見出し画像

1年前からのさらなるふりかえり「昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見直すこと」


はじめに

 note記事としてタイトル「 」内の題名で記したのは2021年8月15日 09:25 のこと。そのふりかえり手記を記事Aとしよう。かれこれ1年前。それから状況がすこしずつ変化した。

鈍感なわたしでもすこしはまなんでわずかばかり身についたこともある。ふりかえりのふりかえり。記事Aとの対比で記したい。

記事Aの時期とくらべて

 記事Aの一部を参照しよう。➡にきょう時点でのコメント。

 彼の病の流行により、世の中全体がさまざまな分野で影響を受けている。
わたしのなかでは流行前には「持続可能性」についてはいくぶん漠然としたイメージだった。

ところが事態が長びいてくると、こつぜんと具体的な事象としてあらわれてきた。目の前に姿をあらわしたと言っていい。より広範にその「持続」の意味を具体的に考えるきっかけになりつつある。

こうした機会は一生のなかでそれほどあることではないだろう。一度ここで整理してみようと思う。

木山仁
2021年8月15日 09:25
note「昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見直すこと」

➡彼の病にひきつづき、ことしは世界をまきこんだ「あの争い」が起こり、いまも終息の見込みはない。こうした世界的な事象がつづくと、地球上がほんとうに密接につながりあうことをいやおうなくつきつけられる。

しかもいずれもいのちに直結するできごと。どうすべきか、そしてじぶんならばどうするか、やはり考えてしまう。


彼の病をきっかけとして

 記事Aより

 一昨年の12月にこの病の報道をはじめて耳にした。わりと小さなあつかいの記事で「風土病か何か?」ぐらいのイメージだった。ただ何かいやな予感がした。

すると年明け以降、わが国では突如として「対岸の火事」ではなくなり、だんだんと身近なところにさまざま起こりはじめ、家族やふだん接する人々に関わるできごとになった。

以前、少なからず関わる仕事だったので、どう対処するべきか(わからないなりにこれまでの経験にもとづいて理解の範囲で大きめなくくりとして)わりと客観視して用心しつつ捉えていた。

ただし昨年の年明け以降、ひとごとではなくいずれ自分の身にふりかかってくるだろうと覚悟していた。

木山仁
2021年8月15日 09:25
note「昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見直すこと」

➡科学的とはいえないが、いやな予感というのはたびたびある。東北の震災も1,2週間まえから地震がつづいていたので、いままでにないイヤな予感がすると家族にはなしていた。まさかあれほどの災害になるとは。彼の病もそうだった。

こちらはもっと科学的に、彼の病に関する学術論文を自分なりに理解しつつ、年明けすぐに主業の学習サポートでは対処し、とくにリモートの授業をそれまで以上におこないはじめた。その結果、つぎの段落に記すように手は尽くしたが慣れないご家庭がやめられた。はがゆかった。

生業への影響

 記事Aから。

 その覚悟は覚悟として、昨年のはじめての緊急事態時には、行政の指導にもとづいて自らの仕事の制限、それに対して行政のサポートを受けるなど、あっさりと現実として行動せざる負えない事態になった。

仕事についてはそれまで以上にwebを活用し、その状況はいまもつづく(2021.9)。顧客のなかにはネット環境への迅速な対応ができずに、継続の難しい方が出はじめ、一時期半減してしまうほどだった。知人からの相談も受けた。

その一方で、流行とはそれほど関係ないだろうと思われていた副業(農業分野)はあきらめた。

予想しないところに3密を生じる場面があり、リスクを自らが仕事を辞退することで抑制できるのであっさり断念した。それまで5年ほどかけて築いてきて順調にいきかけたが…。

がっかりのきもちすら湧かなかった。「まっ、しかたないか。」これぐらいの感じ。すでにさまざまなことが起こっていて、今あらためて思いおこすと、がっかり感など受け入れないようにおのずと心に予防線を張り防御していたと思う。

感情を高めても怒ろうにもぶつける先はない。すべてしかたのないこと。

木山仁
 2021年8月15日 09:25
note「昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見直すこと」


➡農業はつづけられるだろうとたかをくくっていた。ところがいろいろと支障が出てきて、どうもやさいの搬入先がギスギスしはじめて雰囲気がよくなかった。

肥料の購入さえむずかしくなってきて、それでは思いきってやめてしまおうというふうに。順調にくすりをほぼつかわないでつくれるようになってきただけに惜しい気はしたが…。

気にしない

 記事Aより。


 それでもなんとか食べて生きている。小さなことでもみつけてやれば、日々食べていくぐらいは何とかいける。

最低限の算段さえ怠らずにいれば、あとは気にせずふだんどおりをこころがけている。人とじかに合う仕事は、代替法があればそれを採用、やむをえないものだけにした。あとはすべてwebで済ませている。

むしろ、こうした制限は新たな発想を生むチャンスをもらえていると捉えた。それまでの生き方を維持できるように、持続するようにくふうしていこうと考えた。

彼の病の制限はちょうど、迷路のゲームのよう。「行き止まり」に来たら引き返して新たな道を探ればよい。そうすればいま一歩、先へ進める。そのくりかえし。それでいいのでは。

木山仁
2021年8月15日 09:25
note「昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見直すこと」


➡新たな道を探ればとあてもなく書いている。その2か月ほどのちに声がかかる。研究パートに来ないかの誘いだった。ふたつへんじで引き受け、そののち収入もどうにか以前なみに。

こちらからなにも積極的にうごいたわけではないので、こうして声をかけてもらえてとてもうれしかった。

おわりに

 記事Aより。


 そう考えるとなにも今まで生きてきた大部分の人生とさほど変わりないではないかと思えた。つくろって直して着る服のよう。

こう思うようになってから、庭に鳴きはじめた秋の虫たちがさまざまな声をとりかわすのに気づけた。

何もとくべつなわけではない。やりすごしたあともたんたんと日々のくらしをごくごく小さなよろこびを見つけつつ、生きていけばよい。

木山仁 
2021年8月15日 09:25
note「昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見直すこと」

➡まったく、そのとおり。いまもそのきもちのまま。数年後にふりかえるとあのころはたいへんだったと思えるようになりたいし、ぜひそうしたい。

こればかりは先がみえない。このふたつの大きな世界的事象がなんとかおさまることを願いたい。

テーマに関連する記事


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?