はじめに
note記事としてタイトル「 」内の題名で記したのは2021年8月15日 09:25 のこと。そのふりかえり手記を記事Aとしよう。かれこれ1年前。それから状況がすこしずつ変化した。
鈍感なわたしでもすこしはまなんでわずかばかり身についたこともある。ふりかえりのふりかえり。記事Aとの対比で記したい。
記事Aの時期とくらべて
記事Aの一部を参照しよう。➡にきょう時点でのコメント。
➡彼の病にひきつづき、ことしは世界をまきこんだ「あの争い」が起こり、いまも終息の見込みはない。こうした世界的な事象がつづくと、地球上がほんとうに密接につながりあうことをいやおうなくつきつけられる。
しかもいずれもいのちに直結するできごと。どうすべきか、そしてじぶんならばどうするか、やはり考えてしまう。
彼の病をきっかけとして
記事Aより
➡科学的とはいえないが、いやな予感というのはたびたびある。東北の震災も1,2週間まえから地震がつづいていたので、いままでにないイヤな予感がすると家族にはなしていた。まさかあれほどの災害になるとは。彼の病もそうだった。
こちらはもっと科学的に、彼の病に関する学術論文を自分なりに理解しつつ、年明けすぐに主業の学習サポートでは対処し、とくにリモートの授業をそれまで以上におこないはじめた。その結果、つぎの段落に記すように手は尽くしたが慣れないご家庭がやめられた。はがゆかった。
生業への影響
記事Aから。
➡農業はつづけられるだろうとたかをくくっていた。ところがいろいろと支障が出てきて、どうもやさいの搬入先がギスギスしはじめて雰囲気がよくなかった。
肥料の購入さえむずかしくなってきて、それでは思いきってやめてしまおうというふうに。順調にくすりをほぼつかわないでつくれるようになってきただけに惜しい気はしたが…。
気にしない
記事Aより。
➡新たな道を探ればとあてもなく書いている。その2か月ほどのちに声がかかる。研究パートに来ないかの誘いだった。ふたつへんじで引き受け、そののち収入もどうにか以前なみに。
こちらからなにも積極的にうごいたわけではないので、こうして声をかけてもらえてとてもうれしかった。
おわりに
記事Aより。
➡まったく、そのとおり。いまもそのきもちのまま。数年後にふりかえるとあのころはたいへんだったと思えるようになりたいし、ぜひそうしたい。
こればかりは先がみえない。このふたつの大きな世界的事象がなんとかおさまることを願いたい。
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