たまりにたまったリサイクルにまわすしかない紙類をecomoへもっていく日々
はじめに
自宅を中心に紙類がたまってきた。
ズボラなわたしにとってごみステーションにもっていくのはなかなかやっかい。そこでフレックスタイムの通勤の途中でecomoのある店に立ち寄る。紙1kgで1ポイント。わずかなようだが意外とあっさりたまり、その店の買い物どきにつかう。いらない紙が晩ごはんの魚に代わる。
きょうはそんな話。
ごくふつうの作業
紙をリサイクルするのはごくふつうのこと。一般の仕分けの「もえるごみ」にきれいな紙やテキスト類をださない。なぜならズボラだから。指定した曜日でも重たい束の紙をはなれたごみステーションへもちこむのはたいへん。
ステーションのキャパシティを抑える意味からも出さない。車が使えるので、通勤途中に日ごろつかう店にたちより、ecomoでポイントに替える。なにも特別なことでもなんでもない。紙類のほかにもダンボールやテキスト、雑誌なども。ひもなどできっちりむすんでもちこめばいい。
ecomo自体は全国共通のシステムらしい。わたしのつかう店ではプラスチックのカードにを機械におく。ハカリ台に紙束を載せてポイントに換算して記録。イオンやその系列店(一部)では犬のマークのあるカードをかざすとそのままWAONポイントになる。のちにWAONとして店でつかえる。
家しごとをきりかえる
このところ、昨今の状況から変化のきざしがみえてわたしの周囲でさえさまざまうごきはじめた。家ごもりしていたころからさまざま考え、はたらきかたをこれから1年ぐらいかけてシフトさせようと思う。それには心機一転、家にたまりにたまった資料やテキストをおもいきり処分しつつある。
なによりも紙類やテキスト。学習をサポートするうえではげまし、おしえるのに紙による作業が中心だった。いまもってその行為自体はたいせつ。一方で必要ないものも。なにも紙に出力しだいじにもちつづけることはない。
そう判断したとたん周囲はゴミの山と化した。ほとんどがそう。価値観を一転させるときのうまでたいせつだから整理して分類してつかってきたにもかかわらず。なかにはよれよれになり愛着の湧いてきたものすらある。
多少の思い入れはあってもここは大きな移動をともなうかもしれない。ここ1,2年つかっていないだろうということで処分へ。
あいたスペース
紙ゴミを処分していくとけっこう広いものだと思えてくる。これだけ十数年かけてスペースを埋めてきた。あらたなスペースは今後のため。今後のためにあけておく。せっかく建てた家だったが、危険地帯にありここ3年毎年避難はさすがにあやうい。大きな移動、それは西日本~中部のどこになるわからない。1年後にどこにいるのか。いまもってはっきりしない。
そして家族。両親は安全な場所に住んではいるが、うごきたがらない両親。面倒をどうみていくか。家族ともども話をつめていかないと。
おわりに
こうして紙を大量につかってはたらいてきた。今回処分したなかでいちばん古い資料は30年ほど前のもの。ながく価値を保ちつづけてきた。すでに頭のなかや記憶媒体のなかにしまいこまれている。
なかには手法として若い方々へ受けわたし活用してもらえるものもあるだろう。それにはあつかいやすいように体系化した状態でおわたししないと意味がない。その作業もあらたなしごとにくわえようと思う。なにも今回ですべてをほうむりさるわけではない。
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