくなかったところを集中的にこなしてみたが結果はそれほど変わらず。つまりはそうした単元とはどこの教室でも難渋するらしい。もともといずれの生徒たちもなかなか身につけづらいことを物語る。力点をこめてやったとしてもそんなに変わらない。
むしろすべきは
それよりもだいじなこと。それは他の教室や地域でおしなべてよくできているのに、わが教室の生徒たちが極端にできていないところ。見つけたらまっさきに押さえるべきところ。これこそ当方の弱点であり、差が生まれかねないところ。
同時にその逆もしかり。わが教室が毎年のように得意な単元はないわけではない。アドバンテージになる部分。それらを平らにならすと総合成績となる。
弱点をみつけて穴をうめる、優先すべきはまさにそこ。みんなができないところはあとまわしでよくて、余裕があればできればいい。
あたりまえだけど
これは道理。生徒たちに個人用の模試のコンピュータ評価の利用法を説明する。こんなふうにまちがいをふたつにわけて、みんなができているところについて勉強し直すといいよと伝える。生徒たちは納得。
つまりはわりとかんたんなところをかん違いしたり、うっかりミスしたりで落としているところ。したがってリベンジしやすい。そう説明すると生徒たちはほっとしてさっそくとりかかる。
あせってむずかしいところを時間をかけてまで優先してもそれは効率がいい作業といえない。おとなのしごともそうではないか。課題のなかでわりとかんたんなところからかたづけていくほうが仕事全体で見るとわりとはかどる。なにも急がないでいい場合、難渋するところから着手する必要はない。
おわりに
学びには確実に手順がある。それをつづけていく意欲をこちらはひきだせばいい。その一環でこのところ授業をほぼしなくなった。時間と手間のかかる部分はすぐれた動画の先生たちがしっかり教えてくださる。わたしはつまずく箇所をみつけておぎなったり、リズムづくりに邁進中の生徒をサポートしたりの役まわりへ。
どうも学び自体は手順を間違わなければそんなに大がかりではなく、呼吸のように日常の一部としてととのえて、こなしていくに過ぎないと思いたい。結果としてそれは身につき「体力」となり、リズムよく効率よくすすめていける「意欲」や「気力」へとつなげていけると思う。
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